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「八紘さん、大丈夫でしょうか」
「大丈夫ですよ。そもそも、今まで大晦日でさえ会社に泊まり込んでいたんですもの。家にお帰りになったのですから、今のお仕事さえ終えられたら、後は春之様とゆっくりされるおつもりなんですよ」
「そんなつもりで僕は言ったんじゃ」
シワを深くして微笑むナツに、春之が赤くなりながら手を振った瞬間、広いリビングの入り口から嗤う声がした。
「何だ、お前との時間を作るために頑張ったのに、春之は俺と一緒に居たくないのか」
書斎に居るものと思っていた彼の声に驚いて振り向くと、グリーンティーの様な爽やかで甘い香りに包まれる。この香りが、最近、二人のお気に入りだ。
「そうじゃなくてっ」
「じゃあ何だ。もっと社に居れば良かったか」
八紘の腕に腰を抱きこまれながら、春之は見事に朱に染まったその美しい顔を覗き込まれた。
新緑と甘い花の香りが漂う春までは、この香りと優しく温かい腕が互いを包む。
「もうっ! 八紘さん意地悪だ。心配したんですよ。こんな大晦日にまで仕事してらして。お邪魔だと分かっていましたが、せめて休憩をとお声を掛けにいけば座ったまま寝ていらっしゃるし」
八紘のその深い黒を光らせた瞳で見つめられ、春之の声はどんどんと小さくなり、その視線から逃れるように顔も俯いていく。
「倒れるんじゃないかと心配で、心配で」
凋んでいく声に、仕方なさそうな、それでも優しく微笑む八紘の顔を、俯く春之は知らない。
「悪かった」
それでも、からかいを謝罪する声は温かく、全てで愛おしさを伝えてくれる。その言葉に春之の手が、八紘の腕をキュッと掴んだ。
「お前と一緒になって初めて新しい年を迎えるんだ。その瞬間を春之の傍で迎えたいと思った」
真っ直ぐな八紘の声に引かれる様に春之の視線が上がる。
「今年が終わるその瞬間も、新しい年を迎えたその瞬間も」
続けられる言葉に春之は顔をくしゃくしゃにして、八紘へと抱き付いた。
「傍に居てください」
「居るさ。ずっと。春之の傍に」
春之は返事の代わりに、艶やかな唇を八紘のそれと結んだ――。
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