06.初恋

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 少しの残業をして仕事を終えると、隣の席の怜央くんにバレないように帰るために慌てて支度をする。怜央くんは会議中らしくちょうど席を外しているうちにオフィスを出た。エレベーターに乗り1階のフロアまで降りると、安心して息を吐いた。 「お疲れ。いま帰り?」  優しい声音に声をかけられて、一瞬身体が跳ねる。振り返るとやっぱり怜央くんが立っていた。 「……あ、うん。お疲れ様。えっと、お先に失礼します」 「いや俺も帰る」 「えっ」  隣を歩き出す怜央くんをよく見ると、ビジネスバッグを持っていた。会議中だと思っていたのに。 「えーと、会議は大丈夫なの?」 「会議? 出張の話だったら午後に上司に報告して、今日は早く帰ろうと思って1階でコーヒー飲んでた」 「……そう……」  判断ミスだ。怜央くんの席にバッグがあるかも確認するべきだった。いつの間に先に帰っていたのだろう。自然に隣を歩き出す怜央くんから逃れる方法が思いつかない。 「出張どうだった?」  仕方なく仕事の話をすることにした。  仕事の話をし続けていれば、怜央くんもそんな気分にはならないだろう。 「ん。うまくいったよ。新しい提携先も見つかったし」 「すごいねえ」  怜央くんの営業成績は軒並み上がっていく一方だ。隣で見ていても、電話応対や無駄のない動きにいつも感心させられる。  一緒に電車に乗っている間も、電車を降りて一緒にコンビニに寄った時も、ずっと仕事の話を振り続けていた。なのに、マンションに着いて、二人の部屋が近づくにつれて話題も途切れ、変な沈黙がおとずれる。慌てて話題を探していると、怜央くんが私の手を取る。 「紗江にはやく会いたかった。今日来るよね」  さらりと指を絡めて、当たり前みたいに言わないでほしい。怜央くんは気持ちがないから言えるのだと考えるだけで腹が立つ。
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