no.3

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no.3

「力、これ、あげる。」 夕食の後、横たわり、テレビを観ている力の頭上を何かが通り越すと、そのまま、目の前に、鈍い音をたて、それは落ちた。 姉からの突然の奇襲攻撃で、力の身体は固まってはいたが、まぁるく見開いた目だけは落下物は何かと、せわしなく動く。 物体は銀色で丸かった。女性の持ち物のようであったが、彼がそれをコンパクトミラーだと分かるのに、数秒を要した。 「なっ、なんだよ、いきなり。こんなのが頭に当たったら危ね〜だろ。」 「ごめん、ごめん。けど、当たんなかったから、いいじゃない。」 姉の百合がダイニングテーブルに肩肘をついて、口を尖らせていた。 社会人の姉の帰りは、大抵は、夜9時から始まるドラマが中盤に差し掛かるくらいの頃だった。大抵、ドラマの見せ場で帰って来ては、ドタドタと生活音を立て、息つく暇もなく、キッチンで家事をする母に一日の出来事(ほとんどが、仕事の愚痴であったが)をマシンガントークし始めるのが常だった。 そんな姉の態度は、力の眉をひそめさせ、「女って奴はこれだから」と辟易させた。もし、ここに、新聞を広げる父が居れば、咳の一つも誘発する姉のかしましさであった。が、今晩に限っては、両親共には大ファンの大御所歌手のコンサートがテレビで放映されると、珍しく早く夫婦の寝室に上がり、スタンバっているのだった。そんなわけで、今日ばかりは姉から逃げた、と言えよう。 電子レンジで温めた夕飯を前に姉は、いつもより幾分か、大人しかった。 「それ、おばあちゃんが市で買って来た魔法の鏡だって。とにかく、どんな相手でも、その鏡を使えば自分のことを好きにさせることができるらしいの。」 姉の話しは今時ドラマにもならなそうなくらいファンタジックで、力は床に落ちた鏡を掴み、半ばあきれ顔で百合のことを見上げた。 「魔法の鏡?この古いのが?」 鶴と亀の精緻な螺鈿細工が施された、一見、確かに縁起は良さそうなコンパクトミラー。 力は怪訝な様子で、それを手に取ると、そっと開いて自分の顔を映してみた。我ながら平凡な男だと思う。カッコいいと言うより、可愛いと言われることが多かった。小さい頃から全く変わらないとか、顔だけみたら小学生料金でバスに乗れるとか、歳をとらないで羨ましいなどなど、それらの言葉は親戚や家族が力にかける、何歳になっても変わらない安定の賛辞であった。力は鏡にベェ〜っと舌を出し、コンパクトをパタリと閉じた。 「おばあちゃんが言うには、その鏡を開いて、まず、自分の顔映つすじゃない。それで、恋よ来いって呪文を唱えて、次に、鏡を開く時、意中の相手を映れば、その人は自分にぞっこんになるらしいのよ。。。」 「おばあちゃん、ついに頭にきたか。。。しかも、なんだよ、その春よ来い的な呪文。絶対にテキトーだろ。」 「しっ!おばあちゃん、自分のことに関してはやけに耳がいいんだから、そんな、大きな声で変なこと言わないでよ。」 百合がリビングの隣室で眠る祖母を気にして囁く。 「この鏡、おばあちゃんが、私が結婚できないんじゃないかって、心配して買って来たらしいのよ。」 「どうせ、市で、買わされたんだろ。たまに居るよ、変な露店商。で、これ、いくらだって?まさか、一万円とかじゃないよな?」 姉からの返答がすぐにないことから、力は最悪な事態を想像し、首を振った。おばあちゃんが、父にこっぴどく諭される案件。 「十円」 「じゅっ、十円?」 「そう。そんな、激安で人の心を意のままにできるなんて、誠に信じ難い、よね〜?」 「そんな値段、今時、駄菓子すら買えないって。おばあちゃん、暇な露店商のかっこうの餌食になったな。」 「まぁ、そうかもしれないけどさ。それより、私もみくびられたもんよ~。おばあちゃんに。魔法の力でもないと結婚できないなんて思われてるらしい。」 「ばあちゃんからしたら、ねえちゃんが、藁にすがってでも、出会いが欲しいように見えたんだろ。きっと。孫思えばの、ばぁちゃんの優しさだな。」 「はぁ?丸の内OLを馬鹿にしちゃだめって話。そのうち、ドラマみたいな出会い!誰もが羨む結婚!