出会いと別れと

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 翌日、土曜日の昼前、電車で帰る予定だったばあちゃんを心配して、じいさんが田舎から愛車で迎えに出て来た。  自分で「年を取った」と言いながらも、その素早い行動に笑ってしまう。だけど片道三時間の距離は、高速道路が整備されてないせいか意外に疲れるらしい。 「日帰りはしんどいから、一泊して帰る」  と、昼飯を食べながら教えてくれたけど、今まで一度も一人になった事のない俺としても二人の帰る日が伸びるのは大歓迎だ。  一週間ぶりに祖父母の会話を聞きながらソバをすすっていると、急に話を振られた。 「ねえ瑞希、午後から買い物に行くんだけど、ちょっと付き合えない?」  ばあちゃんの頼み事は断れない。「いいよ」と承諾して、何を買うのか訊いてみた。 「それなんだけど、一週間前…ここに来てすぐ、お前の部屋のカーテン、処分しただろ」 「ああ、あの色あせてたヤツ?」 「そうそう。あれをすっかり忘れててね。昨日思い出して…ついでだから好きなのを選んでくれないかと思って」  遠慮がちに尋ねるばあちゃんを見て、納得した。俺の好みを気遣ってるんだ。 「そんなの何でもいいけど――でもわかった、付き合う。ホームセンターでいい?」   そこは昨日電車から見た桜並木と隣の駅との中間辺りにあり、他の店舗も集まっていて駐車場が広く、車だととても便利なんだ。 「そうねえ、あの店だったら必要な物が全部揃うね。瑞希が生活するのに困らないようにしておかないと」  エプロンのポケットからばあちゃんの必需品、メモ帳を取り出してリストの確認を始める。色々と買う気でいる様子に慌ててしまった。 「そんなに気合入れなくていいよ。この家を売らずにずっと管理してくれてただけでも、ありがたいって思ってる。それに今回のは俺のわがままだから」  遠まわしに遠慮したら、 「何言ってるの」  と、珍しく強い口調が返ってきた。「この家はお前の両親が瑞希に残した、たった一つの財産だよ、手放せるわけないでしょ。……本当に、五年も住まない内に形見になってしまうなんて……」  溜息をついたばあちゃんにつられ、俺も俯いてしまう。目の前のソバですら喉を通らなくなりそうだ。 「……でも、瑞希が帰ってきて、二人共きっと喜んでるだろうね」  最後まで一人暮らしを反対していたのに、そんな風に言われ、思わず顔を上げると、そこには四才の時からずっと見守り続けてくれた、温かな眼差しがあった。  本当は反対されたまま始めるここでの生活に、すごく気が引けていた。 「……ありがとう、おばあちゃん」  やっと認めてもらえたことにほっとして心から礼を言うと、少し寂しそうに…だけど優しく笑ってくれたんだ。    約束通り午後からばあちゃんに付き合ったものの、他の買い物に時間を取られ、すっかり退屈した俺は、案内の掲示板を頼りに一人でカーテン売り場に行き、今度はその種類の多さに頭を抱えた。  何でこんなに沢山吊るしてあるんだ? と思いつつペラペラめくってみたけど、やっぱり選べない。奥の棚には無数のビニール袋が山積みになっていて、その袋の表に丈と幅の一覧表を見つけ溜息をついた。  細かいサイズまであるなんて知らなかった。俺一人じゃとても無理だ。  諦めて戻りかけた時、この店の制服を着た男の人(子?)が、商品を抱え近付いて来た。胸に『アルバイト』の名札を付けている。 「あの! ちょっと訊きたいんですけど」  女の店員より楽に話せる気がして声を掛けると、その人は何故か驚いたように目を瞠り、すぐにふっと微笑んで、「何かお困りですか?」