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 今日はとても素晴らしい日だ。  そうじゃないか?  仕事が終わると、すでに十時をまわっていた。  今日も昨日も、そして来週も変わらない仕事の日々。金が稼げるだけでもありがたいのだが、如何せん人間は平凡に飽きる。  もっと面白い日々は来ないのか。  せめて、ちょっとだけでもいいから、何か変わったことが起きないか。  そうは言っても財布に余裕はない。明日は休日だが、とても冒険をする余裕はない。  だからいつものように、レンタル店に足を運び、DVDを物色しながら、そろそろ配信に手を伸ばしてみようかなとぼんやり考えていた。  その時、あるコーナーが目に飛び込んできた。  真っ黒い外箱がぎっしりと六段にわたって並んでいる。ケースを取り出してみても、ラベルにシールが貼ってあって、何のDVDか判らない。  棚の端にある手書きのポップによれば、これは『レンタルに飽きてきた人』向けのイベント企画であるらしい。  値段は百円で、映画のロシアンルーレットというわけだ。  中々面白いじゃないか。  メーカーごとにDVDの印刷は違うのだけども、それを分析するのも無粋だろう。  俺は最近感じなかった小さなワクワクを胸に家路についた。 『今日はとっても素晴らしい日! そうじゃなくて?』  モノクロ映画。タイトルが最初に出ないタイプだ。  服の感じから時代は昭和のようだ。  映像がやけにキレイなので最近撮られたものかもしれない――いや、デジタル処理されたリマスター作品かもしれない。音声もモノラルじゃないし、前時代的な台詞回しも出てこないのだから。  話は今のところ至極単純で、女性がある晴れた日に公園を散歩するというものだ。  それをずっとカメラが横から写しながら女性と一緒に移動していく。  女性がすれ違う人と会話になると、アップになる。  演劇調、実験的、音楽がないのもまた、いかにも『そういう感じ』を際立たせる。  言ってしまえば退屈な映画だ。  何しろ女性はいきなり散歩をしてるので、どこに何をしに行くのかも不明。すれ違う人たちも、主婦や老人と刺激的な人物がいないのだ。  だけども―― 『これから、どこに行くんですか?』 『さあ、わからないわ。でも、今日はこんなに晴れて、とっても素晴らしい日! そうじゃなくて? そんな日に理由なんていらないと思うの!』  明るく朗らかで、はきはきと喋るショートボブのような髪型の女性。飾り気のない服装に運動靴で、彼女はとても楽しそうに歩き、人と話す。  それだけなのに、不思議と目が離せない――いや、正直言えば、俺はあっという間に彼女に恋してしまっていた。  今の歩き方は良かった、あの枝を触る仕草が良い、小石を蹴る仕草が子気味良い……俺は何度も巻き戻しをして彼女の歩くさまを堪能した。  そうやって画面を食い入るように見ているうちに、妙な事に気が付いた。  最初から違和感はあった。だが、何度も見ているうちにそれが徐々に確信に変わったのだ。  この撮影場所、知ってるぞ。  ここから徒歩で10分もしない公園。その裏手にある細道じゃないか、ここ?  一時停止して画面に顔を近づける。  丁度、彼女はこちらに顔を向けた瞬間で、あら? という顔をしているように見える。  いや、失礼。ちょっと観察させてもらいますよ、と我ながら気持ち悪い独り言を言いながら眉をひそめて記憶を手繰る。  間違いないんじゃないか。  雑木林を無理やりえぐったような断面の道の端。そこに草にまみれた傾いた地蔵があって――ほら! その向こう、木の間から公園の大きな滑り台が見えるじゃないか! あれは去年できたばかりのはずだ!!  俺は、画面から顔を遠ざけた。  ということは、どういうことだ?  これは――もしかしたら、レンタル店の店員が撮った映画なのか?  いや! そういや、地元の高校だか大学だかに映画部があって、そこがロケとかをやるって張り紙をレンタル店で見たことがあるぞ!  つまり――彼女は地元の人間かもしれないってことか!  なるほど……。  俺はチューハイを一口飲むと、ふうと息を吐いた。  昔の映画じゃなく、今の映画、しかも近所で撮られたならば、彼女はもしかしたら近所に住んでいるかもしれないわけだ。  それだけで、なんだか嬉しかった。  できるなら一目――いや、映画で芝居をしてるんだから、彼女はこういう前時代的な芝居がかった喋り方はしないだろう。多分、いや、間違いなく会ったらがっかりするに違いない。  そんなことを考えられるのも楽しかった。  こういう気持ちになるならば、地元の映画上映会に顔を出してみるのも面白いんじゃないかな――俺はそんなことを考えて再生ボタンを押そうとした。  二つの事に気が付いた。  いや、気が付いたというか――いきなり焦点があったというか――さっきまでは『無かった』ような――  俺は少し巻き戻してみた。  どうやら光の加減で『見えなかった』ようだ。  彼女は何かを落としたようだ。  白く、小さな――ハンカチだろうか? それが彼女の歩いた後に落ちているようだった。  そして、もう一つ。  道の向こう、雑木林の中に誰かがいた。  モノクロで、暗闇の中である。まるで、だまし絵のように、光の加減でちらりちらりと姿が見えるのだ。  身長は女性と同じくらいであろうか、つばの広い帽子をかぶっているようだった。  ハンカチは演出だろうと俺は考えた。  ただ歩いているだけなのだから、話を膨らます材料としては自然である。とすると、これはオチに繋がってくるのか?  例えば、誰かが拾って、彼女にそれを届けて――仲良く喋りながら公園から出て行ってエンド……とか?  とすると、この人影はその人物か?  次の瞬間にも林から出てきて、ハンカチを拾い、彼女を追いかけるのだろうか?  それとも、間違って映ってしまったスタッフ、いや偶々いた清掃業者とか?  俺の楽しい空想は、一部分当たっていた。  その人物は林から出てきてハンカチを拾い、彼女を追いかけ始めた。  だが――  彼女に追いつき、ナイフを振り上げたそいつは、全身黒尽くめだった。顔も黒い布のような物をぐるぐるに巻き付け、その隙間から血走った片目がぎりぎりとこちらを睨みつける。  彼女は気づき、振り返って悲鳴を上げた。  そいつは有無を言わせず、ナイフを振り下ろし、彼女は胸を刺され倒れ伏した。  そいつは二度三度と彼女の背中を刺す。  動かなくなった彼女に、そいつはハンカチを落とした。  彼女がアップになった。  血まみれの顔を半分隠したハンカチは、みるみる黒く染まっていく。  そして彼女の片目が痙攣するように瞬くのに合わせカメラが寄っていき、ふっと彼女の瞳孔が広がるのが判った。  エンドロールもなく、暗くなる画面。  タイトルもクレジットもない。  ただ、暗い画面に俺の顔が反射しているだけだった。
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