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WHOによる冷遇処置
我那覇広志はインフルエンザの専門家である。
その積み重ねてきた実績と信頼によってWHOへのデータ提供の仕事を担当していた。
毎年流行しては多数の死者を出すインフルエンザ。
そのウイルスの種類には、高熱が出てヒト以外のブタやウマやニワトリにも感染するA型、ヒトにしか感染しないB型、幼い子どもに感染して高熱も出ずに二日程度で自然治癒していることが多いC型の三種類がある。
A型かB型か。インフルエンザワクチンの選定は毎年WHOの専門家会議で決定されるが、その選定の根拠となっていたのが、日本が集めたアジア各国の膨大なデータだった。
我那覇広志はWHOに依頼した。
日本にもインフルエンザセンターを作って欲しいと。
すると、予想外の返事が返ってきた。
『WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。よって日本は入れない』
露骨な日本外しだった。
それはおかしいと、我那覇広志は思った。
インフルエンザの大半はアジアから発生している。それなのにインフルエンザセンターが作られているのはアメリカとイギリスとオーストラリアの三カ所だけである。
情報収集の拠点であるアジアの中の日本にインフルエンザセンターを作ることは理に適っているはずだ。
だが、何度手紙を送ってもWHOの返事が変わることはなかった。
『我那覇はWHOに批判的である』
それどころか、日本はWHOから冷遇されるようになっていった。
責任問題が我那覇にのしかかってきた。だが、我那覇が取った手法は意外なものだった。
『一年間、WHOに収集したデータを送らない』
WHOは大騒ぎになった。
ワクチンの選定ができなければ、ワクチンの増産もできない。
ワクチンの増産ができなければ、インフルエンザの流行に対応することができない。批判はWHOに集中した。
WHOは日本と我那覇に頭を下げるより他なかった。
我那覇広志は新しく設立されることになった日本インフルエンザセンターの初代所長となった。
地位や名誉が欲しかったわけではない。ただ日本が世界の平和に貢献しているのだと認めてほしい。
そんな気持ちから行なったことが帰結したのだった。
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