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no.6
「早乙女くん、先週のお礼。好きな物、注文して。」
日曜日の昼下がり、駅前の喫茶店は涼を求めに来た客で賑わっていた。
コーヒーとナポリタンが混ざったみたいな薫り漂う店内は、外の眩しさとは対照的に暗く、暑さから逃れてきた客達のオアシスとなっていた。テーブルの上から注がれる僅かな照明の光が、太陽で疲れた目に優しい。
「お礼だなんて、、、この前は、僕、ただ、楽しく話してただけなんで。。。」
「まぁ、そんな、恐縮しないで。若きインタビュアーの誕生を祝って、さぁ、お好きなのどうぞ。」
柴田から差し出されたメニューを力は申し訳なさそうに受け取ると、何度かそれを表裏ひっくり返しながら、懐かしそうに目を細めた。
一枚にラミネート加工されたメニューには、クリームソーダからお汁粉、さらには、生姜焼きなど、バラエティーに富んだ写真が貼ってあり、どれも、力にとっては馴染みの物ばかりであった。
「うわぁ、これ、まだ、あるんだ〜。」
力がメニューを覗き込むと、柴田もテーブルを挟んだ向こう側から顔を寄せた。
「早乙女くん、地元だもんね。よく、ここには来るの?」
「いや〜、ここ来るの、めちゃめちゃ久しぶりです。」
「早乙女くんのおすすめって、この中のどれ?」
「やっぱ、これです。トーストアラモード。トーストの上にプリンと、フルーツ、生クリームのってて、凄い、上手いんです。」
「へぇ〜、なかなか、斬新だな。」
「僕、小学校の時、野球クラブ入ってたんですけど、あんまり、野球好きじゃなくて。けど、たまに、父親が、野球終わりにこの店に連れて来てくれるんですよ。それで、決まって頼むのが、これなんです。まだあったんだ〜。なんか、嬉しい。」
力の柔らかな眼差しが、テーブルの上のメニューに注がれると、柴田は微笑みながら、手で、カメラを構えるポーズをした。
「今、早乙女くん、少年みたいないい顔してる。そんな顔されたら、撮りたくなるな〜。」
「えっ?僕、そんな、顔してました。。。?なんか、恥ずかしい。」
力が赤くなった耳を触り、はにかんだ。
「その顔もいいな〜。そうそう、早乙女くん、あらためて言わせてもらわないと、、先週は本当にお疲れ様でした。とても、いい記事になったよ。あんなに、リラックスして話す桂くんをカメラに納めたの、僕、初めてなんじゃないかな。」
「僕も楽しくて、なんだか、インタビューだってこと忘れてしまいました。」
「桂くんの好きな食べ物、音楽、行きたい国、バスケットボールを初めたきっかけとかね。彼、沢山、話してくれて。」
「なんか、話が尽きなくて、、、けど、あいつより、実は僕の方が自分のこと話してたって言う、、、。」
「あははは。確かに。桂くんは、君の話を、ニコニコと聞いてたね。あの表情も最高だったよ。」
「なんか、すみません。」
「そんなことないよ。今まで、何回かインタビューしてきたけど、桂くん、笑顔見せないから、、、。」
「そっ、そうなんだ、、、」
初めて、伊吹と話した日。どっちがインタビュアーか分からないくらい、夢中で話してしまったっけ。知りたいより、知ってもらいたくって、頭の中で考える前に心が伝えたがって、止まらなかった。
「好きなタイプはね、さすがに、聞けなかったね〜。ガールフレンドの存在とか!はははっ。」
「そっ、そこまでは、ちょっと、、、」
「それを聞けてたら、大スクープだったんだけどな〜。」
「ごっ、ごめんなさい。」
「な〜んて。ふふふっ。早乙女くん、真に受けてる。冗談だよ。冗談。可愛いな〜。」
「、、、」
ミーティングを終えて、約束の場所に来た伊吹は、申し訳なさそうに、力と柴田の前に現れると、冷えた飲み物を二本、ベンチに座る二人の目の前に差し出した。伊吹に無理なお願いをしたにも関わらず、こんなさり気ない優しさまで掛けてもらうなんてと、なんだか、力は恐縮してしまった。
あの日、ベンチに座り、力からぽつりぽつりと話を切り出すと、伊吹が徐々に話に乗り始めた。同級であることで共通の話題もあり、会話は盛り上がりを見せていた。会話の途中、伊吹の手のひらが力の前に「比べてみようと」出されると、一瞬、戸惑いを隠せなかったが、伊吹の提案のまま、静かに自分の手を彼の手に合わせた。触れ合ったのは数秒で、手を離すと、暫く、触れたところが、ジンジンと熱を持った。途切れず続く、たわいもない会話に、カメラのシャッター音もリズムをそえた。
