740人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ
01.夜の声
朝から頭がぼんやりする。眠くてしかたがなく、出社前にカフェで熱いブラックコーヒーを飲んだ。
原因はわかりきっている。昨夜のお隣さんの声のせいだ。
連日悩まされているが、昨日はさらにひどかった。
転職初日の前夜だったので緊張しながら眠っていたらベッドの軋む音と女性の甘い声が聞こえてきた。その甘ったるい声は断続的に聞こえて、止まらなかった。一度止まっても、また再開される。結局それは外が明るくなるまで続き、結局寝たのは2時間くらいだった。
大事な日なのに。
「本日からお世話になります、手島紗江と申します。よろしくお願い致します」
大勢の人の前に立つのは退職時以来だ。新しい顔ぶれを前に、頭を深く下げた。緊張気味に顔を上げると、眠気のせいか視界がぼやけた。
「じゃあこっちでいろいろ説明するから」
課長に案内され、オープンスペースで営業部内の人事と業務内容について説明を受ける。営業事務として転職した私は、もともと営業として働いていたので仕事内容についてはある程度知識はある。けれど事務の人がやっていた細かいところまではわからない。
「えーと、手島さんの担当は……」
課長が言葉を切ったところで、手を挙げた。
「おい。こっちに来てくれ。彼女が新しい担当だから、よろしく頼む」
「はい」
呼ばれた男性はこちらにまっすぐ歩いてくる。
「よろしくお願いします、手島です」
定期的におとずれる強い眠気を押し殺して見上げると、若い男の人が立っていた。清潔感のあるグレーのスーツを着こなして、柔らかい顔立ちの男性。というよりもきれいな顔だ。年齢は同じくらいだろうけれど、肌は私よりもきれいなんじゃないかと思うほどで、じっと見つめられると少し恥ずかしくなってくる。
「もしかして……紗江?」
「え? あの」
彼に突然名前を呼ばれて、知り合いの中から記憶を辿っていく。そもそも、私のことを「紗江」と呼ぶ男の人は、ひとりくらいしか――。
最初のコメントを投稿しよう!