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春樹の追憶 夜と空気
俺と樹愛は喧嘩の後からまったく話さなくなった。
いや、樹愛の方から俺を避けるようになったのだ。
俺も敢えて仲直りをしようとは思わず、いずれは仲直りも出来るだろうとタカを括っていた。
しかし、樹愛の徹底した避けように、俺は謝る機会を逃して行った。
そして、2週間が過ぎたある日、事件は起こった。
その日の俺は部活帰りに公園に寄ってサッカーの練習を一人で行っていた。
来年度にあるスポーツ推薦の枠を秋と共に勝ち取るために少しでも上手くなりたいと思い身体を動かし続けた。
一方の秋はというと、女の子とちょっとデートだそうで、そそくさと帰って行ってしまった。サッカーがうまくておモテになる奴は余裕ですね、爆発しろ!!
夜8時になり、俺は一頻り身体を動かしたので、帰る事にした。
夜の帳はすでに落ちていて、家の灯りと街頭と月が煌々と輝く家路の中を一人歩いて帰る。
しばらく歩き、家の手前の十字路に差し掛かかる。俺がそこを通っていると無灯火の車が右側に迫っていた。俺が気付いた時はすでに遅かった。
俺は車に撥ねられて……いや何かに押されて倒れていた。
そして、ドン!!という音と共に車が何かにぶつかり、そのまま路地を照らす街頭に突っ込んでいた。
その瞬間、俺は何が起きたかが全く理解出来ずに戸惑った。
全くと言っていいほど、俺の体に痛みや外傷はない。
強いていうなら、転倒した時に打った腕に痛みがある程度だった。
ただ、背中を後ろから押し出す二つの手の感覚が強く残っていた。
「おい、大丈夫か?しっかりしろ!!」
誰かの叫び声が夜の闇にこだまする。
周囲の家の人がその声に気づいて出てくる。
そして俺も立ち上がりその声のする方向を向く。
すると、制服のスカート姿の人が倒れている。
それを1人の男子がその人に慌てた様子で声を掛けていたのだ。
それは見慣れたはずの幼馴染の顔だった。
だが、その表情はひどく慌てている。
そして、俺は倒れている女の子の顔を見る。
その顔は俺のよく知っている顔……喧嘩をしたまま謝れずにいた樹愛だった。
「樹愛!?」
全顔を血だらけにした樹愛を見て俺は妹の名前を叫ぶ。その声に樹愛は気がついて俺を見る。
「兄ちゃん……大丈夫……だった?」
久しぶりに妹が声にならない声で俺の無事を確かめる。息遣いも荒い。
俺は恐怖を覚えた。
このまま妹が死んでしまうのではない……。
そう思うと、全身が震える。
……なんでこんな事に。
「兄ちゃん……」
戸惑いっている俺に妹は手を伸ばしてくる。
俺はその手を握りしめる。
「……ごめんね、謝れなくて……」
未だに何があったかすら理解できていない俺に、妹は謝ってくる。
「しゃべるな!!今は喋るな!!すぐに救急車が来るから!!」
「ううん、言わせて……。ずっと、謝れなくて……ごめんなさい。私は……お兄ちゃん……の……」
そう言うと、妹は気を失う。
「樹愛、樹愛!!」
俺は手を握りしめて妹の名前を叫ぶ。
両親が来ても気づかず、救急車が来るまで呼び続けた。ひたすらに妹の名前を……。
※
救急車が来て、俺と両親と秋は一緒に病院に運ばれる。救急車の中では秋が話していた。
どうやら樹愛は秋と一緒に居たらしく、俺の事で話をしていたらしい。そして、家に戻る途中、俺の後ろ姿を見つけて秋と共に追いかけていたらしい。
その時に無灯火で走ってくる車を見つけたらしく、樹愛は走り出して、身を挺して俺を助けた。
これが秋から聞いた、ことの顛末だった。
だが、俺の耳には届かない。
妹が……樹愛が無事であって欲しい。
その一心で頭はいっぱいだったからだ。
救急車は病院に到着し、樹愛は集中治療室に運ばれる。
俺たちはただ、治療室の前で樹愛の回復を祈り待つしかなかった。
しばらくして、担当していた医師が出てきた。
「今のところは一命を取り止めましたが、打ち所が悪く、予断は許しません」
重苦しい医師の言葉に俺たちに絶望が走る。
