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高値に釣り上げられた雪春の絵を、それでも彼の才能の糧になるのならと、洋至は出し惜しみしなかった。ただ弓束に渡らないように、全ての絵が納品された後に直接雪春本人へと小切手を渡すと言い張る洋至に、もう金は要らないと弓束は態度を翻した。
「その絵が出た後の事は分からない。ただ、まったく雪春の絵が出て来ないというだけだった」
おそらくその後に春之は弓束の貢物代わりにされたのだろう。
守ったつもりの洋至の行動は、もしかすると春之への最後の引き金を引いてしまったのかもしれない。
「初めて春之に会った時に気付いたのか」
「いや、違う」
自分は気付くまでに時間がかかった事が悔しくて、洋至がいつ春之の正体、いや“雪春”の正体に気付いたのかが気になった。
「雰囲気は絵に似ていると思ったが、あの子はとても綺麗に自分を隠していたよ。女性だと言われて、こんな女性も居るのかと思っただけで疑わなかった」
その後「感服する」と言った洋至の言葉は決して褒め言葉ではない。
「あの子は、お前の元を去ったのだろう」
真っ直ぐに問われ、八紘は誤魔化しなく頷いた。
「その後なのだろうな。わしの所に手紙が来た。名前は“春”となっていたが、優しく几帳面な文面は当時のままだった」
「祖父さんに手紙?」
洋至の手元で空になった青い切子グラスに冷酒を注ぎ足す。
洋至は透明な青の隣に見覚えのある字で綴られた一通の手紙をそっと置いた。
――私が探していたもの、求めていたもの、全てを大切にし、愛おしいと伝えてくださる。そんな八紘さんの傍に“雪春”を置いてくださり、有難う御座いました。
雪の冷たさがあるからこそ、春は温かく感じるものなのだと、彼に出会って初めて知る事が出来ました。心から感謝致します。
――春――。
「春、雪……ね」
「そこまで綺麗に自分を隠せる人間は、そうしなければならなかった大きな影を背負っている」
もう一度祖父は雪春の襖絵を眺めやり深く重い息を吐きだす。
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