no.5

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no.5

窓から強い日差しが射し込むと、その明るさから逃げるように、力は寝返りを打った。一年中、開けっ放しのカーテンが風に揺れる。ベッドからだらりと垂らした腕はまるで景品を狙うユーホーキャッチャーのようにあちらこちら、床下を彷徨っていた。 ーーー携帯・・・ お目当ての物を掴み上げ、うっすら開かれた目で、時刻を確認すると唇は「ヤバっ」と動いた。 柴田との約束の時間まで、後、30分。力は慌てて、飛び起きると、思考が追いつく間もなく、反射的に制服を身に着けた。階段を降りる音が、騒々しいのは自覚あり。そのまま、トイレに駆け込み、ジャアーと流水音を背に、洗面所へ直行。目覚めの冷水で顔を洗い、その際に濡れた手で寝癖を直すと、秒で歯を磨き、玄関を出た。 「ちょ、ちょっと、力!」 母の声が、この堰を切ったような一連の流れを食い止めようと試みたが、力は自転車に跨がると、抗うよう、ペダルを漕ぎ出したのだった。 生徒達でいっぱいの体育館は、明らかに女子の比率が高かった。観客席からは伊吹の名を呼ぶ声も聞こえる。 「今日も、熱気が凄いな。まるで、アイドルのコンサートだよね。これじゃあ。」 柴田が、コートの端で、撮影機材を組み立てながら、横に立ち尽くす力に目配せをした。 「学校でも桂の周りはあんな感じです、いつも。」 「モテる男は辛いよね。毎日、こんな感じだと、桂君、参っちゃうんじゃないかな。」 「いや、本人はあまり気にしてないという感じ・・・ですね・・・」 「モテる子は、幼稚園からモテるしね。きっと、桂くんもずっと、こんな風だっただろうから、慣れてるのかな。」 そう言いながら、柴田はカメラのレンズを覗き込み、コートの伊吹に焦点を絞った。試合前だと言うのに敵のチームメートと談笑する伊吹を力も眺めていた。 開け放された体育館の窓むなしく、無風により、屋内は蒸していた。熱中症対策のためと、大型の扇風機が二台、休むことなく強風を送り続けている。風に煽られ、得点ボードの点数シートが僅かに揺れる。審判が前に出た瞬間から、ざわめきは徐々に引きつつあった。伊吹の真剣な面持ちも横顔でよく分かった。スッと高い鼻が、どこか日本人離れしていて、力はそれを、羨ましく感じた。 ー―あんな、かっこよくて、頭も良くて、スポーツまでできる。なのに、なんだよ、あの時の顔は。わけ分かんねぇ。 桜の下の憂いを帯びた伊吹。あの時の彼は誰も寄せつけない何かがあった。今、ここに居る伊吹は堂々として眩しい。記憶と今を漂ううちに、力の伊吹を見る視線が、無意識にも強くなっていた。 実際、間近で見るバスケの試合は、迫力が違った。試合中、ずっと、握っていた手のひらは、汗で湿っていた。チームは伊吹の的確な動きに統率されていた。次から次に入る得点は観客席の歓声を呼び、屋内は熱気に包まれていた。 ピーッ ゲームセットのホイッスルが響き、力の高校の勝利が決まった。荒くなった呼吸を整えながらも、笑顔を見せる選手達がコート中央に集まる。両チーム向き合い一礼し、握手を交わした。興奮冷めきらぬ観客席から伊吹の名前を呼ぶ声が聞こえる。だが、聞こえないのか、気にも止めないのか、無反応な伊吹を見かね、近くにいたチームメートが茶化すように、彼に耳打ちした。一瞬、ハッとした表情の変化を見せ伊吹が、声の方へ顔を向けると、すぐさま、まるで、コートに咲く一輪の華のごとく、微笑んで見せた。 「早乙女くん、今すぐ、桂くんのところに行こう。」 「あっ、はっ、はい。」 観客席の横に置いた機材を背負うと柴田は獲物を見定めたハンターのように伊吹めがけ向かっていった。その後ろに、暑さからか、やや、のぼせ顔の力が続いた。 出場しなかったバスケ部員達の撤収作業は淡々と進められていた。彼らの機敏な動きが体育館の熱を冷ましつつあった。試合中、ずっと関係者席に居たOBであろう私服姿の男性達と肩を並べ伊吹がこの場を去ろうとしていた。 ーー柴田さんには、悪いけど、桂へのインタビュー、やっぱり、断われば良かった。