「ご両親は出来るだけ、そばにいてあげてください」と言うと、医師は俺たちを病室へと案内する。
どういった現状なのかは俺には伝えてもらえなかった。
中では樹愛が人工呼吸機をつけて眠っている。
俺たちはその顔を眺めていた。
秋の両親もいつの間にか病院に来ていたので、俺は秋の車で一度自宅へと戻る。
秋の両親の運転する車内で、秋は今日樹愛に相談されていた話の中身を聞く事になる。
どうやら、彼女は学校で有名な俺たちを最初は誇らしく思っていたらしい。だが、妹にまとわりつく俺たちの影が田島 樹愛という存在を希薄にさせ、サッカー部のエースの妹という事だけが先行した。
それをコンプレックスに感じた彼女は、次第に俺たちの存在が疎ましくなっていたそうだ。
だから俺や秋に冷たく当たる。
そして、今までの鬱憤を晴らすかのように先週、殴り合いの喧嘩をしたのだ。それからは俺を疎ましく思う反面、謝らないといけないとも思っていたらしい。
だが、そのきっかけがなく、秋が会いにいくまで1人で悶々としていたそうだ。
そして事故があった時、彼女は俺の姿を見て走り出したそうだ。そして、車の存在に気が付き俺の身代わりになった。
俺はその事実に衝撃を受け、秋の車で泣いた。
なぜ彼女は俺の身代わりになったのか分からず、それでも助けてくれた。
しかも、意識を失う間際まで俺に謝ろうとしてくれていた。その事実は俺の心を深く抉った。
そして秋の父親が運転する車が俺の自宅に着く。。
秋の両親は心配そうに「泊まるか?」と何度も言ってくれたが俺はそれを固辞すると、一人誰もいない自宅へと帰る。
俺は自室のベッドに身を投げ出すと、大声で泣いた。後悔と、妹のいち早い回復を願いながら泣き続けた。
その夜は眠れなかった。
妹に傷が残ったらどうしよう、意識が戻らなかったらどうしよう……、なんで俺を助けたんだろう。
そんな思いが頭の中を駆け巡った。
だが、この日はなんの連絡もなく過ぎていった。
そして、父親が朝一番に帰宅をして、事故の処理をする為に再度疲れ果てた顔で出ていった。
それの様子を俺は働かない頭で見送った。
妹を溺愛していた父の絶望感の満ちた表情はこの身体になった今も……忘れられない。
そして、学校を休んだ俺を心配して秋や四季が様子を観に来た。そして自分を責める俺を励まし続けた。
この時から……何かがあると口癖のように「俺が死ねば良かった」というようになった。
中学3年生から20年経った今も頭の中身は変わらないようだ。そして、この頃から四季には迷惑ばかりかけているなと思う。
妹の容体は未だ変わることがなく、1週間が経った。
両親は日替わりで病院に泊まり込み、家には残ったどちらかと過ごす。
家に蔓延する空気は重かった。だが、そんな空気の中でも……両親は俺を責めなかった。
テレビもついていない室内で、親と共に黙々と夕食をとり、俺は早々に自室に篭った。
そしてベッド横になるといつものように自分を責めては、妹の無事を祈っては眠った。
ふと目を覚ますと、室内は真っ暗だった。
時計の音だけがこち、こちと耳に入ってきて妙にうるさい。
そして、何故かは分からないが胸騒ぎがする。
悲しいのか、苦しいのかわからない感覚が俺を襲う。
俺は怖くなりドアに背を向けて、布団に丸まって再度寝ようと試みる。だが、眠れない。
閉じた目は顔から少し離れた場所にあるはずの壁を目の前に感じさせる。いや、身体の感覚が妙に冴えていて気持ちが悪い。
「……お兄ちゃん」
ここにいるはずのない、妹の声が聞こえた。
その瞬間、俺は布団から起き上がる。
身体中は冷や汗をかいていた。
「なんで、こんな夢を……」
そう思った刹那、家の電話が高らかと鳴り響く。
その音に俺はびっくりした。
だが、俺はその音を聞いた瞬間に……理解した。
誰にも告げられていないのに、涙が落ちる。
「あっ、死んだ……。樹愛が……死んだんだ……」
電話のコールが鳴り止むと、すぐに沈黙が訪れた。
だが、家中の空気だけが……何故が騒がしかった。
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