と快く相談に乗ってくれた。  抱えていた商品を棚に仕舞うのを待ち、事情を打ち明けると、部屋の間取りや窓の大きさ等、いくつか質問された。  次に遮光性や防炎、UVカットなど、それぞれの品物の利点を説明され希望を訊かれたけど、どれがいいかなんて全くわからない。たかがカーテン、されどカーテンだ。  彼の淀みない説明にふんふんと頷いて、最後にはその人自身をすっかり信用していた。下手に俺が選ぶよりこの人に任せた方が確かだし、安心できる。そう思い全てをアルバイトの彼に委ねた。  結果、バーゲン用のワゴンの商品の上に選び出してくれた、数点の中の一つを迷う事なく手に取った。 「これ! これがいい」 「そうですか。では、在庫の確認をしますので少々お待ち下さい」  言い置いて、同じメーカーの商品が置かれている棚に向かう。  そつのない対応をする彼の、後ろ姿を目で追いながら、正直情けない気持ちで一杯になっていた。  年齢はそれほど違わないはずなのに、随分大人びて見える。  羨望の眼差しで見つめていると、棚を調べていた手が止まり、ごく自然に胸ポケットから黒い物体を取り出して、ボタンを押し耳に当てた。  何でもない仕草までが、やたら格好いい。  ……街の人間って、みんなこんな感じなんだろうか。  そんな事を考えながら、遠くで相手と真剣に話す横顔をぼんやり眺めていた。 「お待たせしました。実は、この商品はこれが最後なんです」  俺が選んだ物と同じ柄だけど、それより膨らんだ袋を手に戻ってきた彼が、僅かに沈んだ面持ちで告げた。 「一袋で一セット…えっと、左右対になってます。それに表地に合わせたレースのカーテンも入ってますから、東側の出窓と南側の掃き出し窓の分はあります。けど、他の部屋も同じにという事でしたら、これ以外の色でないと揃わないんですが」  申し訳なさそうに言われ、俺の方が恐縮してしまう。在庫がないのは残念だけど、すごく気に入った物を手放す気にはなれない。 「自分の部屋だけでいいから、これで十分…です。どうもありがとう、助かりました」  相手の年齢がわからないから、話し方も中途半端になる。自分でも変だと自覚しつつ、袋を抱え礼を言うと、「どう致しまして」と応えた彼が、にこっと微笑み、 「またのご来店、お待ちしています」  完璧なまでの営業スマイルを返してきた。  その姿勢を見て、アルバイトに対する意識が変わる。もちろん、適当でいいなんて思ってない。  ただ、西城高がバイトを容認していると知って、自分もしたいと思いはじめていたから、彼みたいな真似ができるかどうか……それ以前に、働く事を安易に考えていた自分が、恥ずかしく思えたんだ。  カーテンを抱え、大仕事を済ませた気分でじいさん達を探しながら歩いていくと、必要な物が揃ったのか、レジの近くにカートを置いて辺りを見回していた。  俺に気付いたじいさんに袋を上げてみせ、足早に二人の所に戻った。 「ごめん、待たせた? すごく種類多くて、悩んじゃって…」 「あら! いいの選んだじゃない、やっぱりおばあちゃんが決めないで正解だった」 「そう? 実はこれお店の人に見立ててもらったんだ。すごく感じのいい人だったよ」 「まあ、親切な人でよかったねえ。じゃあお会計済ませようね」  カーテンの袋を上に乗せ、レジに並んだ。 「ところでねえ瑞希、おばあちゃん達、この後お隣の食料品売り場に行くんだけど、お前…どうする?」  俺が退屈していたのはお見通しだったのか、ばあちゃんが申し訳なさそうに訊いてくる。苦笑しつつ出入り口の上にある壁時計を見ると、三時近くなっていた。 「俺、ちょっと川土手を歩いて帰ってみたいんだ。まだこの辺よく知らないし、二時間ほどあったらゆっくりできるだろうから、…いいかな?」  