天使のハシゴ

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f8443bbc-113f-4ad3-87a3-467bf252cfe8  ザクロの実をひと粒口に。  天使は喉を鳴らして嚥下する。  僕の目の前に現れた天使は、ザクロを食べて飢えを満たす。ひと粒ずつ口に運び、一日かけてザクロ一つを食べ終える。  透き通るような肌と滑らかな指通りの金色の髪は、絵画の中から出てきたようで美しい。化粧などしていないはずなのに、きめ細やかな肌にはシミや毛穴、何一つ見えなかった。  朝日の差し込む中、湯浴みをし身を清めてから天使はザクロを口にする。  赤いひと粒を、赤く艷やかな唇が食む。  僕はそれをうっとりと眺め、天使の様子に満足した。  僕の与えるザクロを食べる天使は、少しも陰りを見せることなく美しい。ずっと飼育していると、美しさに陰りが出てくるという話だったがそんなことはなかった。  僕は自分の食事を済ませ、出勤の支度をしてから天使の元へと戻る。  足かせをつけられた天使は、窓辺に腰掛け外を眺めていた。そして、時たま喉をくるると鳴らす。歌のように音階があり、耳に心地よい音だ。  いい子だね、と僕はご褒美として天使の口にザクロをひと粒近付ける。  口を開いた天使は僕の指からザクロを食べる。その時、かつり、と摘んでいた指を囓られた。一瞬痛みで息を呑むが、滲んだ血を天使が舐めると痛みが消えた。  何度も何度も天使は血の滲む指先を舐める。  天使の口から血を舐めとった真っ赤な舌が出入りするのを、僕は恍惚とした表情で眺め続けた。  陶器のような白い肌に映える真っ赤な舌と唇。  ああ、なんて素敵なんだろう。  赤い透き通ったザクロの実よりも美しい。  僕は吸い寄せられるように天使へと口付けた。軽く開いた唇は僕の舌を誘い込み、絡めとる。  天使の口の中は、僕の血の味がした。  上顎を舌で舐め上げ、思う存分天使の口腔を貪る。血の味のする唾液を飲み込み、ようやく口を離せば銀糸が二人を繋いだ。  きっと僕の唇も天使の唇のように赤いのだろう。  笑みを深めながら天使を眺めるが、先程の傷が気になるのか天使は再び指を咥えこむ。吸い上げるように指を舐める天使の口元はやはり赤い。  そのうち、舐められていた指先の感覚がなくなり、耳に湿った音が聞こえてくる。けれど、僕は美しい天使から目を逸らすことができず、ただその口元が赤く染まっていくのを眺めていた。  天使のいる窓辺から見えるのは、雲の隙間から光が差し込んだ神々しい光景だ。天使のハシゴというのだという。  地に降りた天使が天にのぼるためにかけられたハシゴなのだろうか。  でも僕の天使はまだ天界には返せない。  僕がもっと彼を愛して、そして彼に愛されなければならないから。  昨晩だって彼の体を隅々まで愛したのだ。しかし、あんなにも執拗に愛し、その徴である痕を残そうとしても、朝にはすべて消えてしまうのだけれど。  天使はこんなにも美しい。  僕は天使を引き寄せようと反対の手を伸ばす。しかし、その時初めて腕が動かないことに気がついた。腕だけではない。体が痺れて身動きが取れなくなっていた。  声を上げようにも声帯は震えず音は出ない。かろうじて動く目を下に向けると、僕の片腕は消えていた。天使が舐めていた手が消えていたのだ。  遠くなった耳に湿った音の他に届くのは、骨を砕くような音。それは天使の口元から発せられていた。  赤い天使の口が、僕の肩に到達する。  その時、上目遣いになった天使と目があった。  今まで見たことのない甘く柔らかな微笑みを湛えた天使の口元は、僕から溢れた鮮血で濡れている。  ああ、僕は美しい天使に食べられている。  そこでようやく僕は気が付いた。  天使が傍らにおいたザクロの皮が消えていることに。  ザクロの皮は毒だった。神経がやられ痺れなどが現れる。先程口付けたときに嚥下した唾液に仕掛けられていたに違いない。  天使は肉食だ。好きなごちそうは人間。その代わりに人の味がするというザクロを与える。それで天使も満足するはずだった。  しかし、ザクロだけでは足りなかったのか。  僕の体が半分消える。食べられているのに不思議と痛みはなく、頭もはっきりとしている。  天使は代替品のザクロには見向きもせず、彼のごちそうである僕を貪り喰らい尽くす。  ついにもう片方の腕も、天使の口の中へと消えた。僕は天使を抱きしめる腕を失い、ただ横たわる。  こんなにも天使を愛おしく、そして狂おしく思うのに、僕はもう天使の糧になることしかできない。  僕がいなくなったら、天使はどうするのだろう。  今見えている、あの天使のハシゴをのぼって行くのだろうか。  僕の魂を連れて。  僕が最期に目にしたのは、慈しむような天使の微笑みと、大きく開けられた真っ赤な口。  そして、僕は文字通り、この世で最愛の天使と一つになる。
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