no.1

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no.1

早朝、神社の境内に続く長い階段を駆け上がる。 青々とした木々に囲まれた朝の静寂な神社では、吐く息の音と鳥の声しか聞こえない。夏だというのに、この場所の空気は清閑で淀みないくらい爽やかだ。父親の野球好きが高じて、小中と好きではない野球をやり続けてきた。 毎週、土日になると、グランドのネット越しから、息子の勇姿を見ようと監督さながらの鋭い視線を送る父には辟易した。 幸か不幸か、中三の春、痛めた膝のおかげで、晴れて、お役ごめんと、グラウンドから退くことができると、無色透明な重石が背中から無くなったようで、気持ちが軽くなったのを覚えている。 「高校に入ったら、部活には入らず、バイトでもするかな。」 ミットで、ボールと父親の想いを受け止めるばかりの月日の中で、やめたいの一言は言えないままだったあの頃。あんな自分にはもう、戻りたくないと(ちから)は思った。 季節が巡り、気づくと時は一刻、一刻と進んでいた。 力の通う公立高校は、力の家から自転車で20分程の場所にあった。殆どの生徒達は駅を分岐点として分かれる二つの地域から来ていて、この高校は、地元の子ども達に馴染み深い高校であった。 淡い桃色だった桜の木が、生命みなぎる新緑の青になる頃に、力は高校生になって、初めての夏を迎えていた。 力は、帰宅部で鈍ってしまった身体に渇を入れるべく、登校前に走ることを決めた。朝早く、起きることが出来た日の限定ジョギングではあったが、我ながら、よく続いてると自分で自分を褒めたかった。 痛めた膝は激しい運動さえ避ければ、なんてことはない。家から山の上の神社まで走ること30分。境内へと続く階段を上りきるのが、お決まりのコース。 さすがに、100段もある階段を一気に上りきると、若い力であっても、息も切れ切れだ。力は、乱れた呼吸を整えながら、腰に手を置いて辺りを見回した。 雑木林に映える赤い鳥居、手水舎、しめ縄にぐるりと巻かれた石の祠、狛犬と、視線の行き着く先に、一か月前から挨拶を交わし始めた一人の男が居た。 男も力に気が付くと、片手を軽く挙げ、笑みを浮かべた。 「おはようございます。」 「おはよう。」 ひとけのない朝の境内で、よく顔を合わせる男。 一ヶ月前、どちらからともなく、軽く挨拶をすると、今では、会話を交わす程の仲になった。 男性は、力よりうんと年上の40代半ば。名前は柴田浩一と言った。鍛えられた身体に、顎ひげ。落ち着いた佇まいは、十代の青年の目には渋い大人の男として映った。 プロのカメラマンと知ったのは、たまたま目にした新聞に彼・柴田の記事が載っていたから。 スポーツ写真専門のフリーランスのカメラマンで、小さな大会から、オリンピックまで、規模にこだわらず撮影する。選手が見せる一瞬の生命の煌めきに惹かれつづけ、それが、自分の作品の原動力になっていると記事に書かれていた。 神社からさほど遠くない場所に住んでいるらしい柴田は神社から遠く向こうに見える山麓を、撮影しに、暫しここへと来ていた。 「いいの、撮れました?」 「撮れたよ。動く選手もいいけど、こうやって、動かない山もいい。動かなくったって、会えば、こうやって違う顔を見せてくれるからね。」 そう言うと柴田は、撮ったばかりの写真を見せようと力の側で身を屈めた。確かに柴田の言う通り、一つの山はあらゆるシーンを見せてくれた。 「そうだ、早乙女くん、この子、知ってる?確か、君と同じ高校じゃなかったかな?」 そう言うと、柴田は、カメラに納められた一人の青年を力に見せた。伸びやかなジャンプ。鮮やかなダンクシュート。ゴールを狙う鋭い目に、日本人離れした長い手足が勢いよく伸びる。明るい髪がふわっとまるで羽のように広がる、今にも動きだしそうな、躍動感溢れる一瞬の永遠。 「知ってます。桂です。桂伊吹、同じクラスです。」 「この子、高校バスケ界で有名人だよね。僕も噂を聞きつけて、この前、試合を観に行ってきたよ。」 「僕の学校でも、知らない奴がいないほど有名人です。僕なんかとは世界が違いすぎて、話したことないけど。。。」 「この時も、追っかけの女の子達、沢山応援に来てたよ。本当に、凄かった。」 桂伊吹(かつらいぶき)。同じクラスだが話したことはない。入学してまもなく、クラスの中心人物になった奴「帰宅部で、どこにも属さない、俺なんか、アイツにしたら空気みたいな存在なんだろうな。もしかしたら、俺のこと、知らないってこともあるかも。」力は目の前の一枚を見ながらも、頭の中は、常に多くの生徒達に囲まれた伊吹を思い浮かべていた。 「そうだ。早乙女くん、今度の試合で、彼にインタビューしてくれないかな?彼、取材には、いつも、快く応じてくれるんだけど、なかなか、本音と言うか、等身大の彼の言葉を引き出すことが難しくてね。。。毎回、インタビュアーが年の離れた大人ってこともあるんだろうけど。。きっと、同年代の君が相手なら、リラックスして、いつもと違った彼を引き出せる気がするんだよ。お礼は出すよ。ちょっとしたアルバイト感覚でどう?」 「僕が、ですか。。。?」 学校でだって、あいつと話したことがないのに、いきなり、ハードル上げてインタビューなんて。。 「そう、君が。」 大きく頷き柴田は力の方を見たが、力は彼に作り笑いで返すしかなかった。 バスケに詳しくないし、どちらかと言えば、口下手で、気が回って良いことを言えるタイプでもない。いわゆるクラスの陰キャな僕が、桂にインタビューなんて。。。いきなり、舞台の主役として、引っ張りだされる程の大役に感じた。 柴田のせっかくの申し出に、はっきりとした返事はできず、力は、とりあえずと、連絡先を柴田に伝えた。 日射しが強くなってきた。 そろそろ、家に戻り、学校に行く準備をする頃ではないかと、力は携帯電話をポケットから取り出すと時刻を確認した。 「わぁ!ヤバい!じゃあ、僕、そろそろ、行きます。」 「早乙女くん、引き留めてごめん。じゃあ、詳細、決まり次第、連絡するよ。」 柴田の言葉を最後までしっかりと聞くと力は、軽く一礼し、今か今かと走り出すタイミングを待つ足は、蝉が威勢よく鳴き始めたのを合図に、勢いつけて走り出たのだった。
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