―逃げた花嫁―

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 二度と敷居を跨がせるつもりはなかったが、八紘は絵理沙を応接室に通し、自宅に戻っていた石崎を呼び出した。 「悪いが弓束には罪を償ってもらうぞ」  真っ直ぐに言った八紘に、絵理沙は涙を堪えながらも小さく頷き、掠れた声で呟く。 「春之くんの事よね」 「お前は大丈夫だったのか」  八紘は気使いながらも女性相手に具体的には聞けなかった。それでも絵理沙の「大丈夫だった」との頷きに一先ずホッとする。  この家に入った頃の彼女の言動には根っからのお嬢様育ちで目に余るものがあったが、考古学者の彼との生活はそれなりに厳しいものがあるらしく、人として成長していた。  部屋に通したナツや、茶を差し出す斉木達に「あの時は、ごめんなさい」と謝っているのを聞いたのだ。だからこそ最初は嫌そうな顔で同席していた石崎も、一言も言葉を挟まず秘書然として八紘の背後に控えている。 「本当は私が行くはずだったの。それが女に生まれた価値だって」  ゾッとしない事を言って絵理沙は悲しく微笑んだ。 「春之くんの正体知ってる?」 「雪春だって事か」  即答した八紘に絵理沙は「分かってるなら良いか」と頷いて、八紘の知らない春之の過去を話してくれる。 「昔から画廊に来る画家の人達が春之くんに絵を教えていたからかな。小さい頃から才能があって、それに目を付けた父は、描かないなら人として価値は無いって言い放ってた」  描けなくなっても女なら体を差し出させられるが、男に生まれた春之には価値が無い。弓束はずっとそう春之に言って聞かせていたという。  しかし自分の政治資金の為に、絵理沙の高校卒業と同時に結婚という名目で彼女を差し出そうとしたのが絵理沙本人に知れ、彼女のあまりに激しい抵抗に実の娘には強く出られなかった弓束は、美しく育った“価値がない”はずの春之に目を付けた。
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