東京

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 季節は冬を迎え、受験生にとって大切な冬休みが数日後に近付いたある日、部活の指導を終えた僕は、廊下で茜に声をかけられた。 「太田先生! 私ね、お父さんの所に遊びに行けることになったんだ。東京だよ、東京!」  どうやら、茜の頑張る姿を見てきた母親が、御褒美に一人で東京へ行くことを許してくれたらしい。 「そうか、良かったな。茜はとても頑張ってきたから、ちょっとくらい受験勉強休んでも大丈夫だろう」 「でしょでしょ。お父さんの所に行くの初めてだから、すっごく楽しみ!」 「いつから行くんだ?」 「二十六と二十七日。一泊二日だよ。そのあと、お父さんは大晦日に帰ってくるって」  「そうか。お正月も一緒に過ごせて、本当に良かった、良かった」  昨年度から茜を担任してきたが、受験や卒業が近付いても、うれしい出来事に素直にはしゃぐ姿は全く変わっていなかった。  茜はきっとこのまま成長していくのだろう。明るくて優しくて、誰からも好かれる人へ。 「それでね、先生……。行ったことない所だから、ちゃんと着くか心配なんだ……。何かあったら相談できるように、先生の連絡先を教えてほしいんだけど……」 「お母さんやお父さんに電話すればいいんじゃないのか?」 「うん……。でも……一人で行けないって思われたくないんだもん……」 「いやいや、行ったことないんだから仕方ないだろう。先生だって、初めて行く所は迷うことあるぞ。先生はガラケーだけど、スマホならささっと調べられるんだろ?」 「とにかく……子どもだと思われたくないんだもん。太田先生、担任なんだから生徒のこと心配じゃないの?」  よく分からないところで、親には大人として見られたいらしい。  そのくせ教師という役割を突っついてくる。 「大丈夫、大丈夫、茜はしっかりしてるから。それに……個人情報はむやみに教えてはいけないのじゃよ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。では、行ってきたまえ」  途中から、わざとらしく声色を変えて、僕は逃げることにした。  茜もこれ以上は無理だと分かったようで、もう何も言わなかった。  すっかりテンションの下がった寂しそうな茜を見るのは正直辛かった。もちろん茜のことはずっと気にかけているのだから。  少し歩いてからわざとらしく振り返り、さっきと同じように老紳士のふりをして僕は言った。もう、真面目な顔をしてはいられなかった。 「その二日間は仕事をしておるぞ。わしに用があれば、学校へ電話を寄こしたまえ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ……」
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