遠い記憶

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遠い記憶

 師走の慌ただしさに包まれ、引越しの準備を進める。「2年で芽が出なかったら地元へ帰る」という約束の日を今日迎える。  もう何もかも諦めた。コンテストに応募しては鳴かず飛ばずの繰り返し。私には才能なんてなかった。ただの勘違いだったんだ。  そんな気持ちを心の中に閉じ込めたまま、何も考えないようにして手足を動かしていく。冷たいフローリングの上には、くすぶり続けた思い出の詰まったダンボール箱が3つできあがった。 「半分もいっていないな。まだまだかかりそう」  そんなひとりごとを言うと、呼応するかのように、ひらりと一枚の紙が床に落ちた。手書きの文字で綴られている。見覚えがあったのは、間違いなく私の筆跡だったからだ。  ◇ 『天才を殺す凡人』読了。 タイトルの「殺す」というのは誇張表現かと思っていましたが、そうではありませんでした。 自殺などの悲しいニュースが多い今、どうしても筆を執らずにはいられず、ここに乱文を綴ります。  ◇  どうやら読書感想文のようだ。誰に宛てたものかわからないが、読み進めていく。  ◇ 天才とは、独創的な発想を持つ人のことを指すそうです。 私は、幼い頃から、同級生には「変わっている」、大人からは「末恐ろしい」と言われ続けました。 自分が周りと違うとはっきり自覚したのは小学校1年生のとき。 「何色が好き?」という質問に、私は「深緑」と答えました。 男の子は「青」「水色」、女の子は「赤」「ピンク」という回答が多い中、「緑」というだけでも少ないのに「深緑」と答えたのです。 「私って変なのかな?」と思った最初の出来事でした。 色だけではありませんでした。 キャラクターも、音楽も、友達の好きなそれとはことごとく違います。 全く話についていけませんでした。 子どもながらに疎外される恐怖を感じます。 話を合わせるため、私は自分の心に嘘をつくようになりました。 そんな自分を呪いました。 「どうして、私はみんなと違うんだろう。普通になりたい」と。 成長するにつれ、「をよしとする日本」より「人と違うことをするのが評価される海外」に憧れを抱くようになりました。 当時はうまく言葉にできませんでしたが、英語に興味を持ったのも、就職先に商社を選んだのも、そうした理由があったと思います。 大人になった今。 「理解してほしい」なんて、おこがましいことは言いません。 どうかそっとしておいてください。 人は理解できないものに恐怖を感じるものです。 そして、排斥しようとします。 どうしても理解に苦しむなら、言葉は凶器になるということを忘れないでください。 あなたに才能の芽を摘む資格はありません。 誰にもありません。 ましてや、命を奪う権利もありません。 自分が理解できないからという理由で、これ以上、才能を殺さないでください。 犠牲者を出さないでください。 「才能だけで食っていけるほど甘くない」 そんなことは本人が痛いほどわかっています。 上には上がいる厳しい世界で、「自分に一縷(いちる)の才能もなかったら、こんなに苦労しなかったのに」と葛藤しながら、もがいています。 才能は純真な部分に宿ります。 儚く美しいものだから。 今にも消えそうな灯火を必死に守っています。 どうか思いやりで溢れる世界になりますように。 追伸 「傷つけてしまった」と自覚がある方へ 私の場合に限っての話になりますが、謝っていただく必要はありません。 私はすでにあなたを許しています。 ただ、忘れることはできません。 なかったことにはできないから。 私は私のためにあなたを許します。 憤りを持ち続けても幸せになれないから。 ふと目についた花を「美しい」と思えなくなるから。 あなたに良心があるなら、どうかそっとしておいてください。 そして、次の犠牲者を出さないことを祈ります。 天才よ、負けるな。  ◇  紙のインクがにじんでゆく。私は、両手を握りしめた。  呼吸を整え、スマートフォンを起動させる。 「ごめん、やっぱり引越しはやめる。もう一年だけ、粘らせてほしい。自分勝手で本当にごめんなさい」  母親は何も言わなかった。勘当されてもおかしくはない。「ごめんなさい」ともう一度言って電話を切ろうとすると、たったひと言だけだがはっきりと聞こえた。 「負けるな」  そうだ、私は自分自身に負けていたんだ。  窓の外を見るとさっきまでの曇り空が、晴れ渡っていた。 〜完〜
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