親友の熊沢もそうだが、ごく自然に会話が続き、話には困らない。伊吹もそう感じていてくれてたようで、柴田に、そろそろ、と切り出されるまで、夢中で二人話していた。
「アイス珈琲のお客様は?」
柴田が軽く手を上げる。
「トーストアラモードは、僕で。」
力は、我ながら子どもっぼいなと、少し恥じらいながらも、小さく手を上げると、柴田が優しく微笑んだ。
「これが、早乙女くんのおすすめのやつ?メニューで見るより、ボリュームあるね。トーストなんか、生クリームで、見えないくらい。。やっぱり、おっさんの僕には無理があるな〜。」
「一口、食べてみません?凄く美味しいから。」
「いや、遠慮しておくよ。」
柴田がアイスコーヒーをストローで飲みながら首を横に振り、笑った。
「美味しいのにな。」
「その顔!なんだか、子ども時代の早乙女くんに会えた気分になるな〜。」
「僕、基本、小さい頃と顔変わってないので。。」
力はスプーンで、プリンを大きく掬い取った。
「早乙女くん、これ、少しだけど。この前の報酬。そんな、いくらもなくて、申し訳ないけど。」
「えっ?!報酬?僕、ただ、楽しく話しただけなのに。。。こんな、悪いです。柴田さん、ダメです。」
「そんなこと言わないで、受け取って。これは、君の仕事を評価した会社からなんだよ。僕からは、これ。」
柴田が鞄から茶封筒を取り出すと、指でスッと力の前まで、押し出した。
「これは?」
「早乙女くんと、桂くんの写真。あの日の記念に。」
「あの日の。。。」
「中、開けてみて。」
力が遠慮がちに、茶封筒を開けると、あの日、最後にと、二人並んで撮ってもらった一枚が出てきた。
校舎の壁を背にカメラを見据える二人。伊吹も、力も微笑んでいる。ちょうど、夕焼け空が窓に写りこみ、まるで、それは青春の美しい一場面を切り取ったようであった。
写真の中の伊吹は、文句なしに格好良く、隣の自分は、あまりにも平凡で、不釣り合いと言う言葉が力の頭の中ではじけて、消えた。「もしかしたら、熊沢みたいに仲良くなれるんじゃないか?」なんて、迂闊にも思った自分が恥ずかしい。。。伊吹と自分では、圧倒的な差がある。。。
それに、
写真の中の伊吹と目が合う。
熊沢と違うのは、明らかだった。伊吹と話していると、ずっと、胸のドキドキが止まらなかった。自分の言ったことで、伊吹が笑ってくれたり、自分の話しを真剣に聞いてくれる彼の姿は、力を幸せな気持ちにし、伊吹の一つ一つの仕草を目に焼き付けたくなった。
「いい、写真でしょ?なんか、二人初々しくて。」
「はい。写真、凄い素敵です。けど、なんか、こう見ると、恥ずかしいな。」
「封筒にもう一枚、入ってるから桂くんにも、渡してくれるかな?」
「ぼっ、僕がですか?」
「そうだよ。早乙女くんが。くれぐれも、よろしくと伝えといてくれるかな?」
「あっ、はい。」
力は、頷くと、写真を折らないよう、慎重にリュックにしまった。
ーーまた、あんな風に話せたらいいけど、、、
力はそう思うと、生クリームまみれのトーストを勢いよく、口に運んだのだった。口の中が一気に甘さでいっぱいになる。力は、変わらぬ思い出の味に、思わず満面の笑みを浮かべ、首を前後に揺らした。
「美味しそうに食べるね。早乙女くん。あっ、ここついてるよ。」
そう言うなり、柴田が身を乗り出し、彼の骨張った長い指で、力の口元に付いた生クリームを拭きとった。
「あっ、すっ、すみません。。。ついてました?」
「かなりね。」
柴田の不意の優しさに、力は頬を赤く染めると、ちょうど、隣席との仕切りになっている観葉植物を盾に身を屈めた。
「うん。甘い。生クリーム久しぶりに舐めたよ。」
イタズラな目つきで、柴田が、指についた生クリームをそのまま、ペロリと舐め、笑った。
「しっ、柴田さん。。。!」
「早乙女くん、そんな、困った顔しないで。冗談、冗談。可愛いな、早乙女くんは。いろんな表情見せてくれるから、飽きない。」
「そうですか。。。?僕、そんな、表情豊かかな。。?」
「僕の目はファインダーだからね。その人の本当の姿が映るんだ。君は陰キャなんかじゃないと思うけどな。」
