終章 ~始まりの場所で~

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終章 ~始まりの場所で~

    おじさん達の熱心な勧めで図々しくも昼食をご馳走になり、夕方家に帰ってきた俺達は、じいさんから成瀬への突飛な要望に呆れてしまった。 「お前達が行ってしまった後、お母さんと話してな。困っておったよ、再婚はいいが息子がアパートに残ると言って譲らないとな。そこに何か…思い入れでもあるのかな?」  ダイニングのイスに四人で座り、真向かいから問いかけるじいさんに、成瀬が軽く首を振った。 「いえ、でも…この年で新婚の親と一緒に暮らす気には、なれませんから」  するとじいさんが複雑な笑みを洩らした。 「そうか、…そうだろうな。まあ、どちらの気持ちも理解はできるが、――そこで成瀬君に頼みがあるんだが、ここで、瑞希と一緒に暮らしてくれんかな?」 「――――は?」  鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたのは、成瀬だけじゃなかった、と思う。  そんな俺達を面白そうに眺めて、じいさんが続けた。 「外の犬、あれの世話を十二年近くさせてしまって、申し訳ないと思ってな、何か礼がしたいと考えていたんだが、もしここで暮らしてくれたら家賃は不要だし、万一の事が起きても瑞希一人より安心だ。それに犬も二人と一緒の方が嬉しいだろう。成瀬君の事情もあるから無理は言えんが、できたら断らないで欲しい、どうかな?」 「……『どうかな』って言われても、俺より吉野でしょう? 自分の家に他人が入るなんて。それに、吉野が仮にОKでも、おふくろに相談しないと……」 「お母さんなら大丈夫」  ためらう成瀬に、じいさんがテーブルに身を乗り出して畳み掛けた。「二人次第だと答えていたが、『子供の頃、あんなに仲が良くて、またこうして友達になったなら、それほど不安はないですが』と、言っておったよ」  根回しはすでにできてるみたいだ。どうやら成瀬に対する信頼度は俺よりかなり高いらしい。  けど、なんかしゃくに障る。  そんな俺の心情を知ってか知らずか、 「それなら後は瑞希の気持ちだけという事で、成瀬君はいいな?」  してやったりと嬉々として確認する。だけど、当の成瀬は「うーん…」と唸り、困ったように俺を見た。 「おじいさん、ランディーを長い事成瀬に任せといて、その上俺の世話まで、こいつに頼もうとしてるんじゃないの?」  横から口を挟むと、じいさんがとんでもない反撃に出た。 「いや、そういう訳じゃないぞ。だがあの犬も年だし、何よりお前を忘れてなかったんだろう? 『吉野探知犬』というくらいだ。本来なら成瀬君に預けていたんだ。返してもらって礼をするのが筋だが――」  成瀬がはっとして、すがるような目を自分に向けたのを確認してから、「――そんな事、とてもできないからな」  と、満足そうに付け加える。  ……性格悪いよ、じいさん。やっぱり山崎と似てる。  十一年以上ほっといたんだ、もうランディーは成瀬のものだろ、と言いたい。けど、 「…まあいいや。どうせ犬扱いされてたんだ、ランディーに似てるとか何とか」  ふてくされ気味にぼやいて、そう言った奴を見た。 「成瀬、どう? 俺はお前とランディーとなら一緒に暮らしたい。お前は嫌か?」  店長の元へは行かないと言い切った成瀬に安心して……実は、俺が離れたくなかっただけだと気付いた。  そして彼も、同じ気持ちでいてくれると、ほぼ確信して訊いてみた。 「……嫌、な訳ないだろ。なんか……なんて日なんだ、今日は。こんないい日、一生来ないような気がする、なんだか怖いよ。でも、ありがとう吉野、おじいさん、おばあさん。俺、ここにお世話になります」  俺達へ視線を巡らせ、頭を下げる成瀬に、 「違うだろ。俺とランディーがお前の世話になるんだよ、おじいさんの企みで」  明るく笑ってそう言った。  今度は成瀬がばあちゃんに引き止められ、夕食を終えて外に出ると、すっかり暗くなった庭に、夜風が初秋の気配を運んできていた。  俺達の姿を見つけたランディーが、早速散歩をねだってくる。 「あーごめん、悪かった。今日は全然遊んでやれなかったな。…なら川土手から帰るか」  その声に、俺の方が反応した。 「あ、一緒に行く! ばあちゃんに言ってくるから待って」  慌てて玄関に引き返す俺に、成瀬が笑顔で「了解」と答えた。 「――おーちゃん」  街灯の灯る夜の道を二人並んで歩きながら、ある事を思いついて呼びかけてみると、 「ん? ああ、……………悪い、呼べない」  かなりの間を空け、ポリポリと照れ臭そうに頭を掻いて謝ってきた。 「だよな。