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出会いと別れと
『―――おかあさん みーちゃん……どうしちゃったの?』
『……みーちゃんね、すごく大きな事故に遭って、一人ぼっちになってしまったの
それでね、これからおじいさんの住んでる、遠くの病院に移るんですって
寂しくなるけど、みーちゃんにさよならしましょう』
『………じゃあ ぼくもみーちゃんといっしょにいく!
ぼくがずっとそばにいる
そしたらひとりじゃないからさみしくないよ
ねえ いいよね?』
『―――だから はやくげんきになって……おねがい―――』
( だれ? ぼくのこと よんでるの……
ああ ――― ちゃんだ
そうだ はやくおきないと …はやく
すぐ だから まってて ――― )
「ん……」
目覚めると、春のやわらかな日差しが部屋の中に暖かな日溜りをつくっていた。
ぼんやりした頭でさっきの夢を思い返して、がっくりと肩を落とす。「あー、また名前思い出せなかった。なんで覚えてないんだろうなあ、せっかく久しぶりに見たのに……」
本気で悔しがってる俺、吉野瑞希、十五才。あと三ヶ月足らずで十六才になる。
十一年前、交通事故に遭い両親を失った俺は、四才の時からこの春まで父さんの親、つまり祖父母に育ててもらった。
父の実家は自然に囲まれた田舎だったから、かなり自由奔放な少年期だったと思う。
そこでの生活は面白かったし友達もそれなりにいたけど、思春期を迎え進路相談が本格的に始まった頃から、自分の生まれたこの街に帰ることを考え始めた。
一つは今年の春、俺のいた田舎へ伯父さん夫婦の帰郷が決まった事。
二つ目は、ここに逢いたい子がいたから。
そしてもう一つ、これが一番の原因なんだけど、今はまだ誰にも言えない。
いつか――全て打ち明けても、丸ごと受け止めてくれる誰かに出会うことができるだろうか。
温かなベッドの上、そんな漠然とした事を考えていると、
「瑞希、下りといで、もう十時になるよ」
一階から、やんわりとしたばあちゃんの声が俺を呼んだ。
「んー……」
大きく伸びをしてフローリングの床に下り、用意された真新しいシャツに袖を通す。
今日は西城高校入学式だ。初日から遅刻するわけにいかない。
「帰り、どうなるかわからないから今朝は電車で行くよ」
玄関先まで見送りに出てくれたばあちゃんを振り返り声をかけると、
「あら、今日が入学式? おめでとう」
話し声が聞こえたらしく、隣の家で庭掃除をしていたおばさんが笑顔で話しかけてきた。
祖父母に言葉使いを厳しく躾けられた俺は、大人には丁寧語で話す癖がついてしまった。
初めて顔を合わせたおばさんに、
「はい、これからよろしくお願いします」
頭を下げて挨拶を返し、時間がないからと急いでその場を後にした。
高架になっている私鉄駅の階段を上がりプラットホームに着くと、すぐ俺の利用する電車が来た。車内に入りドア脇の手摺を掴んで窓の外へ目を向ける。
駅を出て少し行くと、遠くに満開の桜が見えた。
電車との距離はかなりあるけど、線路と並行して流れる大川の片岸が、桜の並木道になっているのを入試の時見つけて、花が咲くのを心待ちにしていた。
建物がすぐに視界を遮り見えたのは一瞬だったけど、あの並木道を見つけた時からこの街がとても好きになった。
花の咲く頃もう一度ここを通りたい、何があってもここでなら頑張れる、そんな自信と希望とが胸に湧き上がってくるのをはっきりと感じた。
あの時の想いは一体何だったのか……。
実は、あれからずっと心の隅に引っ掛っている。
けれど今の俺には、それを解くきっかけさえ掴めそうになかった。
三つ目の駅で電車を降り十分程坂を上ると、南向きの四階建てが前後に二棟並んだすっきりとした校舎の全貌が見えてくる。
俺は一年E組、最上階の一番西側のクラスだ。
小高い丘の中腹にあるこの高校は、以前は男子校だった。
その名残か、この街に有名私立の黎明女子高がある為か、共学になってからも圧倒的に男子生徒の方が多い。
比較的自由な校風と生徒の自主性を重視し、特に許容範囲内であればバイトも認めているので、それを目当てにする学生が多く、当然競争率も高くなる。でも無断で働いたり成績にひどく影響するようなことがあれば、バイトは即禁止、停学もありえる、という厳しい処分を受ける。それだけ当人の責任が重要ということだ。
その代わり地域に深く馴染んでいて、街の人も西城高の生徒には好意的らしい。
在校生も地元の学生がほとんどで、俺のように外部からの入学は少ないと、受験の時に隣の席の奴から聞いた。
だけど、とにかくこの街の高校に入りたかった俺には、知り合いがいるかどうかなんて大した問題じゃなかった。
受付を済ませ体育館に入って席に着くと、教師が定刻通りに式の挙行を告げる。
たわいない話で盛り上がっていた会場が一変、厳粛な空気に包まれた。
お決まりの祝辞が済み、式次第通りに新入生の代表が壇上に上がる。
その途端、会場のあちこちからざわざわと囁く声が広がった。
何事かと不思議に思ったけどざわめきは一瞬だけで、壇上の彼が話し始めるとまた静寂が戻ってきた。
代表の名前は『藤木 聡』、しっかり覚えてしまった。
その事が何となく引っかかり、教室に戻るとすぐ、近くにいたクラスメートにざわついた訳を訊いてみた。すると、何故か顔を見合わせ尻込みされた。
質問の内容がまずかったんだろうか。それとも、俺…もしかして避けられてる?
