いかにして私達は自己とゴーストを区別しようと努め、そしてその幻想から解放されるのか

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 私が旅行雑誌の編集をしていた七、八年前のこと、駿河るるという若いライターが私を姉のように慕ってくれていて、彼女はよく実在しないマンガについて話していた。 「読んだ記憶あってタイトルも分かってるのに、探しても見つからない、そういうの経験ないですぅ?」  おかっぱ・黒縁メガネにプーマのジャージ、いつも目を泳がせるサブカル女子であるところの駿河るるは、格安居酒屋チェーンの生中をすすりながら語る。あははなにそれ。てかタイトル知ってるなら見つかるでしょ。  聞くところによると、中学の文芸部室で目にしたというそのマンガは牧黒羊(まきこくよう)『とらいあるわーるど』といった。アングラ系マンガ雑誌ガロの一九九四年三、五、六月号に掲載された作品で、当時のねこぢる、津野裕子、逆柱いみりに通じる夢と現実の混じったような作風だったらしい。 「絵柄は記憶の通りなんですけど、昔読んだヒメミコちゃんってキャラが出てこないんですよぉ。私まんだらけハシゴして掲載号全部読んだのに」  あの子に会いたい……へろへろに酔いながら呟く彼女は初恋の人を想う高校生みたいだった。  その数日後、同人ゲームと低予算映画の紹介ブロガーであるところの駿河るるのもとに、ブログ読者から驚きの情報が届く。『とらいあるわーるど』は未発表分も含む同人誌として世に出たことがあるというのだ。彼女がかつて読んだのはその一冊だったのだろうか。  すぐさま駿河るるはヤフオクから古書ネットまでを渉猟し、秋葉原同人ショップから高円寺高架下の古本屋までを遍歴したが、20年前の同人誌に出会えるものではない。かのキャラの実在が現実味を帯びたせいで彼女の熱意は抑えがたくなり、見守るうちにブログは『とらいあるわーるど』の探索と考察に埋め尽くされた。  ほどなく、ブログに「狗神(いぬがみ)ヒメミコ」がイラスト付きで登場した。pixivにイラストを上げれば50ブクマもらえるくらいの絵描きであるところの駿河るる自ら描いたと思しきその少女は、ぼさぼさの銀髪に大きな獣耳(ケモミミ)を生やし、勝気そうな表情で件の同人誌について語った。 〈『とらいあるわーるど』では様々な世界からひとり住人が召喚される。あたしの見るところ、それは実在を賭けた綱引きなのだ〉  ひとり二役は解説系ブログの常道だが、あれは「なりきり」に近かった。今ならVTuberになっただろう。  あれが例のマンガのキャラなの? 電話で話したとき、訊ねたことがある。駿河るるの説明は錯綜していたが(彼女の話はいつも無駄に長い)、ヒメミコはただのキャラではなく幽霊のように彼女に重なって存在しており、ある領域を通じて互いに干渉できるのだ、そんなことを言っていた。 「あの子の曖昧な気配を感じて、対話して、それを言葉にすれば、あの子をこっちに引き寄せられるって信じてるんですぅ……」  それは妄想の自虐的ネタだと私は理解していたのだが、疑似科学大好き中二病患者であるところの駿河るるは、次第に虚実さだかならぬ根拠で自説を補強するようになった。 〈想像も知覚も同じ脳内プロセスを経ている以上、現実と幻覚は本質的に区別できない〉 〈内的(インターナル・)対話(ダイアログ)がなされている時の脳の血流動態をfMRIで観測すると、ブローカ野とウェルニッケ野における賦活領域が通常の会話時と一致することが分かっている。つまりそのとき、実際に他者との対話(・・・・・・)が生じている〉  それらすべて、ヒメミコの言葉として語られる呪術的なエビデンス。ブログの注釈によると、駿河るるはヒメミコを脳内再生し、その声を聴く独自のメソッドを構築していたらしい。あの頃は仕事で会う機会もなく、私が彼女自身の言葉に触れたのはこんなメールをもらったのが最後だった。 〈あの子の不在を補う必要はないんです。心が動くのは事実だから。そしてあたしが書けば、それはそうなる(・・・・・・・)から〉  唐突に、ブログの更新は途絶えた。  連絡もつかなくなって半月ほど経った頃だ。実家との折り合いが悪いらしい彼女が当時寝泊まりしていたネカフェを私は覗いてみた。何を期待したのだろうか。ライターが消えるなんてよくあることだ。この話のオチもどうとでも思いつく。探し当てた『とらいあるわーるど』は記憶よりつまらなかった。すべて妄想でした。それも含めたメタ落ちでした……。 「やめてくれませんか。そんな視点は世界を不安定にするだけなんです」  薄暗い廊下に銀髪の少女が立っていた。 「ネカフェ文学の旗手であるところの駿河るるが、自身を作家だとも思わず、ただ収入の不安定なライターと認識していたなんて」  狗神ヒメミコが嘆息し、獣耳を震わせる。少しハスキーがかった声だった。 「牧黒羊の『とらいあるわーるど』はネカフェ文学のはしりで、それが90年代サブカルを経由し、駿河るるたちによってテン年代に開花した。そう仮定したドキュメンタリーなんですよこれは」  責めるような瞳に気圧されながら、そんな文学は知らないけどと私が応じると、ヒメミコはコピー用紙の束を投げてよこした。牧黒羊『憑依の条件』とある。それが明白な証拠だとでもいうような得意げな笑み……。例の同人誌なのかと思ったが、めくってみるとそれはマンガではなく創作論めいたテキストで、小難し気なサブタイトルがついていた。 「駿河るるは実践しました。他にも多くの作家が寄る辺ない世界を実在させる唯一の、誠実なやりかたを試みたのです。なのにあなたは自分で文章を書きながら、そこで何が起こっているのか何も理解していない」  ヒメミコがそう言い捨てたあの日以来、駿河るるの姿は見ていない。  数か月後、私は初めてブログを立ち上げ、思いつくままに二、三の記事を書いてみたが、まるで退屈な文章しか書けずすぐやめてしまった。  『憑依の条件』はまだ手元にある。
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