別行動の許可をもらい、大川へ続く道を一人、歩きだした。  春の風が時々そよいで、汗のうっすらにじんだ額を優しく撫でていく。 心地よさに、歩調も自然と緩くなった。  この調子だと着く頃には大分汗をかきそうに思え、目に留まった販売機でお茶のペットボトルを買っておいた。  十分程歩いただろうか、道路の向こうに高く盛り上がった土手と、桜の花が見えてきた。  はやる気持ちを抑え、同じ歩調で近付いていくと、数メートル先に幅の広いコンクリートの階段が見えた。  抑え切れずに走り出し、二、三段飛ばしで一気に駆け上がる。  桜並木の遊歩道から大川を見下ろして…驚いた! 「……うわーっ、すごい!」 ―――両岸一面を、菜の花が黄色に埋め尽くしていた。 その下から黄緑色の葉っぱがのぞき、より鮮やかに花を引き立てている。  川面は、そんな風景と澄み渡る青空を映し、陽の光を浴びてキラキラ輝きながら、ゆったりと流れていく。  時々、風が戯れるように桜の枝を揺らし、耐え切れなくなった花びらが、ふわりと舞い散っていった。  なんだか……胸が一杯になって、立ちつくしてしまった。  都会の喧騒の中に、こんな穏やかな景色があったなんて……。  ふと思いついて、川辺までの坂道を下り、今度は川岸に沿ってゆっくりと歩いてみる。  父さんや母さんも、こんな風にここを歩いたんだろうか?   そんな思いが胸をよぎり、感傷的になりかけて、想像するのを止めた。  少し歩いて花の途切れた所に腰を下ろし、トレーナーの袖で額に浮いた汗を拭く。  手にしたボトルのお茶を一気に飲み干して一息つくと、仰向けに寝転び、目を閉じた。  うららかな日差しと、川を渡る風が気持ちいい。  土手が高いせいか車の音はあまり聞こえず、川のせせらぎと鳥のさえずりを聞きながら、やばい…と思いつつも、いつの間にか眠り込んでいた。  どのくらい時間が経っただろう、すぐ傍で異様な気配を感じた。  荒い息遣いが耳に届き、やっと睡魔から解放され目を開けると、真っ白な何かが視界を塞ぎ、頬に、濡れて柔らかく、生温かいものが触れた! 「うわっ!?」  あまりの気持ち悪さに悪寒が走り、慌てて飛び起きようとしたら、今度は身体の上にのしかかってくる!   その時、『何か』がわかった。白くて大きな犬だ! 「ちょっ…なんだこいつ!? 待て…! ちょっと待てって!!」  頬に触れたのがこの犬の舌だとわかり、取り合えず安心したけど、事態が好転したわけじゃない。  両手を犬の腹にあてがい必死の抵抗を試みたものの、どく気配すらなくて途方に暮れる。と、犬の首輪と繋がったままのリードが見えた。 ……飼い犬だ、そう気付いたのとほぼ同時に、遠くの方から、 「……おーい……ランディー………」  こいつの名前らしきものを呼ぶ声が微かに聞こえた。多分、間違いなく飼い主だ。 「ここだよーっ!」  腹の底から喚いておいて、自力で脱出するのを諦めた。  身体の力を抜き、顔中舐めまくる犬の頭を両手で掴んで、よだれまみれになるのをかろうじて阻止する。 「お前、どこから来たんだ?」  話しかけてみたけど、相手は興奮しきっていて、隙あらば舐めようと長い舌を俺の顔の上に垂らす。これはこれでかなり怖い。  そこへようやく、呼び声の主が息を弾ませ走ってきた。 「こらっ! ランディー、伏せ!」  命令された犬が、しぶしぶ俺の横に寝そべって、「キュ~ン」と、情けない声を上げた。  よく躾けられてる。これまでの興奮状態が嘘みたいだ。  やっと両手が自由になり、袖口で顔を拭きつつ感心していると、膝に両手を突っ張った飼い主が、苦しそうな息遣いのまま、俺に声を掛けてきた。 