あんな、スーパープレー見せられて、帰宅部の俺に聞けることなんて何一つないよ。 徐々に視界で大きくなってゆく伊吹の背に、力は目を伏せ、消えてしまいたい気持ちになった。バスケットボールのドリブル音ごとく、心臓が大きな音をたてる。 「桂くん!お疲れ様。今日の試合、凄く良かったよ。」 柴田のよく通る声が伊吹の歩調がゆるめると、振り向き声の主の方へ笑みを浮べ、会釈した。しかし、その後、立ち止まることもなく、伊吹は前を向くと何事もなかったかのように再び、歩き出した。柔らかな雰囲気で、そっけなさは感じなかったが、見えない壁を力は感じた。 「行っちゃったよ。。。」 肩を落とす柴田の後ろを次々に部員達が追い越していく。彼らの怪訝な眼差しがその場に立ち尽くす制服姿の力を刺す。校内で陰の薄い力を知るものなどいなそうだ。顧問の一人と目が合いそうになり、力は下を向いた。隣で柴田が首から下げた校内入館パスを顧問にかざし、会釈していた。見慣れた体育館だと言うのに、なんだか落ち着かない。力は隣の柴田を見ると、背中を丸め小声でささやいた。 「いつも、あんな感じなんですか?桂って。。。」 「あっ、え?」 「壁あるな〜って。」 「桂くん、元々、目立つこと好きじゃないのもあるけど、今日は特にOBが来てたでしょ。だから、先輩達の手前、失礼だと思っちゃったんじゃないかな。」 「あ〜。」 目立つことが好きではないらしい。。。そのことが分かると力は先程までの緊張が少し緩んだ。 ーーやっぱり、あいつは、そういう奴なんだ。 観客席からまた一人、また一人、席をたつ気配がする。笑い声、伊吹の名を口にする声、キュッキュッと床が鳴る音が一番響く。柴田は背筋を正すと、ため息混じりの笑い声をもらし、力を見た。 「早乙女くん、せっかく来てくれたのに、悪かったね。。。今日は、難しそうだよ。」 「柴田さん。。。」 「はぁ〜っ。なんかね。呼んでおいて、ごめん。強引さがないんだよな〜、私には。」 「柴田さん、まだ、あきらめるの早いかもしれない。」 「え?」 「桂のインタビュー、できるかもしれない。」 「無理無理。結構、バスケ部のね、ガード固いのよ。しかも、OBが来てるともなるとね。。。桂くんもなかなか、いつも、みたいにはね。。。」 「ぼっ、僕、ちょっと、行ってみます。」 「えっ、あっ、早乙女くん。。。」 柴田のうわずった声を背に、消え去った伊吹を追った。 ーー俺、あいつと話してみたい。 タン・タン・タンタン・タン・タン 体育館の渡り廊下は部員達で埋められていた。背の高い一団に紛れ、頭一つ分でた伊吹が見えた。栗色の柔らかな髪が光を受け輝いている。すぐそこに居るのは分かるのに、どんどん遠のいてゆく伊吹の背が、力を焦らせる。 ーーあ〜!桂、待って! 「桂、ちょ、ちょっと、待って。話があるんだ。桂!待って!一回、と、止まって!」 心の声が思わず、漏れ出すと、当たって砕けろとばかり、部員達の列を縫うように力は進んだ。四方から聞こえる文句には一切耳はかさないと決め、伊吹めがけて、強引に人波をかき分けた。 「桂!」 後方から聞こえてくる自分の名と、部員達のざわめきで、伊吹が振り返った。 「ん?」 「桂!桂!話が聞きたいんだ!少しだけ、時間くれないか!」 ヒューヒューと冷やかす声が力の顔を赤く染めたが、伊吹を振り向かすことができた嬉しさで、力は両腕を上げ、大きく手を振った。が、廊下につまづくと、バランスを崩し、両手をバタつかせ抵抗したものの、その場に、倒れ落ちた。 ダン 床がぶち破られんばかりの大きな衝撃音が廊下全体に響き渡る。乾ききった古木の廊下は硬く、打ちつけられた際の痛みが真っすぐ身体に伝わる。 ーーうっ 派手な転倒は一瞬にして、辺りを静かにした。転んだ痛さより、恥ずかしさでいっばいだった。静寂が自分に向けられた刃のようで、ジンジンと身体に突き刺さる。頭を上げようにも気まずくて、力はペシャンコのカエルよろしく、そのままの格好で動けずにいた。 「大丈夫か?」 伊吹らしき声が近くに聞こえてくる。低音に艶がかった声は、痛む身体に効いた。 「早乙女?」 倒れていても声の主が自分を覗き込んでいるのが分かる。しかも、熱を感じる程の至近距離で。