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数々の大きすぎる驚きで放心状態になった俺に、誤解やすれ違いを全て解決してくれたおばさんが、目を細め、懐かしそうな笑顔を向けた。
「―――瑞希君、…大きくなったわね」
少しだけ見上げ感慨深い声を掛けられた。「元気になって本当に良かった。北斗ったら友達の名前くらい教えてくれてもいいのに、なんにも言わないから、瑞希君の事を誤解してたのも、あなたが街に戻っていたのも、少しも知らなかったわ」
責めるように睨まれた成瀬が、バツの悪そうな顔をして俯く。
初めて見せる表情だ。
「北斗の事もわからなかったんだもの、私も覚えてないわね。…一緒に遊んだり、散歩もしたんだけど」
優しく話しかけてくるおばさんに、何故か母さんの面影が見えた気がした。
「散歩?」
「ええ。あなたと北斗と百合と私、近くの川土手に行って遊んだわ。春になって、桜並木が満開になると、百合があなた達に聞かせてた。『――桜の花のように潔い男になりなさい。駄目な時は、さっぱりと未練を残さない。その代わりまた次に挑戦するの、何度くじけても立ち直れる、強い人にね』って」
「え、母さんが?」
尋ねた俺に、おばさんが微笑みを浮かべて頷いた。
「『何それ?』って聞いたら、『この言葉、いいでしょう、お義父さんの受け売り。私も大好きなの』、そう答えて笑ってた。瑞希君の四才の誕生日に、目も見えてないランが仲間入りして、本当に楽しかった―――」
誰も知らなかった母さんの思い出話を聞いて、じいさんが泣き笑いの顔になる。
そして俺も……春先に体験した不思議な高揚感の訳が、やっとわかったんだ。
「俺も…あの桜並木、好きです。入試の時、何故か心惹かれて、花の咲く頃にもう一度来るって……だから試験も頑張れた。入学式の次の日に行ったら菜の花も満開で、すごく綺麗で、…思ったんだ。父さんや母さんも、ここを歩いただろうか、って」
両親の事は、想像するしかない俺に、
「二人とも、あの場所が大好きだったわ。自然を…この街を心から愛してた。本当に明るくて優しい、私にとってもかけがえのない人達だった」
そう教えると、楽しかった昔の風景を懐かしむように、ゆっくり瞳を閉じた。
両親を偲ぶその姿を、黙って見守っていると、
「そうそう、肝心な事忘れてた。こんな所で会えると思ってなかったから…」
何かを思い出したように目を開けたおばさんが、再び俺に話しかけてきた。
「百合が救急車の中で瑞希君に残した言葉、後で隊員の方が教えて下さったの。私が百合の友達だと知って、『子供さんに伝えて下さい』って」
「え……」
……本当に?
信じられず目を瞠った俺に、おばさんが母さんの『最期の言葉』をくれた。
「――『一人にしてごめんね でもきっと見つかる 瑞希だけの大切な人 だから生きて』、ですって。百合らしい、…残されるあなたが心配だったのね」
言いながらバッグを開け、「メモ書きもあるのよ」と黄ばんでしまった小さな紙片を俺に差し出した。
受け取って、走り書きの字を一字一字追っていく。
確かにそう書いてある、西城消防署の名前入りのメモ用紙。
……おばさん、俺に渡す為に、十年以上もずっと持ち歩いてくれてたんだ。
そう思ったら二度目は涙で読めなくなって……大切に胸ポケットにしまった。
成瀬が俺の肩を叩いて、「よかったな」と、笑いかける。
永遠に思い出せないと諦めていた言葉を、成瀬の母さんから聞けるなんて、何て偶然……いや、これも偶然じゃない、みんなの優しさと思いやりだ。
母さんと、名前も知らないレスキュー隊員、そして成瀬の母さんの……。
―――ありがとう、本当に。
母さんからのメッセージ、確かに受け取ったよ。
「死んだ方がましだった」なんて、口走ってしまった事、許してくれるかな……。
不意に、成瀬に頬を叩かれた時の事を思い出した。その後で、息ができないほど強く、抱きしめられた事も……。
母さんが生きてたら、きっと同じ事してた。
「おーちゃん」
成瀬に向かい、呼びかけた。
「俺、『おーちゃん』って呼ばれてた?」
訊かれて頷いた俺に、「何で?」と首を傾げるけど、俺にも理由はわからない。
「さあ? でも、『おーちゃん』なんだ」
そう答え、真っ直ぐに成瀬を見つめて――告げた。
「あいしてる」
「……何だって?」
「『あいしてる』って言ったんだ」
「!? なに両親の墓前で告白してるんだ!」
成瀬が呆れてるけど、かまわない。
「墓前だからだよ。…事故の前の日、母さんと約束したんだ、明日おーちゃんに会ったら『愛してるって言って抱きしめてあげて』、そう言われた。俺…あの頃、いつものおーちゃんの笑顔を取り戻したかったんだ。その事をどうしても伝えたかった。四才の子供の告白だけど、おーちゃんに……成瀬に届けたかった。――十一年かかったけど」
「信じられない奴だな」
目を瞠り、驚いた顔で俺を見返すその表情が、僅かに曇った。
「でも、ありがと。……あの日聞けたらよかったな、お互い……」
「いいんだ、過去に未練は残さない。俺達には未来が大切なんだろ?」
以前、俺に言った台詞だと、成瀬が気付いて静かに微笑んだ。
「そうだな、…おかえり、みーちゃん」
腕を取り、緩やかに引き寄せ、そう言ってくれた。
「ただいま。遅くなってごめん、逢いたかった」
「俺もだ。――これって、夢…じゃないよな?」
十一年ぶりに、お互いを抱きしめた。
幼い頃、ふざけて抱き合った記憶を手繰り寄せるように。
初秋の陽光が、雲の切れ間から、墓地の上に明るく降り注ぐ。
俺達に、奇跡が起きた瞬間、だった。
じいさんやばあちゃん、成瀬の母さんも俺達の抱擁を温かく見守ってくれていた。
成瀬の……まだ微かに震える身体を腕に抱きながら、胸に切ない痛みが走る。
この優しいぬくもりを、二度と手離したくない。心からそう願っていた。
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