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夢をその手に
ようやく落ち着きを取り戻した五人の中、おばさんが両親の墓に手を合わせ、静かに立ち上がると、当初の目的を告げた。
「今日はお参りの他に、来月再婚が決まった事を報告しようと思って来たんです。百合には離婚話が出た時、すごく心配させてしまったから、一番先に知らせたくて」
目を伏せたおばさんの、母さんへの哀惜が伝わる。
そして納得もした。やっぱり母さんは、おーちゃんが笑わなくなった理由を知っていたんだ。
だけど、それより気になる事があり、隣の奴を肘でつついた。
「成瀬、何で黙ってたんだ? 相手はホームセンターの店長だろ?」
「そうだけど、どうしてお前が知ってるんだ? 俺、言ってないぞ」
腑に落ちない顔をされ、俺も店長との話を秘密にしていたのを思い出し、慌てて口を噤んだ。
……やばかった。でも、とうとう成瀬の母さんが再婚する。
成瀬はどうなるんだ? 店長-新しい父親の元に行ってしまうのか?
その事を心配していて、また…何かが引っ掛かった。
――新しい、父親?
「そうか!! 解決の糸口は、成瀬の母さんだったんだ!」
俺の叫び声に、四人の視線が集中した。
「おい! 成瀬、行こう!」
「は? …どこに?」
「お前の父さんの所だ。夢を返してもらいに! おばさん、住所わかりますよね」
「え、…ええ、わかるけど……」
俺の勢いに面食らいつつも、再びバッグを開け、小さなフォルダを出し、中から一枚の名刺を抜き取って渡してくれた。「一体どうしたの?」
「説明は後で。おばさん、運転は?」
「駄目、できないの。タクシーを待たせてるわ」
「ホントに!? なら、それ借りていいですか? 駅までおじいさんが送りますから」
「あ、こら瑞希……ちょっと待て!」
おばさんの許可を得て、じいさんの制止は無視し、きょとんとしている成瀬の腕を引っ張って走り出した。
絶対に取り戻してやるからな、お前に野球を―――。
名刺の住所は、俺の住む街から三駅程北に行った所で、思ったより近くだったけど、土地勘のないじいさんには頼めなかった。
立ち並んだマンションの一つにタクシーが止まり、俺達はセキュリティーシステムのない、その建物のエントランスに入り、エレベーターに乗った。
霊園を出てから寡黙になった成瀬を不審に思いながらも、番号を探し当てインターホンを押すと、出迎えてくれたのは、西沢の話した通り儚い感じの美しい女性と、成瀬によく似た穏やかな瞳の男の人だった。
突然の訪問に驚きはされたものの、笑顔で居間に通された。
広々としたワンフロアのリビングには数種類の観葉植物がバランスよく置かれ、全体のアクセントになっている。
そのモデルルームのような整然としたインテリアが、逆に生活感のなさを漂わせて……そこに自分の未来が映っているみたいで、何だか哀しくなった。
だけどこんなチャンス、もう二度と来ないかもしれない。
今日は休日、二人一緒の時じゃないと意味が無い、そう考えての無謀な強攻策だった。
おじさんに勧められたソファを断り、気を利かせ部屋を出て行こうとした女の人を呼び止めた。
でも、何をどう言えばいいのかわからず、思いつくままその人に話しかけていた。
「あの、…一年前の事、覚えてますか?」
「………」
女の人から返事はない。初対面の俺に言われても、何の事だかわからないだろう。
「――一年前、喫茶店でのあなた達の話を、成瀬の友達が偶然聞いたんです」
口にした瞬間、成瀬と彼女が同時に俺を見た。「もし聞いてなかったら、一生の秘密で終わったと思います。でもその友達が俺に相談してきた」
二人が、それぞれに驚愕の色を浮かべる。
当然だ。だけど、成瀬の気持ちだけはこの人達に伝えたい。
そう思ったら、自然に言葉が出てきた。
「あなたの身体の事、気の毒だと思うけど……俺も、あなたと同じです。俺も…自分の子供、この腕に抱けないかもしれない……」