もう、すぐかもしれないわよ〜。ふふふっ。」 「すっげー前向き。。。」 「そりゃあ、こんな、美人、誰もほっておかないわよ。この前だってさ、取引先の人に、何とかって女優に似てるとか言われたし〜。え〜っと、あれ、何のドラマだっけ?」 「。。。」 時計の針が進む音がよく聞こえてきた。なんだか、睡魔が忍び足で近づいてきて、欠伸をしたくなったが、グッと押し込んだ。 「あんた、異議あると、すぐ、黙りこくるわよね。昔っから。まぁ、いいわ。とにかく、いくら、おばあちゃんが私のために買ってくれたって、お世辞にもあんまり、綺麗な代物とも言えないし、誰かが使ってた古い鏡なんて、私、ちょっと、怖いかも。だからって、捨てるのも悪いじゃない。呪われそうだし。。。」 「そりゃあ、捨てたらまずいだろ。おばあちゃんが可哀想だ。」 「だから、あんたに、それ、あげるから、お守り代わりに持ってなさいよ。あんた、高校は共学だし、まぁ、こう言っちゃ悪いけどさ、彼女居るようには見えない。けど、年頃だし、好きな子くらいは、居るんでしょ?」 「えっ」 好きな子。面と向かって問いかけられ、力はそんな存在が自分にいたか、あれこれ、思い返してみたが、結果虚しく、青春真っ只中の力に思いつく女子など誰一人としていなかった。ただ、力は眉間に皺を寄せると首を振った。 ーないないない。なんで、桂?! 「あ~、力、やっぱり、好きな子いるんだ~。どんな子よ〜。」 百合が顎を上げ、目を細めた。 「いや、ちっ違う。そっそんなん、いないって。」 「焦っちゃって。可愛いんだから。まぁ、いいわ。とにかく、騙されたと思ってやってみたら?おばあちゃんの話では、魔法を解くにも呪文があって、、、あ〜なんて言ったっけ。思い出せない。すんごい簡単な言葉すぎて、逆に覚えてないわ。」 「それ、一番、重要なとこだろ。」 「あれ〜え〜っと、何だったかしら。。。ど忘れしちゃった。あんた、今度、おばあちゃんに聞いてみてよ。とにかく、なんちゃらの呪文を唱えれば、元に戻るらしいから。とにかく、物は試しで、その魔法の鏡、使ってみたらいいじゃない。」 「元に戻るって?魔法で恋に落としておいて・・・」 「そうそう。相手の気持ちをスッと冷ます、らしい。だから、嫌になったら、とにかく、呪文を唱えて、元の関係に戻せばいい。それって、後腐れなくて、いいじゃない。」 「記憶は残るんなら、なんか、気まずいな。」 「魔法があってもなくても、恋愛の終わりなんて、気まずい気まずい。みんな、そんなもんよ。」 ーーどんな、恋愛してきたんだよ、、、 コンパクトを手に持ち、口をへの字に曲げた力をよそ目に、百合は席を立つと、食べ終わった食器を片付けながら、力に 「まぁ、ウソでも何でもやってみな。どんな相手でも自分に夢中にできるなんて、それって、最高じゃない!」 「じゃあ、ねえちゃん、使えよ。」 「私はいいわよ。そんな、子どもだまし。子ども騙しは子どもが使うのが〜ベスト!」 「。。。」 「何よ。まだ、なんか、あんの?」 「うん・・・魔法でさ、好きにさせるってさ、それって、なんかさ、、、」 「なんか、何よ?」 「う〜ん、騙してるじゃん。本当じゃないんだろ?そのぉ〜、なんて言うか〜、相手の気持ちは。」 「はぁ?これだから、子どもなんだから、高校生の力くんは!何言ってんのよ。恋なんてね、騙し、騙されなんだから。本当よ。」 「なんか、嫌だな〜、そんなの。」 「うわぁ。可愛い。そんなんじゃ、尚更、魔法の力が必要よ。まぁ、物は試し!ねっ!」 百合は、そう言うと、鼻歌を歌いながら、カウンター向こうの流し台へと向かった。上機嫌の姉を上目遣いで見送ると、力はため息をついた。 ーおばあちゃんからのいわつくつきの一品を俺に押し付けて、さぞ、気分がいいに違いない。 力は手のひらの小さな鏡を見下ろすと、それを天井に向け片手で一投げした。鏡は吸い寄せられる様に力めがけて、落ちると、再び、彼の手に戻った。 信じるも信じないも、あなた次第!と、鏡に言われてるようで、力は目を背ける様に、それをポケットにしまいこんだのだった。
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