遠い日の約束

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 駐車場に着き、水桶や線香、父さんの缶ビールを手に緩やかな坂道を登っていくと、夏の名残と初秋の気配が混じりあった、不思議な空間にひっそり、両親の眠る墓があった。  午前の爽やかな空気の中、墓前に立つ。  ここへ来たのは何年ぶりだろうか、…思い出せない。  ――親不孝な息子でごめん…と、両手を合わせて謝る俺の隣で、成瀬も目を閉じ手を合わせている。  少しだけ少年の雰囲気を残した、端整な…といっていい横顔に、見入ってしまった。  ……何でこいつは俺の事、こんなに大切にしてくれるんだ?   でも、理由を尋ねても教えはしないだろうな…と思っていると、 「吉野、視線が痛い!」  ……バカな事ばっかり言うから、よけい訊けないんだ。 「――俺、レーザービームなんか出してないよ!」  つられて俺もこうなるんだ。ほんと、何でだ? 「…お前、段々ノリが良くなってないか? その内コンビ組んでそうで怖いんだけど」 「誰のせいだと思ってるんだ!」 「楽しくていいじゃないか、明るい夫婦だったからな。上で笑いながら見てるだろう」  じいさんがそんな事を言うけど、本当にいいのか? 一応墓参りだ、たとえ親でもたたられたら怖い。  そう思いつつも俺達以外人影もまばらだったんで、掃除を終えた墓の前で賑やかに話していると、すぐ近くで砂利を踏みしめる音が聞こえた。  振り返ると、お供え用らしい花束を持った四十才位のすらっとした女性が、戸惑いを隠しもせずに俺達を見て、 「……もしかして、北斗? やっぱり北斗じゃないの!」  成瀬に声をかけてきた?  ……知り合い?   二人の関係を想像する前に、彼が驚いて相手を呼んだ。 「あれ、母さん!? 何、どうしたんだ? こんな所で」  ――え、成瀬のお母さん…だったのか。  「それはこっちの台詞でしょう。…こちらの方、どなた? そこは百合の――」  訝しげな視線を俺達に向け、お参りしている墓を見比べて、不思議そうな顔をしたその瞳が驚きに見開かれ、すぐに零れる様な笑顔になった。 「まあ! 百合さんのお義父様じゃないですか! ご無沙汰しております」  ……え、成瀬の母さんとじいさん、顔見知り?『百合』は、母さんの名前だ。  訳がわからずじいさんを見ると、 「ああ、えーと…確か、百合の友達の方ですな。病院でお会いしましたなあ」  じいさんもすぐに相手が誰なのか思い出したようで、懐かしそうに挨拶をしかけた、その顔色が、はっきりと変わった? 「あなたの息子が、成瀬君? もしかして…あの時の男の子か?」   そう訊かれ、「ええ」とにこやかに答えかけたおばさんが、会話に噛み合わないものを感じたのか、ためらいがちに訊き返した。 「……お義父様、もしかしてご存知なかったんですか?」 「――全然、…ということは、まさか彼の飼ってるあの犬は……」 「あの、…北斗がお義父様から預かった仔犬ですけど」  怪訝な面持ちで説明するおばさんに、じいさんが愕然と成瀬を見て呟いた。 「何て事だ、あれから十二年近く経ってるんだ。生きてるなんて…思いもしなかった。それに、成瀬君が病院で会った子供だという事も、本当に今…初めて知った」  十一年一緒に暮らしたけど、こんなに動揺したところ、見た事ない。  じいさんとランディーと成瀬まで…何か繋がりがあったのか?   当の成瀬は――何故かどこかへトリップしたみたいで、声をかけれる雰囲気じゃない。  他の誰かに尋ねようとした俺より一足早く、おばさんが疑問を投げかけた。 「……どういう事です? じゃあどうして北斗が瑞希君と一緒にここにいるんです? 彼、瑞希君でしょう?」  俺を見てそう言うけど、話が全然見えない…というか、よけい混乱してきた。  成瀬の母さん、俺の事まで知ってる! ……何で?  「あの……俺達、この春知り合ったんです。すごく気が合って、こっちに来て初めての、一番大切な友達です。今日は両親の墓参りに成瀬が付き合ってくれたんですけど?」 「――あなた達……やだ、本当に全然覚えてないの?」  俺の説明に、おばさんが唖然として訊いてくるけど、……一体何の事だ?   