「おい! 吉野――」
身体の事を打ち明けた途端、成瀬が声を上げ続きを遮ろうと強く腕を掴む。想像通りの反応に知らず笑みが浮かんだ。
お前がそんな奴だから、俺は――強くなれる。
緩く首を振って、掛けられたその手を外した。
「いいんだ、…本当の事だ。でも…だから今、生きてる人を大切にしたいと、思ってる。――男としては…失格かもしれないけど、人として失格にはなりたくない。あなたが子供を産めないなら、おじさんの子供は成瀬だけです。だったら、こいつも同じに愛して下さい。成瀬の夢を、未来を踏み潰そうとしているあなたがおじさんに向けているのは、愛でも何でもない。自分勝手な独占欲だ! 違うと言うならこいつに言った言葉…取り消して、野球を…返して下さい……」
訴えている内に、胸が詰まってきた。
俺の方が成瀬の置かれた状況に、いつの間にか同調しかけていたんだ。
「――成瀬の母さんは来月再婚する。おじさんとの縁もなくなる、だから……もうこれ以上、こいつを傷つけないで……苦しめないで下さい」
言いながら俯いてしまった俺の頬に、温かな手が触れた。
驚いて顔を上げかけると、成瀬がその手を滑らせて頭を抱え込み、髪に頬をすり寄せてきた?
密かに戸惑う俺の耳に、愛しむような仕草とは裏腹な、苦渋に満ちた声が届いた。
「――吉野の馬鹿! お前、俺の為に…一番隠しておきたい事を言わせてしまって……俺、どうしていいかわからなくなる。…もういいから、…いいんだ、俺の事は……頼む」
板ばさみになったみたいに辛そうに、それでも俺を止めようとする成瀬が、何を考えてそう言うのかわからない。
……どうしてこんなに弱気になるんだ?
けど、このままでいいわけない!
回された腕を押しのけて、両肩を掴んだ。
――不安と、困惑に揺れる瞳。
こんな成瀬、俺は認めない!
「何で? 何がいいんだ! お前のそんな顔、もう見たくない。こんな簡単に諦めて、言いなりになるなんて、絶対らしくない!!」
顔を覗き込み、思わず強く言い切って、もう一度おじさん達に向き直った。
「こいつ、本当に優しいんだ。優しすぎて、自分の大切な人が関わったら、相手に心が同調するんです。本人は気付いてないけど…。一年前、あなたの不安と哀しみの深さに、共鳴してしまった。自分の未来なんか少しも考えず、あなた達の為だけに夢を諦めようとした、いや…まだ諦めたままなんです。こいつの夢を…返して。できるのはあなた達だけだ、お願いします」
それ以上何も言えず、目の前の二人に頭を下げた。
成瀬の気持ちはわからないけど、野球をしたい想いに嘘はないって、よく…知ってる。
「北斗、野球…してないのか?」
何の話をしているのか理解できない、と言いたげな顔で聞いていたおじさんが「知らなかった」と呟いて、「そういえば…四月の入学式の日、初めて会社に訪ねて来たよな」
何か思い当たったのか、半年前の事を口にした。
「高校生になった姿を見せに来てくれたのかと思って喜んだら、まるっきり違ってた。…別れを、言いに来たんだ」
俺に聞かせるように教えてくれたのは、ついさっき成瀬が霊園で明かした事の裏付け、入学式の日、俺より先に電車に乗っていた理由だった。
「母さんが再婚するかもしれないから、俺とは会わないと言った。『もう…姿を見せることもないから、安心して』、なんて言うんで、思わず本気で怒ったら、辛そうな顔で『――さよなら』と。それを見て何も言えなくなった。北斗を追い詰めそうな気がしたんだ。訳がわからなかった。それ以来何の連絡もなくなったんで気になってはいたが、まさか…幸子が?」
信じられない…と、見つめる視線の先で、彼女が怯えるように震えていた。
その時、頭の中をデジャビュみたいなものが掠めた。
成瀬が、顔を逸らして目を瞑る。
部屋に、ひんやりとした冷気が流れた。
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