1章 その2

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PM0時  私の勤務するのは在宅型有料老人ホーム「ミズアオイの里」という老人施設だ。要介護度二から五までを幅広くカバーしている施設であり、常駐する看護師やヘルパーたちは三度の食事時間には大忙しだ。施設長やチーフまでも食事介助に出向いている。  私は施設の事務職だから、現場には行かず事務所でデスクワーク。事務員は他に二人いて、三人がシフトを組んで、毎日二人が出勤する。入居者の食事時間は事務員二人だけになるので、ついプライベートな話で盛り上がったりする。 「あー、やっと頭がスッキリしてきたわ」  私は今日の相方である岡本しおりさんに言った。 「松木さん、最近毎日飲んでますよね。知ってます?お酒飲みすぎると、あっちのほうが弱くなるんですって」 「あっちって、私はもうオバサンだよ。岡本さんはまだ四十前なんだからバンバン男遊びしたらいいけど」 「夫も子供もいるのにバンバン遊べないですよ。それにオバサンだからもう終わりなんて、ここではそんな話通用しませんよ」 「どういうこと?」 「ほら、三階の仲田さん」と岡本さんは声を絞って言った。 「ああ。そうだね」私は三階の入居者のことを思い出した。  三階の仲田さんの部屋のベッドに三原さんという女性入居者が一緒に寝てるのをヘルパーが何度か見ているらしい。それもただくっついて寝てるだけじゃなくて、モゾモゾと・・・。 「三原さん、紙おむつしてるけどね」岡本さんが下卑た笑みを漏らして言った。 「女なら誰でもいいってやつよね」    二人の入居者の話はスタッフの中では笑い話になっているんだけど、私には笑える話には思えなかった。  性は「さが」とも読む。男は、いえ人間は身体が衰えるだけでは性からは逃れられない。ひとりで歩けなくなっても、用を足すことが出来なくなっても、心の奥底にある深層世界には性に囚われた本性むき出しの自分自身がいる。快楽の奴隷だ。ぬるぬると体液にまみれ、桃色に染まった無機質に性器と呼ぶ、自分自身を象徴する身体の部位。 「幾つになっても男と女だね」と私は言った。 「松木さんは恋人、いるんでしょ?」 「いるけど茶飲み友だちってやつよ」 「あー、朝までお茶飲むのね。独身なのが羨ましい」 「旦那だけじゃ物足りないのね」 「旦那は酒飲みだから」と岡本さんはまた下卑た笑みを漏らす。  ほら、岡本さんにも快楽の奴隷がムズムズと動き出しているよ。この子はまだ三十代で、おっぱいはそれなりにふくれてるし、男に媚びる笑顔はなかなかのものだ。  その笑顔で誰を誘惑するのかは知らないけど、丸岡課長とミドリ医療の花田鎮夫さんはやめてよね。もっといい男、好きにすればいいからさ。
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