愚痴捨池の栗鼠

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日が沈んだ後の静寂と秋の冷たい風が髪を揺らす。 山奥に行けば行くほど増す不気味さと反比例しながら木々のざわめきと動物たちの音が消えていった。 普段の人間の日常には決してない音がこの場の空間を支配する。それは私の足音と混じってどこまでも飲み込まれていくような響きだった。 そうした季節外れの肝試しを経て私が辿り着いたのは池の前だった。 何も当てもなく彷徨ってきたわけではない。失意の中にある私を心配した友人からこの場所を教えられたのだった。 正確な名前は誰も知らない。ただ"愚痴捨池"という名前で一部の人間の間で知れ渡っているらしい。 友人曰く、この池に恨みや辛さや嫉妬といったドロドロとした気持ちを込めてモノを投げ入れると、その気持ちがスッと軽くなり愚痴を言わなくなるんだそうだ。私もその恩恵に預かろうとこうして足を運んできた。 それにしても想像以上の雰囲気だ。名が知れ渡るのも頷ける。小さな神社や公園にありそうな大きさではあるが "愚痴捨池"の放つ妖気はその存在をより強く意識させ、その深さは地球の中心にまで繋がっているようにも感じた。 意識を池に飲まれかけたところで当初の目的を思い出す。 私が持ってきたのは一つの腕時計だった。 やたらきらきらと主張の激しいこの時計は私の父が社会人になるときに買い与えてきたものだった。 学生時代少しでも父の思い描く道から外れれば徹底的に叩き潰された。 親はお前の何倍も生きている。なぜその言うことが信じられないんだ。 それが彼の口癖であり、私に対する行動原理だった。 私を産んですぐ母は他界し、ろくに頼れる親戚もいない学生の身であった私はどんなにその圧力を嫌悪しようと そんな父親の庇護下にいることしかできない。 高校時代の画家になりたいという夢は父の言うとおりの名門大学に通うことで消滅した。 大学時代に出会い結婚まで考えていた恋人には、紹介の際のしつこい尋問が原因で別れを切り出されてしまった。 そうして何とか耐え忍んで手に入れた社会人という自由の扉の目の前でこの腕時計を渡された。 それはこれからも私の人生という時間を縛り付けるという意思表示にも感じられて足がすくんだ。 私は諦観とともに左手に首輪をつけられたままその人生を歩んできた。 それから十数年、ろくに顔を合せなかった間に父が危篤になったという知らせを受けた。 前向きではない。父に対する感情は長い時間の中で錆びついていて、心に沈殿したまま。 それでも社会というものに属しているおかげか、左手につけた首輪のせいか、行かないという選択肢はなかった。 リードを引かれるように病室を訪れるとそこには大層くたびれた老人が横になっていた。 声は掠れてよく聞き取れないし眉間にまとっていた威圧感も消え去って父を父たらしめていたモノが抜け落ちていた。 その老人が絞り出すように口元を震わせながら声を発する。そうして老人はまた深い眠りに戻ってしまった。 一瞬何を言われたのか分からなかった。いや言われた内容も声も聞き取れている。ただ認識が追い付かない。 「お前はもっと自由に生きなさい」 という内容のものだった。 自由というものを私から最も遠ざけていた存在のその言葉が岩に水が染みるように認識をもたらす。 そうして私の中の何かが決壊した。今まで固まっていた歪な心の重い石が溶けてマグマのように心をかき乱す。 言葉という言葉が口から溢れ、息もできないほどに感情が心臓を鳴らした。気が付いたら病室を飛び出していた。 その一部始終を見ていた看護師の友人が私を心配しないというのも無理な話だった。
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