頭は打ってないのに、首から上がカッて熱くなる。部員達のざわめきが羨望を含み、相手が伊吹であると確信した。力は、速まる鼓動を対処すべく、小さく息を吐くと、顔を上へともたげた。 ーー近っ 大きな身体を屈ませた伊吹が、いた。彼の美しい瞳は力から全てを吸い込むように、この場の時を止めた。 ーーこんな、綺麗なの、初めてだ 透き通るブラウンの球体に映る自分の姿を永遠に見てられるかもしれない、と力は思った。昔、ガラス工房で見たガラスの球体。高温で熱され、ガラスの原型はとろける姿で、丸くなってゆく。あの中に入れたら、火傷しちゃうかな。。まだ、幼かった力は目の前で揺らめく球体から目が離せなくなった記憶を思い出していた。 「早乙女く〜ん、大丈夫??あっ、申し訳ない。ちょっと、失礼。」 慌てた様子の柴田が部員達をかきわけ、力の元に駆け寄って来た。彼の登場で、止まっていた野次馬の足も動き出した。 「さぁ、お前ら、動け!ミーティング、始まんぞ!」 OBの中の一人が、止まっていた時計の針を動かすべく、叫び 「伊吹、どうすんだ?」 と、付け加えた。 伊吹の瞳から力が消えて、立ち上がると、 「すぐ、行きます。先、行っててもらってもいいですか?」 と、前に向かって、手を上げた。 廊下を塞ぐ障壁物となった力も立ち上がろうとすると、柴田の身体がスッと力の脇に入ってきて、軽く抱き起こされた。 「痛いところ、ない?」 「あっ、えっ、、あっ、はい。大丈夫です。」 伊吹と柴田に挟まれ、身長167センチの力が、二人を交互に見上げた。伊吹のまっすぐな眼差しで、力の血管がドクドクと脈打ち、身体が熱い。きっと、強く身体を打ちつけたせいだからと、力は腕を擦った。 「で、何だよ。」 「あっ、なんか、ミーティングあるのに、ごめん。実は」 なかなか、その先が言葉にならなかったが、柴田の無言の圧が、喉の奥から伝えたいことを押し出した。 「あっ、あの、もし、桂さえよければ、インタビューさせてほしいなって。」 「早乙女が?俺にインタビュー?」 「そっそう。だから、追いかけてきたんだ。」 「あ〜、そ〜う言うこと。」 伊吹の困惑した表情は幼さを含み、小さな男の子が、無理難題を言われ、返事に困ってしまっている。そんな顔をしていた。力は思わず、そんな伊吹を可愛いと思い、心中悟られまいと、慌てて咳をした。 「桂くん、説明するとね、今日、私はカメラマンに専念させてもらって、友人でもある早乙女くんに、インタビューを頼んだわけです。」 腕を組み、眉間にしわを寄せた伊吹に、柴田がすかさず、言葉を添える。 「って言うことなんだけど。。。いい?」 「はぁ〜、早乙女が俺にインタビューをね。。。 まぁ、いいっちゃいいけど。お前、俺に何聞くつもり?しかも、できんの?」 伊吹の頬が緩み、目が優しく弧を描いた。 ーーこいつ、クラスで影の薄い俺を馬鹿にしてる?! 背丈に差がありすぎて、見上げて抗議するしかできない力は頬をふくらまし、唇を尖らせて見せた。今にも笑い出しそうな伊吹に、悔しくて、力も腕を組んだ。 ーー我ながら、子供っぽい。伊吹と俺とじゃ、まるで、獅子と子猫ほどの差があるんじゃないかな。 「俺だってな。。。」 「う~ん、わかった。わかった。ミーティング後でいいなら、時間あるけど、それまで、あの辺りで待つ気ある?」 伊吹の長い腕が伸び、中庭の日陰ったベンチを指した。校庭ではスプリンクラーがシュシュと音を立て回っていた。彼の言葉に、思わず、力と柴田は目を合わすと、頷きあった。 「待つよ。」 「結構、待たせることになるけど。。。」 「待つ。大丈夫。」 「そうか、分かった。じゃあ、それなら、後で。」 と頷くと伊吹は、柴田に軽く頭を下げ、立ち込める草の薫りを纏った風と共にその場を後にしたのだった。 後ろ姿を見送りながら、力は胸がざわめいていた。夏の暑さのせいと、汗で湿ったティシャツを手で掴むと、中に空気をパタパタと取り込んだ。 「あっちぃ。」 それでも引かない熱は、まさか、走り去る誰かのせいだと気づくこともなく。
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