母の危篤

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母の危篤

 ピアノを好きだと思ったことは今まで一度もなかった。  それなのに鬱蒼とした町中を歩いていても、どこからともなく聞こえてくるピアノの旋律に心奪われることがよくあるのは、好き嫌いの問題では解決できないことが世の中にはたくさん存在するからだろう。行き交いすれ違う人々の群れに身を投じたくなる危険性が、常に誰の側にも存在するのと同じことだ。  大人になるとそういう面倒ばかりで、体中に絡み付いたいばらの刺がじわりじわりと内蔵まで到達して血を吐き出す。  もう夏も終わるというころ、田舎に住む母が亡くなったという連絡があった。  病気だとも知らなかった私は、父から危篤の電話を会社で受けるとすぐに上司へ報告して早退し、一旦家に帰ると一瞬で旅支度を整えタクシーで空港へと向かう。  窓の外をぼんやりと眺めながら、流れて行く景色があまりに無機質で本当にそこに存在するものであるのかたまらなく不安になった。  危篤、という言葉の意味が上手く飲み込めなかったのは、これまで親しい人の死に向き合ったことがなかったからだと思う。飛行機の中でゆっくり考えて、つまりそれは魂の抜けた人形が床の上に転がっているようなものだと理解した。  最後に顔を見たのは二、三年前だったろうか。特に変わった様子はなくいつもそこにあった両親だった。定年を迎えた父は、昔のような威厳や圧迫はほとんど感じられず、どこにでもいる穏和な老人のように過ごしていた。  笑顔の絶えない母は、ずっと専業主婦で世間から隔離され、ほとんど社会へ歩みよることもしなかったが、昔と変わらず明るくおしゃべりな母だった。当の本人は、社会からの隔離などとは微塵も思わず、鳥かごのような狭い家庭空間に海よりも深い幸せを感じているようだった。私はそういう母を心から尊敬し愛していた。  私には愛がない。広い社会を生きていても幸せを感じたことがない。人を愛したこともない。だから余計に母がとてつもなく偉大に感じた。どんなに広い空間に生きていても、私のように閉ざされた心しかなければ、鳥かごよりも狭い空間を生きているのと一緒なのだ。  田舎に新幹線で帰れないことはないが、時間とコストパフォーマンスから考えれば完全に飛行機が勝っている。そのため就職してからは飛行機しか利用したことはなかった。交通にかかる時間がもったいないのだ。  私には時間がない。重病を患っているわけでも、時間を割かなければいけない家庭があるわけでもないのに、いつからかそんな風に思うようになって自分を急くように生きていた。  
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