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 果樹園。それははるか遠い昔、永遠の命に飽いた吸血鬼たちが遊び半分に始めたシステムだ。  林檎、桜桃、無花果、柘榴―それぞれの魔力をわけあたえた樹で果樹園を作り、生まれる吸血鬼の果実を誰が一番数多く、そして優秀に育てられるか数を競い合った。  吸血鬼の青い果実は、十四歳になるまでをそれぞれの果樹園で過ごすと、人間界の家庭に寄生する。そして人間を誘惑し、吸血かSEXを済ますと、晴れて一人前の吸血鬼になる。  ときどきいる、どこか浮世離れした雰囲気のある転校生―そして気がつくとまたどこかへ転校していったと聞かされる―は、こうして送り出された青い果実たちであることが多い。  そんなわけで流果もまた、本日二学期の始業式とやらを済ませてきたところだった。  祖父母が待つ家(両親を事故で亡くして引き取られたという設定で潜り込んだ)に、まっすぐ帰らなかったのにはわけがある。  ――くそ、柘榴ジュースも売ってないのか、この田舎は。  すぐに吸血出来ない場合、生れ果樹園の果実を摂取すれば多少しのげる。林檎園なら林檎ジュース、無花果園ならドライフィグといった調子で、流果の場合は柘榴ジュースやグレナデンシロップが好ましい。  ――のだが。  見渡す限りたんぼ、たんぼ、たんぼ、畑、たまに家そしてまたたんぼたんぼ、みたいなこの町に唯一ある駐車場が異常に広いコンビニや、忽然と道ばたに現れる、やっているのかいないのかわからない個人商店をくまなく覗いた結果、それらはどこにも置いていなかった。  本来なら黒くはない髪と瞳を擬態しないとならないから、寄生先としてアジアは不人気だ。つまり今の流果はそれだけ常に魔力を消耗しているということだった。待機電力のように。  加えて九月、夏の終わりのこの湿気。恐るべし、ニッポンノナツ。  ……ひとまず、帰るか。 もったり熱い息を薄い唇から吐き出して、流果は撤退を決めた。そう、これは負けではない。戦略的撤退だ。帰って横になれば、少しは消耗も抑えられるだろう。そして明日には早々に誰かを襲って吸血鬼として熟し、魔界に帰る。  ――こんなところに長居は無用だ。  そのとき、同じ制服に身を包んだ少年が、行く手にある大きな邸の前にたたずんでいるのに気がついて、流果は目をすがめた。  たしかあれは、――清水葵(しみずあおい)。  流果の仮の名字は「佐伯」。後ろの席の生徒だ。  どこか垢抜けない少年たちの中で、葵は唯一流果が「まあ、視界の隅にならいても不快じゃない」容姿をしていた。  まず制服の開襟シャツの襟元から気が狂ったような色や柄のTシャツが覗いていないし、髪はなにやら過剰にぬったくっておらず、ほっそりしたうなじに沿って短く整えられている。少年特有の線の細さはありつつ、はっきりと自分の意思があることを思わせる賢そうな目元。三年の二学期という中途半端極まりない時期に転校してきた自分に、無遠慮な視線をよこさないのもいい。  葵は、邸を取り囲む黒板塀と、そこからはみ出す木々を見上げて――睨みつけているようだった。  やがて葵は、白い肌の中でそこだけ妙に鮮やかに見える赤い唇を噛み締め、目元を乱暴に拭った。  ――泣いているのか?  流果は眼鏡の下の眉根を冷ややかに寄せた。  吸血鬼は泣かない。  泣くと魔力を消耗するからだ。  人間は本当に無駄で非効率だな。こいつもしょせんその程度か。  胸の内でそう切り捨てて、踵を返そうとしたとき、葵は不意にしゃがみ込んだ。  小石を拾い上げ、塀の中に向かって投げつける。  ――は?  放たれた石は木々の間をすり抜けて、敷地の中に消えた。  制服のシャツの中でまだ体が泳ぐような華奢な葵が、ついさっきまで泣いていた少年が、今度はそんなことをする。  ちぐはぐな印象に戸惑っていると、塀の中から引き戸が開く音がした。住人が様子を見に出てきたのだろう。原因を作ったのは自分だというのに、葵はさっと青ざめると、素早く走り去っていった。 「――」  待て待て。  これ、俺が疑われるやつじゃないか?  冗談じゃない。こっちもさっさと逃げないと――焦って辺りを見回したとき、気がついた。黒板塀の上から往来にまで伸びている枝。深い緑の葉に埋もれ、赤い風船のような実がなっている。  柘榴だ。  そうだ。盲点だった。田舎だからこそ、実のなる木を庭に植えている家もあるだろう。摂取出来るなら、もちろん生の果実に勝るものはない。  目の前に柘榴が。でも逃げないと。どうする――ここは一時撤退して、あとで――? 「おい! ――っ!!」  逡巡の間に、門から勢いよく飛び出してきた人影とぶつかる。くらりと景色が歪み、そして暗くなった。
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