伊平とうめ

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伊平とうめ

 深川で母親と暮らす二十歳過ぎの伊平は、裏木戸を抜けて長屋に入った。母親のうめが針仕事をしていた。 「伊平。お前、また喧嘩したのかい?」  うめは手を止めて伊平を見上げた。伊平は背の丈六尺もあろうかという立派な若者である。 「まあ、喧嘩ってほどじゃねえけどよ」 「まったくお前ときたら……。少しはこらえるってもんを知らないのかい」 「だってよう。悪いのはあいつらだぜ」 「お前、近所でなんて言われてるか知ってるかい? 『暴れ伊平』だよ。あいつには怖くて近寄れねえ、ってみんな噂してるよ。母さん、情けなくて……」 「『暴れ伊平』上等じゃねえか。おっかさん、心配すんなって」 「お前も少しは信ちゃんを見習ったらどうだい?」 「はあ? 信吾も俺と一緒に喧嘩してんだぜ」 「信ちゃんはお前と違ってみんなから頼りにされてるっていう話じゃないか」 「そりゃまあ、あいつあ、なんやかんやと他人の世話焼くの好きだからな」 「あのね、伊平。ちったあ、しっかりしておくれよ。お前がそんなんだと、おみつさんに苦労させちまうよ。あんないい娘はなかなかいないってのに」 「心配ねえ。おみつは心底、俺に惚れてるからな。まあ、そのうち所帯持つさ」  うめは諦めたようにため息をつき、針仕事に戻った。
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