「・・・」
「僕が、君を、、、」
そう言葉を残して、柴田が力から目を反らした。
ーー柴田さんはいつだって、優しい。もし、自分に兄がいるなら、柴田さんみたいな人が、、、いいな。
頭の中で力は、優しい兄が、幼い自分の肩にそっと手を置く、そんな光景を頭に思い浮かべた。が、現実は、怪しげな魔法の鏡を渡したっきり、渡したことさえ、忘れてしまったかのような姉が一人。思わず、ため息が漏れる。
ーーやっぱ、魔法だなんて、俺、あいつに騙されたのかも。
トゥルトゥルトゥル
突然、柴田の携帯電話が鳴り
「ちょっと、早乙女くん、ごめん。」
と、柴田は手ですまないのポーズをとり、外へ出て行った。ガラス越しからうっすら見える柴田は、無造作に片手をポケットに入れながら、神妙な面持ちで、電話相手と話をしていた。まもなく、彼が戻ってきて、相手が彼女だったことを知った。
「柴田さんの彼女って、どんな人なんだろう」と真っ先に思った力は、それとなく、柴田に聞いてみると、彼女との出会いが仕事だったこと。つかず離れずの関係で、居心地は悪くない、と柴田の口から発される大人なセリフに住む世界のギャップを感じてしまった。
「早乙女くんは、誰かいないの?」
話しの流れから、自分のことを聞かれるだろうなとは思ってはいたが、ここは見栄をはることなく、まだ、付き合ったことは一度もないことや、誰かに恋したこともないことまでも、プチカミングアウトのごとく、兄みたいな柴田に伝えると、力は少しばかり、気分が軽くなった。
「ドキドキしたりとかはあるでしょ?そう言う気持ちから、好きって始まるよ。」
柴田さんは、さらりと言ったつもりだろうが、その言葉は、力を動揺させるには十分すぎた。
「あれ?早乙女くん、顔真っ赤だよ。」
「あっ、えっ?」
「誰か思いあたる子いるんだ~。分かりやすくて、本当に、早乙女くんは、可愛いな~。」
「なんか、今日、柴田さんに、たくさん可愛いって言われてる気します。。。」
「あはははっ。ごめん。ごめん。高校生男子に可愛いはないよな。」
「別にいいですけど。。」
頭の中にポッと現れる伊吹の顔を力は慌てて打ち消す。
ーーいやいや、違う。相手は男だぞ。。。
「あっ、誰かのこと考えてるね。君は分かりやすいな。」
柴田が、力の顔色を敏感に読み取り、鋭くツッコむ。
「。。。」
「そんな顔するなんて。僕も、そんな風に想われたい。。。」
「えっ。。。」
店内のBGMが、昔もこの席で聞いたあの曲だと、気がつく程の沈黙が走る。柴田から始終発せらる「可愛い」のワードが力の脳内を掻き回す。と、
「柴田さん、格好良いし、優しいしから、きっと、彼女さんも、柴田さんのこと、凄い大好きで、凄い想っていると思います。」
力はそれを伝えると、テーブルの上の水をごくごくと飲み干した。持ち上げたグラスから水滴がぽたりぽたりと垂れる。
「あはっ。そうかな。いや〜、早乙女くんからそんな風に言ってもらえると、なんか、嬉しいよ。ははははっ。」
トゥルトゥルトゥル
再び、柴田の電話が鳴り、携帯電話の画面をちらりと確認した柴田は、
「また、かけ直せばいいから」
と、電話にでることななかった。が、数分経ち、再び、電話が鳴ると、二人急かされるように、店を出た。
「また、連絡するよ。あっ、その前に朝のランニングコースで、かな?」
「そうですね。また、走ります。あっ、今日は、いろいろとありがとうございました。後、ごちそうさまでした。」
夏の午後の日射しは強くて、店から出て、その場に数分立っていただけで、背中に汗をかくほどであった。
「じゃあ。」
二人、言葉を交わすと、それぞれが別々の道を歩きだした。浴衣を着た人達がちらほら居る。何処かで夏祭りでもあるのだろうか。何気なく力が、後ろを振り返ると、携帯電話で誰かと話す柴田の姿が陽炎の向こうに見えた。
「あちぃ。」
リュックには、伊吹の写真。一枚はとても軽いはずなのに、重い。
力は停めていた自転車にまたがると、街路樹の緑の隙間から顔を出す太陽を仰いだ。
「明日、桂に写真渡せるか、俺。」
カラカラに喉が乾いていた。高校生になった自分に、トーストアラモードは甘すぎた、、と、力は思った。
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