俺も成瀬に『みーちゃん』って呼ばれると、なんか落ち着かない。これからはお前のこと、『北斗』って呼ぶよ」 「なら、俺は『瑞希』だな」  そう言って笑い合った後は、土手まで黙って歩いた。  今日一日で色々な事がありすぎて、お互い何を話せばいいのか、わからなかったんだ。 「――ここから始まったんだな」  川土手に着いて、ランディーの背中を撫でながら呟いた。 「お前のおかげだ、ランディー。俺の事、本当に覚えててくれたのか? 俺…お前を思い出せなくて、ごめんな……」  なんだか泣けてくる。  半年前からずっと、俺が気付くのを待ってたんだ。 「……ありがと、ランディー。大好きだよ」  大きくてしなやかな身体をぎゅっと抱きしめたら、満足そうにしっぽを振ってくれる。 「これからは、ずっと一緒だ。お前の大好きな北斗と、俺と…一緒に暮らそうな」 「ワン…ワン、ワン!」 「ハハ、返事してるぞ。――じゃあ……瑞希、ここまででいい。…おやすみ」  そう言うと、しゃがんでいる俺の頬にキスしてきた!!   ……だけど俺は、この…手の早い奴を嫌いになんかなれない。  温かな唇が触れた頬に、手をやってぼやいた。 「…もう、これから先が思いやられる」 「今のはちゃんと理由あるぞ。お前に、感謝のキスだ」 「俺に? 何で?」 「生きていてくれた事に。俺の心が、今どれだけ満たされているか、…お前、少しは気付いてる?」  俺を見下ろし、首を傾げる成瀬の瞳には、今までにない明るさが見える。 「それなら俺も同じ気持ちだよ! 逢いたくて堪らなかった子に逢えたんだ、しかも最高の友達として。こんな嬉しい事ってない!」  一瞬、息を詰め、夜空を仰いだ成瀬の口から、呟きとも取れる声が零れた。 「……俺なんか、永遠に逢えないと思ってた子に逢えたんだ。それが…俺の一番大切な奴だったなんて、…本当に奇跡だ」  その言葉に、田舎で見た彼の涙を思い出した。  あの涙が、俺の為のものだったと知り、また…胸が締め付けられるような苦しさを感じた。  だけど、表には出さない。 「そうだ北斗、人を勝手に殺すなよ! ストーカーじゃなくて、殺人罪で訴えてやる!」  立ち上がって文句を言うと、 「死んだ人間に訴えられるのも悪くないな。これも貴重な体験だ」  俺をからかう成瀬の返事が、なんだか癖になりそうで恐い。 「……だから、死んでないって。俺は生きてここに、この街にいるんだ―――ッ!!」       思いっきり大きな声で大川に向かって叫んだら、成瀬が驚きながらも笑ってくれた。 「アハハハ、明るいなー! 最高に輝いてるよ、お前」 「ほんと!? 何等星くらい?」 「もちろん、一等星だ」  人差し指を立て、俺の前に突き出した。 「……見つけてくれたもんな、最初から。――ありがとう北斗、これからもよろしくな」  そう言って手を差し出すと、その手を握り返し、「こちらこそ」と答えた瞳が、街灯の明かりの下で、悪戯っぽく輝いた?   あっ、いつか見た! と思った時には、繋いだ手を引っ張られ、腕の中に抱きとめられていた。 「……あのなあ」  抗議の声をあげようとした俺の耳元に成瀬が唇を寄せ、そっと囁きかけた。 「――ごめん瑞希、…少しだけ、このまま抱かせて……逃げないで――」  鼓膜を優しく震わせる、甘く切ない声音と…囁かれた内容に、全身の力がまた抜けてしまった。  ……何だこれ。腰砕け? 違うか。  でも…普通男にそんな事囁かれたら鳥肌モノなのに……身体に力が入らない。何で!?  そんな俺の様子に、成瀬がクスッと笑みを漏らした。 「あーっ、お前…また何かやっただろ!」 「俺が? 何を?」  抱きしめたまま、とぼけた事を言う。 「……身体に力、入らないんだけど?」 「何もしてないぞ」  言いながら、クスクス笑ってる。 「ウソだ! お前、絶対俺をからかって遊んでる!!」 「そんな事するか、俺はいつでも本気だ。誰よりも強く、眩しいくらいに輝いてる瑞希をこの街で初めて見つけた時から、ずっと…俺の大切な宝物だ」 『……愛してるよ、瑞希……』  その囁きは、俺の耳には届かなかった。  優しく見つめる瞳の中に、彼の想いの深さを見ただけだった。  ――ありがとう、成瀬。  お前がいたから、この街で歩き出せた。  この先どんな人生でも、お前が傍にいてくれたら俺はそれだけで幸せだ、そんな気がする。  父さん、母さん、俺…この街に帰ってきて、本当によかった。  二人の愛した街を、俺も大切にする。  いつか…二人の元に逝く、その日までずっと………。  空には星が煌き、俺達の未来を優しく見守るように瞬いていた。
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