急に不安が押し寄せ、気まずい雰囲気が辺りに漂う。
他の同級生に同じ事を訊くのもどうかと思い、宙ぶらりんのまま突っ立っていると、前の席の異様に体格のいい奴が、計ったようなタイミングで俺に「座れ」と手招いた。
背後でさっきのクラスメートが、ホッと息を吐く気配が伝わる。
その反応も気にはなったけど、今は好奇心を満たす為、勧められるまま自分の席に腰を下ろした。
彼、山崎孔太郎の話によると――
この高校は、文武両道を校訓に掲げている為、両方兼ね備えた新入生が今まで代表になってきた。当然今年は、昨年度、西城中学野球部キャプテンを務め、夏季総体県大会優勝の原動力となった、『成瀬北斗』が代表になるだろうというのが大方の予想で、期待もしていた。ところが――ということだった。
山崎のおかげで原因はわかったものの、すっきりしたとはとても言えない心境だ。だって、なんだか藤木という奴に同情してしまう。あれほどざわつくような事なのか?
その思いが顔に出たのか、俺が口を開く前に山崎が反論してきた。
大ざっぱそうな外見のわりに、意外と鋭い。
「あのなー、西城中出身の奴はほとんど北斗のファンだ。だからみんな、壇上のあいつを見るの、楽しみにしてたんだよ」
横向きに腰掛けたイスを後ろに傾け、さっきの式典の不満を口にする。
「退屈な式の唯一の救いだったのにさー」
それは残念かもしれないけど、イスごと引っくり返りそうで怖い。
そんな俺の心配をよそに、当の山崎はどこか自慢げにその彼について熱く語り始めた。
「地元新聞のスポーツ紙にでっかく載って、この街でもかなり有名になったからな。今日、親の出席率高かったろ? ほとんどがあいつ狙いだぜ。ビジュアル的にも最高に絵になる奴なんだ」
「はあ、なるほど」
他に返事のしようもなく適当に答えた俺は、
「…もっとも、肝心の北斗の親は見当たらなかったな」
と、溜息混じりに続けた彼のテンションの低さに拍子抜けした。
思わず見返すと先を促したように受け取ったのか、「俺も詳しくは知らないけど」と前置きして再び口を開いた。
「あいつが四才の頃、離婚して母子家庭になったんだ。今はそう珍しくない事でも当時は風当たりきつかったと思う。けどさ、そんなの少しも感じさせない、前向きな奴なんだ」
言い切った山崎には照れも誇張もない。ありのままを話していると容易に信じられた。
「成績がいいのも母親を守る為だ。北斗がそんな奴だから、おばさんも看護士の仕事、ずっと頑張ってる。それに奴が七才の頃にはもう夜勤もしてたってさ」
「………」
その内容に唖然とした。
この街に一人も知り合いのいない俺は、誰の話でも新鮮だし、先入観なんてものもない。だけど何故か、会ったこともない成瀬北斗という奴の深い孤独と淋しさを感じた気がした。
「――わかったような事言ったけど、知ったのはホント偶然。あいつからは一言も家庭の話、聞いたことない。水臭い奴なんだよな」
わざわざ付け足した山崎の複雑な表情に、二人の関係が伺える。きっと長い付き合いなんだろう。そう思い、ふっと田舎の同級生を思い出した。
友達だったら、誰にも会わず黙って出て行った俺の事、同じように思っているだろう。
それとも、腹を立ててるだろうか……。
夕飯の下ごしらえをしていたのか、カウンターの向こう側に祖母の姿を見つけ、「ただいま」と掛けた声が、何となく沈む。
そんな俺の様子に、十一年答え続けてきたばあちゃんが敏感に反応した。
「お帰り。……何か、あったのかい?」
「いいや、万事順調にこなしてきたよ。ほんと心配性だなあ」
クスッと笑い、台所に行って冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、ばあちゃんがコップを用意する為、食器棚へ向かう。
その間にダイニングに戻り、ブレザーを脱いで椅子の背に掛けた。
腰を下ろし、持って来たミネラルウォーターのキャップを開けると、後を追ってきたばあちゃんが俺の真向かいに座り、心配そうに顔を覗き込んだ。
「それで、どうだった? 新しい学校は。みんなと上手くやっていけそう?」
「うん。途中で転入した訳じゃないし、大丈夫だよ」
手渡されたコップに水を注ぎながら、これまでと同じ、当たり障りのない返事を返す。「クラスメートも何人か覚えた」
「そう、ならいいけど」
安心したのか、息を一つ吐いたばあちゃんが僅かに声をひそめた。
「――ねえ瑞希、最近は男にも『美人』って言うのかい?」
「え……?」
いきなり脈絡のない事を訊かれ、何と答えていいかわからず面食らうと、ばあちゃんが真剣な面持ちで口を開いた。
「今朝…お前を見送った後、隣の奥さんにね、『西城は地元の子が多いから、お孫さん慣れるまで大変でしょう』って、言われたんだよ」
「ふん、それで?」
ペットボトルのキャップを閉め、コップに口を付けながら目で続きを促すと、
「――『特に美人だから、悪い虫がつかないか心配ですね』、だって」
真面目な顔で話すその内容に、含んだ水を危うく噴き出しそうになった。
ゴホゴホ咳き込む俺の後ろにばあちゃんが慌てて駆け寄り、背中を叩いてくれる。
気管に入りかけたのをどうにか飲み込んで、口元を拭った。
「……あー、苦しかった。も、大丈夫。ありがと」
涙目で礼を言って……
その優しさを背後に感じつつ、心は深い闇に沈んでいった。
―――ばあちゃん、ごめん。
『悪い虫』は、俺にはつかないんだ。
虫…じゃなくて女にも、相手を選ぶ権利がある。
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