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no.7
翌朝、早る気持ちで自転車を漕ぐ、力のリュックには柴田から預かった写真が入っていた。
あのインタビューで、伊吹との距離が縮まったように感じた力ではあったが、一夜明けると、夢から醒めるのと同じで、伊吹と話す自信を消失していた。
今朝、ジョギングコースで柴田には会えなかったのも、あの日をおぼろげに遠くした。
今まで、伊吹との接点がない分、彼の友人達を掻き分けてまで、彼の世界に踏み込む勇気はない。
ー―伊吹にしたって、迷惑なんじゃないか。たった、一度、話したくらいで、馴れ馴れしく話しかけたらでもされたら・・・
リュックの中の写真は、この前よりも存在感を増していた。学校が近くなるにつれ、サドルを漕ぐ足が重くなっていった。
授業が終わり、一旦、15分間の休み時間になると、ざわめき立つ教室から、一人出ていく伊吹を力の視界が捉えた。あいつの領分に入る名目はここにあると覚悟を決めると「今だ」と、力は席から立ち上がり、伊吹の後ろを追った。写真入り茶封筒は伊吹と繋がるための頼みの綱。しかと、手に持ち、伊吹の背を追いかけた。
廊下には、連れ立ってトイレへ向かう女子達の姿や、授業の合間の息抜きとばかり、はしゃぐ男子達の姿があった。騒がしいから一歩踏み出す教師達の背からは、安堵の息すら聴こえてきそうだ。
片手をポケットに突っ込んだ伊吹が、飄々と廊下を通り抜けて行く。彼の自然なウェービーヘアーが窓からの風で流れる。無防備な彼の後ろ姿に力の胸がギュッとなる。
自動販売機が見えてきて、伊吹の足が、その前で止まると、数秒の静止を経て、指はお目当てのボタンを押した。
「かっ、桂。」
自動販売機の周辺の女子達の視線が痛い。
「あっ、あのさっ、」
蚊の鳴くような声でも届いたのか、ただ単に伊吹の感が鋭いのか、彼の首がゆっくりと力の方へ向いた。
「ん?早乙女。」
唇をペットボトルの飲み口にあてた伊吹の目が力を二度見する。
「ん?」
「あのぉ。桂、これ。」
もじもじしている時間はないと、伊吹の目の前に力が、勢いよく茶封筒を差し出した。
「この前の、写真。」
「この前、、、。あっ、あ〜」
「そっ、そう。」
「俺に?」
「うん。」
「なんの、写真だっけ・・・?」
首を傾げ伊吹の腕が茶封筒まで伸びてくる。思わず後ずさりをしてしまい力はよろめいた。が、唾をゴクっと飲み込むと、ごく自然に体勢を立て直した。瞬間
「伊吹!」
よく響く高い声がどこからともなくすると、一人の女子が伊吹の元へと駆け寄ってきた。
間美波。隣のクラスで確か、美術部所属。力は学年全ての生徒を知ってるわけではないが、この女生徒の絵がコンクールに選ばれ、学校に寄贈されたことは、有名な話で、力も彼女の存在は知っていた。美波が息を切らしながら、伊吹の腕を掴み、ゆする。
「ねぇ、ねぇ、私、古文の教科書忘れちゃった。どうしょう。山口って、忘れ物に厳しいから、減点されちゃう。伊吹、今日、古文の教科書ある?あるなら、貸してくれないかな?」
「別に、いいけど。」
「わぁ、助かった〜。」
「けど、なんで、いつもいつも、俺なんだよ。他にもいるだろ。」
「だって、伊吹が、一番、頼みやすいんだもん。同中のよしみで、いいじゃん。」
「まぁ、いいけど。」
「ふふふっ。」
向かい合う二人の横で、力は所在なさげに足元を見ていた。握った茶封筒が視界にはいる。
「あれ?もしかして、話し中だった、、、?ごっめん。」
大きく見開いた美波の目が立ち尽くす力を捉えた。前から綺麗だとは思っていたが、彼女の透き通る瞳を間近に、力は持ち上げた顔をすぐさま、下げてしまいたかった。