「ごめん、大丈夫か? ケガとかしてないといいけど、立てる?」  続けざまに問われ、慌てて身体を起こしながら、「平気平気」と答えた。 「寝起きでぼーっとしてただけ。うとうとしちゃったみたいで…こいつに起こされなかったら夜中になるとこだった。助かったよ」  ちょっと…いや、すごく驚いたけど。 「……ありがと。そう言ってもらうと多少救われる。この犬が人を襲ったりしたの、初めてなんだ。いつも大人しいから油断してた。本当に悪かった」  頭を深く下げて謝る飼い主に、なんだか親しみを感じた。 「もういいよ、な、ランディー。死体かと思って来てみたんだろ? 好奇心だよな」  笑いながら名前を呼んで、ポンポンと軽く頭を叩いてやると、腹ばいになっていたランディーが立ち上がり、飼い主の元に甘えるようにすり寄っていく。  彼もほっとしたのか、愛犬のくりっとしたまん丸な瞳を見下ろして、「びっくりさせるなよ」と睨みつける。  けどそんな事はお構いなし、嬉しそうに尻尾を振った犬が飼い主に跳びついた。  その光景に目が点になる。肩まで前足が掛かってる。  ………大きい…よな、やっぱり。  だけど、服が汚れるのも意に介さず、平然と取り合う飼い主を見ていると、彼ら(?)の仲の好さが伺える。  俺までほのぼのした気分になって眺めていたら、ものすごく不似合いな事を言われた。 「それにしても、こんな人目につかない所で寝てたら、ほんとに襲われるぞ」  その内容は、都会慣れしてない俺には理解し難いものだった。 「ここら辺って、昼間はのどかだけど、夜は物騒なんだ」 「――『襲われる』って、野犬とか?」  十年以上も、田舎ののんびりした環境の中で暮らしていたせいか、『物騒』という感覚が今一わからず、飼い主を見上げると、 「違う、人間。刃物とか持ってる分、最近はそっちの方が危ないだろ」  呆れたように俺を見返して、「あれっ!?」と、不思議そうな声を上げた。 「――さっきカーテン買ってくれた子じゃないか」 「え、何で知ってるんだ?」 「……あのなあ、一緒に選んでやっただろ」  もう忘れたのか? と言いたげに上から見下ろす彼の目、…思い出した!   深く澄んで優しそうな、それでいて強い光を宿してた瞳が、すごく印象的だったんだ。  店ではユニホームを着てたんで、目の前のTシャツにパーカーを羽織った彼とは結びつかなかった。 「何してんの? こんな所で」  我ながら妙な質問だと思ったけど、返ってきた答えは、意外なほど真っ直ぐだった。 「何って、バイト終わってランディーの…この犬の散歩だよ」 「そうなんだ……え、バイト終わったって、今…何時?」 「ん? えっと…五時半過ぎたところ」  パーカーのポケットから、店で使っていた物とは違う濃紺の携帯を取り出し、教えてくれた時間に驚いた! 「ウソ! 何時間寝てたんだ?」 「…俺に聞くな。知るわけないだろ、そんな事」 「アハハ、それはそうだ」  真顔で答える彼の反応に受け、思わず笑い声を上げた。  彼の犬に驚いたせいか、店の時とは違い、互いの口調も砕けたものになっていた。 「けど…やばい、ばあちゃん心配してるだろうな」  最後の方は、独り言になった。  もう少し目の前の彼と話してみたいけど―― 「……俺、帰るよ。ランディー、起こしてくれてありがと」  立ち上がり、ペットボトルを拾い上げた時、俺を見ていたらしい彼と目が合った。  にこっと笑いかけると、返事の代わりに片手を上げる。それだけで十分だった。  ――親しくなれる、そう確信して走り出していた。   
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