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感情図書館の利用者達は、皆一様に、『自分の感情の理由』を見失っているそうだ。
鳩麦さん曰く、人は、激しい感情の理由を、忘れてしまう時がある。
何故怒ったか、何故悲しんだか、何故苦しんだか。
解決に至らなかったその時の感情は、この世に残り、さ迷い、そしてこの図書館に来るのだそうだ。
鳩麦さんはそう言った『感情』だけになった人々の心の苦しみを救い、寄り添い、昇華する。
ここにある本の一冊一冊は、どこかの誰かの人生そのものを記したものであるが、感情だけとなった人々は、どれが自分の本かを見つけ出す事が出来ない。
彼女は、彼らの言葉をヒントに、一冊の人生を見つけ出すのだ。
この世の全ての苦しみを解決出来ることは無くても、この図書館に感情の答えを探しに来てくれた人達の為に、鳩麦さんは優しい言葉をかける。
姿も、名前も、年齢も、何もかも忘れてしまった人々の気持ちを、鳩麦さんは導いてあげようとする。
「お名前は、言えますか?」
鳩麦さんは、何もない空間に、しゃがんで声をかける。
透明な空気のなかに、ぶるぶる震える感情が、見えたような気がした。
『ーーわかんない、わかんない。たすけて、なくなっちゃった、たすけて』
息を飲むような、悲痛な少年の声が聞こえた。
鳩麦さんのしゃがんだ膝のすぐ先のカーペットに、水の跡がぽたぽたと落ちた。
彼女の誘導で、何もない空気の固まりが移動して、小さなベンチが軽くきしむ。
「なにが、なくなったんですか?」
鳩麦さんは、ベンチの高さに目線を合わせて尋ねた。
『ーー、おこげ』
「お焦げ?」
私は声を上げた。
『そう、おこげ。おこげが、なくなっちゃった』
「お焦げが……?」
私の疑問をよそに、鳩麦さんはどんどん質問をしていく。
「おこげ、と言うのは、どういうものか、教えていただいていいですか?」
『ーーおこげは、ちゃいろで、ふわふわで、ちょっと固くて、くろいとこもあるやつ』
姿の見えない少年のおこげに対する答えは、およそ私の想定するお焦げと同じものだった。
「……鳩麦さん、この方のお悩みは釜飯が食べられなかったとかですか?」
「首藤さんちょっと黙って。ーー今、あなたは何歳で、今は何年の何月か分かりますか?」
『わかんない、わかんない、おねえさん、ぼく、おこげをーー』
透明な少年は、わっと声を上げて泣いた。
「参りましたね……。年齢か、名前か、本人の自覚する年代が分かりさえすれば、もう少し手がかりになるんですが、『おこげ』だけでは……」
少年の姿は、本当に薄く、足元に半透明の靴が見える位だ。
鳩麦さんとの応酬で、自分の意識の自覚が出来たからこそ靴は見え始めているのかも知れないが、果たしてこれではまるでヒントがーー。
「あ、ジャスティスイレブン」
私は少年の履く、マジックテープ式の靴を指差して言った。
「何です?」
鳩麦さんがこちらを向く。
「いやこの靴、ジャスティスイレブンの靴なんですよ。マジックテーブ式でキャラクターが印刷されている子供用の靴なんですけど、鳩麦さん知ってますジャスティスシリーズ? ジャスティスシリーズは長年続く日曜朝のヒーローシリーズなんですが、初年度はジャスティスウーノで、シリーズ化は視聴者の応援で決まったので次の年は主人公が二人組になってジャスティスツヴァイ、三年目には三人組でジャスティスサン、実はこれは日本語の三から来てるんじゃなくて中国語のサン読みから来てるんですよね四年目がジャスティスクアトロでその年から変形超合金ロボットも出るようになって商品展開が従来の剣とベルトだけじゃなくなって一気に保護者からの支持が出ると同時に子供達にグッズによる差別化が」
「首藤さん!!! 首藤!!! 流星さん!!!!」
鳩麦さんが、大きな大きな声で私を呼んだ。
「……その、ジャスティスイレブンは、今から何年前の作品にあたるんですか……?」
私は、ジャスティスシリーズ十一年目の作品が、今から十年前のものであることを伝えた。
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