13人が本棚に入れています
本棚に追加
同期、高松
女性を好きになったことがない。いつか会社の同期の高松に言ったことがある。無口な私は、仕事中でさえ、重要なミーティングを除き声を発することはほとんどなかったが、不思議と高松には何でも話すことができた。たまたま私がしゃべっているのを見かけた人がいるとするならば、十中八九そのときの相手は高松だと断言できる。
「女の子を好きになったことがない?一度も?」
「一度も」
「誰かあるだろう」
「お母さんくらいかな」
「マザコン?」
「お母さんを好きなことがマザコンだと言うならそうだろうね。でもそれを言うならファザコンでもある」
ファザコンと呼べるほど父を好きだった記憶はないが、ここで母親だけ好きだと豪語しても恥ずかしいし、ずっと家族のために働いてくれた父に対しても申し訳ない気がして少し嘘をついた。私はこういう小さな嘘をよくつく。そういうつまらない嘘の塊でできた人形。
「家族以外では?」
「そうだなあ……お前のことは好きだよ」
冷房でキンキンに冷えた部屋の中でも額に汗を滲ませている高松の、チークを塗っているみたいに赤く熟れた頬がぶら下がった顔を正面から見つめた。
ダメだ。我慢しきれず途中で吹き出してしまう。高松が私に白目を向ける。
「キモい。まあイケメンに好かれて悪い気はしないけどね」
「イケメンじゃないだろ」
「イケメンだよ。よく言われない?」
「そうだね、よく言われるけど」
「……殴っていい?」
声を上げて笑う。私が社内で声を出して笑うのもほぼ高松の前だけ。同じフロアに百人以上の社員が働いていたが高松の前だけだ。
自分で自分のことをイケメンだと思ったことは一度もない。目も細く唇も薄く、塩顔で幸薄そうだし、病気みたいに青白くて、あや取りの糸みたいな血管が顔や腕に何本も浮き上がっていて気持ち悪い。
夜、家で暗がりの中、鏡の前に立つと屍のような自分の青白い顔が仄かに浮かび上がってびっくりすることがある。一度や二度ではない。本当によくあるのだ。
これが生きた人間の顔なのかと自分でも疑念を抱かずにはおれない青白さで、生きているのか確かめるため鏡にそっと右手を伸ばすと、鏡の中の自分がほくそ笑むのでよっぽど彼の方が生気を帯びていると思われる。鏡の自分に負ける自分、そんなイケメンがどこにいる。鏡の中の彼と代わりたい。
最初のコメントを投稿しよう!