退屈なんかじゃなかった

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 笹木白黒(ささきはく)にとって、退屈な場所などなかった。  何も起こらない毎日には、共に過ごす人がいて、すり潰すように永遠の青に彩られているらしい日々を過ごす時間にも満足していた。  横に持ったスマートフォンの画面に星が五つ光る。仰々しいエフェクトと共に、気合の入った台詞が十数秒流れ、テキストに「おめでとう!」と祝われた。  赤い長方形に白い三角の入ったアイコンをタップすれば、日常を楽しく着飾ってくれる世界があって、それなりに好きな趣味を嗜む時間は「生きてる」という実感があった。  白黒(はく)にとって、日常は、言い知れぬ焦燥感と漠然とした不安や纏わりつく違和感があっても、退屈の言葉は似合わない世界だった。 「……おぇっ」  は、クラゲだ。  書店で貰った黒いレジ袋を持っていた手がチクり、と痺れた。  首筋に鋭い小石でも投げられたような感覚は、直ぐに喉の奥と耳の内側が(かゆ)くなるような不快感に変わっていた。  白黒(はく)は、勢い余ってゴキブリを手で仕留めてしまった時の事を思い出していた。 ――レジ袋は、太陽の光を反射して煌めく、真昼に浮かぶ月のようなクラゲに変わっていた。    高校生である白黒(はく)は古文で見た「海月(くらげ)」の漢字に場違いにも納得し、一拍遅れて悲鳴を上げた。声が裏返る。恥ずかしくなって周りを見ると、どこも酷かった。  赤い車は車体を甲羅にした人の顔をした亀になっていた。「信号無視するな、クソが!」と叫びながら、遅々とした足取りで赤信号を渡っている。  その信号機は三人ぶんの人間の顔がへばりついて光る針葉樹になっていて、光る色が変わるたびに苦痛の声が上がっていた。  道路は波のように脈打ち、あるビジネスマンは身体が三つに裂けてそれぞれが軟体動物のように(うごめ)く奇怪な姿になっていた。原型をとどめている人間は少なく、あるいは口から犬の頭が飛び出し身体が異常なまでに赤黒く膨張した婦人やあるいは顔だけが神社の鐘のように肥大した赤ん坊や、互いの口に手を入れたまま血走った目で横たわる小学生二人など。  白黒(はく)にはじめに想起され、その場を最も良く形容している言葉は、まさに――。 「地獄、絵図だ……」  それが、地獄絵図(退屈でない世界)だった。
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