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2.行為
「なにをするにもまず風呂に入ってくれ」
そう言って白い彼を風呂へ放りこみ、その間に夕飯の準備をする。
結局男を連れ帰ってしまった僕は、夕飯に頭を悩ませた。
夜も遅いので手のこんだものはつくれない。冷蔵庫を見ると、一週間前に買ったハムとキャベツしかなかった。最近忙しかったせいで冷蔵庫の中身は心もとない。キャベツは少し傷んでいたが、使えないわけではない。キャベツを一口サイズにちぎり、水に浸す。台所に転がっていたインスタントラーメンを二袋取り出す。
インスタントラーメンをつくるにはまだ時間に余裕がある。彼の血色はかなり悪かったので、心配になって風呂の様子を覗いた。案の定彼は湯船に溺れかけていた。慌てて引き上げると、生白いうなじが紅く火照っていた。目に毒だった。
「君、大丈夫か? ふらついているけど」
彼の頭にタオルを被せる。並んで立つと、異様に背が高い男だと知る。百九十はありそうだ。僕は身長には恵まれなかった人間だから分からないが、高すぎるのも生きづらそうだ。男はなにかを待つように僕の顔をじっと見つめていたが、やがて首を傾げたままタオルで水分をとりはじめた。白い肌は林檎色に熟していて、ひどく食欲をそそられる。自分の中からできるだけ煩悩を打ち消し、視線をそらした。
彼が風呂場から出てくるまでの間、インスタントラーメンをつくりはじめる。食材がこれだけしかないのは痛手だった。普段は特にすることもないので自炊をしているが、繁盛期になるとどうしても手を抜いてしまう。キャベツを炒め、火を通しておく。その間に乾麺を湯でほぐしておいた。粉末スープを入れる前に炒めたキャベツを投入する。その後に粉末スープをいれると、心なしか味が染みこむ気がする。そうしてラーメンを器によそい、最後にハムを乗せると、少しはおいしそうに見える。インスタントラーメンであることに変わりはないが、そのまま出すよりはマシだろう。
そうしていると、彼がひょこりと顔を覗かせる。自分が持っている中で一番大きいバスローブを与えたのだが、足も腕もつんつるてんになっていた。しかし、痩せぎすのせいか窮屈ではないようだ。ちなみに濡れた彼の服は洗濯機にそのまま投げ入れた。
「お腹が減っただろう。これしか出せないけど、よかったら食べてくれ」
彼を座らせ、目の前にラーメンを出す。再び力なく首を傾げていた。
「なに? こんなもの、食べられないって?」
苦笑すれば、彼は静かな声で言った。
「……食べていいのか? なにもしてないのに」
はじめて僕に聞かせてくれたその声は、思いのほか低く、それでいて静謐な響きのあるものだった。
「やっと喋ってくれたね」
目をパチパチと瞬かせる彼に再度進めると、ようやく麺を啜ってくれた。よほど空腹だったのか、掃除機のように勢いよくがっついている。僕も自分の分をラーメンを啜りながら彼の食事を眺めた。風呂上りで上気した頬は薄い紅に染まっている。血色のいい西洋人形のような出で立ちだが、骨格や顔つきは男そのものだった。それでも、どの角度から見ても美しい。白とも銀ともつかない髪から覗く青い目は透き通っていた。
汁まで飲み干した彼は、勢いよくテーブルに丼を叩きつけた。
「ごちそうさん」
繊細な見た目のわりに豪快に食べる男だった。口を手で拭う所作すらさまになっている。先に食べ終わった彼は、ぼんやりと食べている途中の僕を見つめたままだった。
「綺麗に食べるんだな、あんた」
「そうかな。普通だと思うけど」
「育ちの良さが隠しきれてないぜ」
そう言って男は、内緒話といった態度で顔をよせた。
「どうせ綺麗なセックスしかしたことないんだろ、あんた」
どこか淫靡な囁きに、頭がクラクラした。それでも顔に出さないよう、ラーメンを啜り続ける。白い湯気が鼻にまとわりついて鬱陶しかった。
「さあね。生憎興味がないんだ」
「へえ。俺を拾っておいて、よく言うぜ」
「それとこれとは関係ないだろ」
キャベツを口に頬張る。スープの味がちゃんとしみている。
スープまですべて平らげても、男はぼんやりとした視線を外さなかった。
「全部食うんだな。スープは残すと思ったのに」
「残飯はあまり出したくないんだ。残すなんてみっともないだろ」
「そうか。……そうだな」
心ここにあらずといった声音だった。
「僕はケルトだ」
「ケルト」
「君の名前は?」
「……ユマ」
彼の唇から紡がれる名は甘やかだった。何度でも呼びたい。そう思わせるような名前だ。
「そうか、ユマ。よろしく」
「……よろしく?」
「ああ。ここには好きなだけいたらいい」
ユマは髪を揺らして首を傾げた。その身長の高さからは想像がつかないほどあどけない仕草だ。
「明日は休みだから君の服でも買いに行こう。僕の服は君には合わないからね」
「うん」
しばらく首を傾げていたが、突然聞き分けよく頷く。そして、覚束無い口調で言った。
「俺、なんでもする」
「別に、気にしなくていいんだよ」
あえて微笑んでみせた。空っぽになった二人分の器を重ね、片付けることにした。
彼はただ、そわそわと僕の後ろをついてくるだけだった。
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