0人が本棚に入れています
本棚に追加
ある噂が巷で囁かれていた。その噂とは、世にも珍しい落とし物専門の探偵がいるというのだ。しかも必ず依頼人の落とし物を探し当てるという。
「ふぅ~、やっと着いた」
私はモダンな雰囲気漂う喫茶店を眺めた。店先には『純喫茶 シャルル』の立て看板が立っている。私は一度深呼吸をすると意を決して喫茶店の扉を開いた。
カランコロンカラン
恐る恐る扉を開けると、私の鼻先を香ばしいコーヒーの匂いがくすぐった。店内には落ち着いたジャズが流れていて、年若いバリスタが丁寧にグラスを磨いていた。
「いらっしゃいませ、こちらの席へどうぞ」
彼は柔和な笑顔を浮かべると、私にカウンター席に座るように勧めた。けれど私はその声に反応することができなかった。
「あのー、どうかなさいましたか?」
「あっ…、いやなんでもありません!」
私は彼に見とれていたことを自覚し、顔が熱くなる。彼は滅多にお目にかかれないほどイケメンだった。恥ずかしくて彼の顔を見ることができない。
「ご注文はいかがにしましょうか」
「えっとー…アイスコーヒーで」
「かしこまりました」
バリスタがコーヒー豆を挽いている間に店内を見渡してみる。テーブルと椅子は木でできており、光沢が美しい。窓からは柔らかい春の日差しが差し込んでいる。奥のテーブル席には男性が一人新聞紙を読んでいる。
「どうぞ、ご注文のアイスコーヒーです」
「あっ、ありがとうございます」
私はコーヒーを一口飲むと名も知らないバリスタの顔を盗み見た。私はある噂を頼りにこの純喫茶店に来た。落とし物専門の探偵がこの店にいるというのだ。私はその探偵に依頼を出すためにこの店に来た。…本当に探偵がいるのか聞いてみないといけない。
「あのーすいません。ここに探偵がいるって聞いたんですけど…」
「ああっ、依頼人の方でしたか。彼なら後ろにいますよ」
「えっ」
私が振り返るとそこには新聞紙を片手に男性が立っていた。どうやら新聞紙を読んでいた彼が噂の探偵らしい。
「…何の用だ」
「えっ…、いやっあの」
私は焦って何も言えなくなった。理由は彼の容姿が怖すぎるのだ。冷たく鋭い目、眉間に刻まれた深いしわ、全身黒色コーデの服が威圧感を観る人に与えてくる。
「こらこら、わすれさん。依頼人が怖がってるじゃないですか」
「人を見て勝手に怖がる奴が失礼ではないか」
「わすれさんはただでさえ目つきが悪いんですから、もっと笑ってみたらど
うですか」
「俺には必要ない」
隆二と呼ばれた男はばっさりとバリスタとの会話を終わらせると、私に向かって話しかけてきた。
「俺は形見わすれ、落とし物専門の探偵だ。さっさと依頼について話しても
らおうか」
「えっと…はい、分かりました。では、場所を変えたほうが…」
「必要ない。今ここで話せ」
「ええ…」
私は目でバリスタに助けを求めるが、彼は首を横に振った。…どうやら彼にはこの探偵を止めることはできないようだ。…仕方がない、私も覚悟を決めよう。
「実は…大事ペンダントをなくしてしまったんです」
「それはいつ、どこで」
「ええっと、二週間前に桜木公園で」
「わかった。なら行くぞ」
「はいっ?」
私が思わず聞き返すと彼はめんどくさそうに繰り返した。
「今から行くぞ」
「…冗談ですよね」
「俺は冗談が嫌いだ。桜木公園なら歩いてすぐそこだ、さっさと行くぞ」
そういうと彼は店を出て行ってしまった。
「えっちょっ、まだ私お会計が…」
「いいよいいよ、今度来てくれた時に払ってくれれば。それよりも彼を早く