「俺の机ん中から、教科書、勝手に持ってって。」
「あっ、うん。じゃあ、そうさせてもらうね。伊吹、いつも、ありがとうね。」
「おう。」
「で、悪い早乙女。」
遠ざかる美波から視線を移し伊吹が力を見下ろした。伊吹の投げかけにハッとした力が少しよれ気味の茶封筒を慌てて、伊吹に差し出すと
「あの日、空、綺麗だったよな。」
と、笑みを浮かべながら、写真を取り出した。伊吹の顔が柔らかくなってゆく。彼のその様子に力の表情もほころんだ。
「ありがとう。すげぇ、気にったよ。」
そう言って伊吹は口角を上げると、写真をもう一度、見て、慎重に茶封筒に戻した。
「カメラマンさんにも、よろしく言っておいて。」
そう言うと、伊吹は微笑み、踵を返した。ゾロゾロと教室へと歩きだす群れが伊吹を呼ぶ。彼は手を上げると、颯爽と声の方へと向かって行った。
ーー終わってしまった。。。伊吹との会話はものの三分で終わってしまった。。。
力の中に物足りなさがポツンと残る。遠のく伊吹の背には未練のみの字もないようだ。あの日にいつまでも、頭を占領されているのは自分だけで、毎日、沢山の友達と充実した学校生活を送る伊吹にしてみれば、あの時弾んだ会話など、社交辞令にすぎなかったのかもと思うと、力は、「だよな」と一言呟き、その場を後にしたのだった。
4限は体育で、バスケの試合だった。クラスメート達からの要望で、伊吹は利き手の左ではなく、右を使うハンディありの参加であったが、さほど、苦戦することなく、カットインシュートを決め、3ポイント連続で得点を入れると歓声とブーイングが体育館に響き渡った。仲良くなれるんじゃないかなんて期待した俺がバカだったと壁に寄り掛かり、盛り上がるゲームから力は目を反らした。
昼休み。沈んだ気分を上げるべく、力は、屋上まで続く階段をのぼる。昼飯は青空の下、で食べることに決めて来た力は、風通しのいい、日陰のベストスポットに腰を下ろした。
「あ~、気持ちいい~。」
腹の底から、心の声が漏れる。
ざわめきの教室から外れ、誰の声もしないこの場所に居ると、群れから外れてしまった若干の後ろめたさを感じる一方で、ほっとする自分も居た。
長い間、自分の気持ちを親にすら言うことができない、消極的な子どもだった。そんな、自分だったから、父も分からなかったんだと思う。自分の息子が何を思っていたのかを。膝を怪訝したことで、父親が敷いたレールから外れると、自由を感じた。初めてだった。その時から、もう、自分を見失いたくないと思ってきた。
空と自分。深呼吸ができた。
雲が穏やかに流れてゆく。
ーー伊吹に写真を渡すことはできた。それで、充分じゃないか。
その言葉を飲み込むと、無性に腹が空いてきて、力は弁当を掻き込んだ。
「あれ?」
遠く向こう同じく屋上に、間美波の姿が見えた。何やら神妙な面持ちで誰かと話しているようだった。話している相手はちょうど、塔屋に隠れ見えない。
ーーあれ、泣いてる?まさか、違うか。。
スカートが風に揺れ、青空を雲が流れて行く。美波の足元の二人分の影は濃く、その微かに揺れる黒い人型は力の目にくっきりと焼き付いた。
ーー間さん、誰と・・・?
時は流れ、伊吹との距離に何の変化もないまま、季節は春を迎えていた。あの時、伊吹に持った親しみや淡い期待は薄れゆき力は二年に進級した。窓から芽吹きの薫りが吹き込む。新しい教室、担任、そして、クラスメート達。力が辺りを見渡すと、窓は一面桜色で覆われていた。そのすぐ側に伊吹と美波。人目を引く美男美女は、力の新生活、そこに、いた。
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