意味を理解できない俺と、隣で突っ立つ息子を見比べて、「嘘でしょう…」と呟いたその口から、思いもしない事実が明かされた。 「百合達が亡くなって、瑞希君がおじいさんに引き取られるまで、あなた達二人、いつも一緒に遊んでいたのよ」 「!! …………」  言葉もなく立ち尽くす俺の足元で、ザッと音がした。  我に返って目を向けると、成瀬がその場に膝をついてる! 「ちょっ…成瀬! どうしたんだ!?」  驚いて声を掛け、支えようと腕を掴んだら、彼が何とも言えない顔で俺を見上げた。 「――悪い、力…抜けた……。お前、もしかして…あの『みーちゃん』か?」 「え? ああ、うん。『みーちゃん』って呼ばれてた。――夢で、『ずっとそばにいる……さみしくないよ』って、慰めてくれた子がそう呼んでた。その声が聞こえたから、事故の後、目を覚ませた。俺、その子に逢いたくてこの街に帰ってきたんだ」  そこまで話して、やっと気付いた。「呼んでいたのは、成瀬……だったのか?」  腕を掴む手の力が抜け、上ずる声で見下ろすと、彼が呆然と、だけどはっきり頷いた。 「――信じられない、…本当に? でも…どういう事? お前の大切な子は死んだって聞いた。ランディーの元の飼い主って…誰なんだ? おじいさんって事?」  そんなバカな!! だって、まだ元気に生きてるよ!?  「……吉野、こんな時にボケをかますな。よけい力抜ける」  墓地の敷地の段に座り込んだ成瀬が呆れたように否定したけど、俺には訳がわからない。  成瀬にはわかったのか?  すると、俺の困惑を察したのか、彼が自分の知る十一年前の事を話してくれた。 「俺も…覚えてる。病院で傷ついた友達を見て、ショックだった。目が覚めるまで傍にいたかったけど、駄目だって言われて…泣いてた。そしたら病室にいた人に、『この子は大丈夫。その代わり、この子の飼っている犬を頼む』と言われた。『元気になったら必ず迎えに行くから、それまで預かってくれ。男同士の約束だ』、そう頼まれて涙が止まった。――吉野が……」  そこで声が途切れ、不審に思って見下ろすと、何故か成瀬の……恐れにも似た感情が、その瞳に宿っていた。 「――吉野が、本当にみーちゃんなら、ランディーはお前の飼っていた犬だ。吉野に記憶がないのは事故のせいだし、それ以前の事を覚えてないのも仕方ないけど、それは間違いない」  きっぱりと言い切った成瀬の言葉に、嘘なんかあるはずない。  この事実に一番驚いたのは紛れもなく成瀬自身だ。  そんな彼の複雑な心情を目の当たりにした俺は、呆然としつつも納得するしかないようだった。 「――俺が、病院で約束したあの人は…吉野のおじいさん、だったんですね?」  やっと立ち上がり、確かめるように尋ねた成瀬に、じいさんが「そうだ」と、頷いた。 「たった一人残された大切な孫の身を、わしら以上に案じて、泣き続ける坊やが可哀そうでな。…少しでも慰めになればと思い、頼んだんだが――」  当時を振り返り、心の内を明かされて、成瀬もまた遠い日の約束に想いを馳せた。 「なんだ、そうだったのか。俺、あれからずっと待ってたんだ。だけどおじいさん、四才の子供に十一年は……ちょっと長すぎるよ」  そう言いながらも、ランディーと過ごした日々を愛しむような、穏やかな笑みを零した。  あの日からの年月が、満たされたものだったと伝えているようで、そんな成瀬の優しさに、じいさんが目を閉じ深く息をついた。 「だが、あの男の子は……約束を守ってくれた。『ランのせわはぼくがする。だから はやくげんきになってあいにきて』 ――十一年前、眠り続ける瑞希の横で、わしを見上げてそう言ったな」  成瀬が目を見張り、微かに頷いた。「あれから君はその言葉通り、ずっと瑞希の代わりに犬を大切に育て、愛してくれた。……長い間、本当にすまなかった。…ありがとうな」  礼を言って空を仰いだ、その目に光った涙を受け止めるように、成瀬が「いいえ」と首を振り、深く澄んだ眼差しでじいさんに微笑みかけた。 「ランを…残してくれて嬉しかった。……諦めていたのに会えるなんて、…もう一度会えて、約束……守れてよかった」
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