愚痴捨池の栗鼠

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この腕時計を捨てれば楽になれるのだろうか。 私を縛り付けていた鎖は父が生きていようとなかろうと心の奥隅に引っかかったまま私を蝕んでいくように感じた。 一本一本ねじ曲がって心に突き刺さった釘を抜いていくような感覚を味わいながら腕時計を外していく。 そうして右手に握ったそれを池に叩きつけようとして、躊躇する。 この異様な雰囲気だ。ひょっとしたら神様や仏様なんてものがいるかもしれない。なんとなく過激な行いは憚られる。 そうして一呼吸置いた後それを下から池に投げ入れた。 控えめな音を立てて水に沈んでいくそれを見ても特に私の心に変わりはなく感情は渦巻き続けている。 まあ都市伝説めいたお話なんてこんなものかと池から離れようとしたその時だった。 「ちょっとあなた 落とし物ですよ」 背を向けた池のほうから声がする。 耳を介さず直接脳に届くような声にかつてないほど目を見開く。 咄嗟に振り返るとちょうどリスが腕時計を持って池の中からひょっこりと出てくるところだった。 私の知る限りリスは水生生物ではないし、人間の言葉を喋ることもない。 現実離れした光景に理解が追い付かない。これは夢なのだろうか。 「夢ではないですよ ほらこれ あなたのモノでしょう」 そうしてリスに渡された腕時計の感触がこれが現実の出来事であることを悠然と語っている。 非現実的な光景が引き起こす混乱はまだ私の中から去っていないが興味本位でそのリスに話しかける。 「あ、ありがとうございます ええと あなたは一体 その... なんなんですか?」 リスはこちらの怪訝な目に気づくと自分の姿を一瞥してきょとんとした顔で再び不思議な声を発した。 「この世界にはこのような姿で動き回るリスと呼ばれる生物がいると思うのですがそんなに不思議ですか?」 「確かにいますが水の中には住んでいませんし人と会話をすることもないかと...」 「...ああそんな 人前に出るのは初めてなのでその辺にいた生物の姿を拝借したのですがそんな落とし穴が」 何ともおかしな生き物である。というかそもそも生き物なのか。 脳に浮かんだ疑問はそのまま私の口を動かす。 「あなたは生物なんですか?」 「ふむ 生き物と言われれば生き物ですね 生きているので があなたたちが"生物"と言っているものには分類されないでしょう そうですね... 霊というのがあなたたちの言葉を使ったとときに一番近いでしょうか」 「霊... 悪霊...?」 「そんな! 悪? 滅相もない  我々はあなたたち人間と共存関係にあるのですよ "持ちつ持たれつ"ってやつです いわば良い霊 善霊といっても過言ではないでしょう」 なぜかリスが胸を張って自慢げにしている。 普段ではなかなか見られない光景に微笑ましくもなるが疑問に対する回答は更なる謎を呼ぶだけであった。 「ところであなた 私は注意しに来たんですよ 怒っているのです」 「注意? ああ やっぱり池にモノを投げ入れるのは良くないですよね」 「いえいえ そうではなくてですね 投げ入れるモノが悪いんですよ」 「モノ、ですか」 「ええ」 言われている意味がよく分からず首をかしげてしまう。腕時計では良くなかったのだろうか。 そんな私の様子を見てリスはさらに説明を加えてくる。 高説を垂れるリスなど今後目にすることはないだろうという興奮と好奇心は一旦心の片隅に片づけて、頭の中で鳴る不思議な声に意識を集中させる。
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