追ったほうがいいといいと思いますよ。彼は人の話を全然聞きませんか
ら」
「ありがとうございます!ちゃんと払いに来ますから‼」
私は急いで店を出て、彼の後を追った。五分後、私が桜木公園につくと彼はベンチに座って優雅にくつろいでいた。
「あのー、落とし物は探してもらえないんでしょうか?」
「見つからないと困るのか」
「はいっ?」
私は思わず形見さんの顔を凝視する。何を言っているのかわからないからだ。
「当たり前ですよ!ですからあなたに依頼を…」
「男からもらった物だからか」
「…えっ、何を言ってるんですか。私は男性からもらったなんて一言も…」
「勘だ。だがそのぐらい俺にはわかる」
「…………」
私は何も言えなかった、混乱していた。どうしてこの男はそんなことが分かるのか、ただただ不思議だった。
「どっ、どうしてそのことを」
「俺はこの仕事をずっとしてきたからな分かるんだよ。依頼人が嘘をついて
いることぐらいはな」
彼はそういうとベンチから立ち上がり、私と向き合った。
「あんたはここでペンダントをなくしたんじゃない。自分で捨てたんだろ、
違うか」
「……」
「喧嘩をしたのか、それとも失恋か…。とにかくあんたは何らかの原因から
男との間に溝が生まれた。そして衝動的にペンダントを捨てた。しかし、
そのあとにあんたは後悔した。だから俺に依頼した…違うか」
「……」
私には彼の言葉を否定する力は残っていなかった。しかし、なぜだか口からは勝手に言葉があふれ出ていた。
「彼氏とは五年も付き合っていたんです。けれどある日、彼が浮気をしてい
ることに気づいて…。彼と大喧嘩した後の帰り道でついとっさに捨てたん
です。彼からもらった誕生日プレゼントのペンダントを」
一度あふれ出した言葉を止めることは私にはできない。
「けど、そのあとに彼から謝られて…『もう一度俺を信じてくれないか』と
いわれたんです。だから…私も彼のことを信じてみようと思ったんです」
「だが、ペンダントは見つからなかった」
「そうです…、だから私は依頼をしたんです!彼との仲を戻すために必要だ
から」
「なんで仲を戻す必要がある」
「えっ」
私は彼の顔を呆然と見つめた。いつの間にか私は涙を流していたが、にじむ視界の中でなぜか彼の顔だけは鮮明に見えた。彼はひどくつまらなさそうに私を見ていた。
「聞こえなかったなら繰り返してやる。仲を戻す必要があるのか」
「な…なんでそんなことを」
「俺にはあんたがまだ嘘をついているように思えるからな」
「そんな、あなたに嘘をついてることなんてもう私には…」
「俺じゃねえよ。あんたは自分自身に嘘をついてるだろ」
彼はそういうと私の目をのぞき込んだ。その瞳は粗い言葉遣いと違って、意外にも優しい輝きを放っていた。
「どうして仲直りする必要がある。相手は浮気したんだろ」
「そ…それは…」
「俺は落とし物専門の探偵だ。あんたが本当になくしたものはペンダントな
んかじゃねえ、心だろ」
「心…ですか」
「そうだ心だ、いい加減自分に嘘をつくのはやめろ」
私は彼の言葉を聞いて心が軽くなるのを感じた。そしてそこから高ぶる感情が抑えられなくなり、私はただただ泣き叫んだ。泣いている私の耳に帰っていく彼の声が聞こえた。
「俺は落とし物専門の探偵だ。あんたがなくしてた感情、確かに見つけた
ぞ。また、依頼があったら俺のもとに来たらいい」
『純喫茶シャルル』そこには世にも珍しい落とし物専門の探偵がいるという。今日もまた、依頼人がその扉を開く。
「いらっしゃいませ。こちらの席にどうぞ」
最初のコメントを投稿しよう!