これは二度目

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 どうやら、私は何かを落としたらしい。何を落としたのかは、自分でもよく分からない。  バッグや服のポケットの中身を全部出して、ひとつひとつ確かめながら考えたのだが、それでも落としたものが何なのか分からない。  スマホはある。財布もある。カード類も全部ある。使わないで取っておいたギザじゅうも、ちゃんとコイン入れの中に入っている。  ポーチの中の化粧品類も、無くなったものはないと思う。口紅、リップクリーム、ファンデーション、チーク、アイシャドウ。ハンカチもある。ポケットティッシュも、携帯用のウェットティッシュも、予備のマスクも、全部ある。  ボールペンも、家の鍵もある。文庫本をバッグに入れてたっけ?いいや、入れてなかった。だから本じゃない。  何かのメモを入れていたということは?ううん、入れてない。  落としたものが何なのか、その日は判明しなかった。でも、私は間違いなく、今日、何かを落として失くしている。それが何なのかが、どうしても分からない。  それからずっと、私は自分が落としたもののことを考え続けた。  キーホルダーかもしれない。でも、どんなキーホルダーを付けていたというのだろう。あの日、コンビニでガムかのど飴を買ったという可能性は?もう何か月も経っているから、はっきり思い出せない。  一年経っても、落としたものが何なのかは分からなかった。二年経って、三年経って、五年後に夫と結婚した時もまだ分からなかった。  ハンドクリームだったかも…。でも、あの当時はまだ手荒れなんか気にしてなかった。マネキュアだったとか?いや、多分違う。  やがて娘が二人産まれた。娘たちが小さかった頃は、熱を出したり、何かトラブルがあったりするたびに、あの時落として失くした“あれ”があったらこんなに困らなかったんじゃないだろうかと、何の根拠もなく考えたりした。  子供達が小学生の時も、中学生の時も、ちょっとした何かがあるたびに、頭の片隅でぼんやりと“あれ”のことを考えた。“あれ”を落としたから、たびたび困ったことに遭遇するのだろうか。それとも、“あれ”を落としたのは実は良いことで、落としたからこの程度で済んでいるのだろうか。  月日は容赦なく流れた。その間にも、台風で家の屋根が壊れたり、飼っていたハムスターが突然死んだり、夫が急に腹痛を訴えて、七転八倒して苦しんで救急車で運ばれたりした。原因は胆石だった。私自身も子宮筋腫の手術をした。  上の娘が就職した会社が潰れた。下の娘が結婚して、二年後に離婚した。上の娘の子供が中学受験で落ちた。下の娘が運転する車が交通事故を起こした。幸い大きな事故ではなかったが、精神的なダメージは大きかった。  夫が足の骨を折った。私は白内障で手術した。その五年後に、今度は夫が白内障の手術をした。  上の娘が定年退職したが、再就職先が見つからない。下の娘は定年まであと少しだというのに、しんどいから今年で退職するなどと言う。本当にそれで大丈夫なのだろうか。  夫が来週からデイサービスに行くことになった。私はまだ行けないそうだ。私も最近物忘れがひどいし、膝も痛いし、健康面で夫とさほど違わないと思うのだが。  数か月か、または数年か、そんな毎日が続く。しかし、とうとう知らない女の人が私に会いに来て、クイズをさせられたり、立ち上がって歩いてみるよう言われたりした。その結果、私も来月から夫と一緒にデイサービスに行くことになった。
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