母の危篤

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 いつからピアノの気持ちがわかるようになったんだ、私は思わず鼻で笑う。馬鹿みたいだ。私はいつだって馬鹿みたいでどうしようもない(くず)だった。  雑多に重ねた冊子の中からごそごそと楽譜を探した。母のために何か弾こうと思い立ったのだが、約十五年経ってどれだけのものが弾けるかはわからない。しばらく漁ってようやく初心者用にアレンジされた「別れの曲」の楽譜を見つけ出した。突然弾き始めても指が動くわけもないので指練習の基本から始める。  ドミファソラソファミ、レファソラシラソファ……ドーミファーソラーソファーミ、レーファソーラシーラソーファ……  白鍵から跳ね返ってくる力が指の腹を刺激して心地いい。指から腕、肩、胸、腰、足、体全部に飛び上がりそうなほどの力がかかってうち震える。弾くってこんなに力がいることだったんだ。今までずっと忘れていたことを頭が刺激されたことにより、少しずつ思い出されるようだった。  しばらく弾いていると両手の小指と薬指が固まりだし、つりそうになってきたがそこはぐっと我慢する。耐えることが指練習の基本であり、上達の早道だ。  何を始めたのかと父が少しこちらを見にきたが、たいして気に止めているようでもなかったので、私はそのまま基本練習を続けた。子どものころは嫌いで嫌いでしょうがなかった基本練習。何のメロディーもないし、指が疲れるだけで何のおもしろみもないと思っていた。  でもメロディーはいつもそこにあった。メロディーと理解できなかっただけなのだ。いつだって当然のようにそこにあって、体が理解しても頭で理解できなかっただけなのだ。  ある程度満足してようやく楽譜を眺める。黒い線とおたまじゃくしが重なり合っているだけで、何かの曲になっているということが不思議でしょうがない。小さいころにそう習ったので、今でもうじゃうじゃとしたおたまじゃくしの群れが楽譜から飛び出して、その辺を泳ぎ回っているようにしか見えなかった。  思い切って「別れの曲」を弾き始めたが、楽譜を見なければ一気にいくつも音を外してしまうくらいの拙さだった。楽譜を見てもなお音を外す。楽譜を読むのも苦手だったことを今になって思い出した。おたまじゃくしは未だに空中浮遊をして、私を惑わしからかっているようだった。  都合の悪いことは全部忘れているものなんだな。昔は暗譜までしたはずなのに。証拠として楽譜に片仮名のアが丸で囲まれたものが記されていた。つまり、暗譜して先生に合格をもらいましたよ、というサイン。  私は下手くそなまま弾き続けた。今さら上手くは弾けない。問題は上手さや技術ではなく気持ちだ。 「あれ、あ、違う、はは」  ついつい言葉が漏れてしまう。最後に弾き終わったときは、汗だくで顔の筋肉は緩みっぱなしだった。自分の下手さに笑いが止まらない。もうこの時点で、母のことより最後まで弾いたぞ!という達成感の方が勝っていた。母に申し訳ない気持ちになったがきっとわかってくれる。母ならわかってくれる、そう思ったらさらに笑いが込み上げた。笑いで自分の薄汚れた真っ黒な心臓がビリビリと痺れた。  
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