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男はいつものように満員電車にゆられていた。
どうやら人身事故があったようだ。電車は一駅ずつのっそりと進んでいる。
会社には間に合うだろうか。一応電話を入れた方が良いだろうか。いや、問題ない。窓際族となった今では自分がいなくて困る仕事なんてないだろう。そんなことを考えながら男はぼんやりと窓に映る景色を見ていた。
男は50過ぎの独身だった。優しく穏やかな性格だったが、器量が悪ければ、稼ぎも悪い。それが災いして女にはおよそ縁がなかった。
相棒は犬のポチだった。仕事が終わって、夕食をすませたあとはポチを連れて散歩に行くのが日課になっていた。
男は都心に1人で暮らしていたが、地方に両親がいた。両親は2人共ガンに罹患しており父は通院、母は入院をしていた。男は心を痛めてはいたものの、実家に戻らない日々が続いていた。
ようやく電車が会社の最寄り駅に着いた。
男は額に浮いた汗をスーツの袖でぬぐいながら、ホームへと降り立った。電車が遅れたことが関係しているのだろう。ホームはいつも以上にごった返していた。
そんな時、不意に肩をたたかれ、声をかけられた。
「これ落としましたよ」
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