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昼下がりだというのに、カーテンの閉め切られた部屋の中にはむわりとした熱気が充満していた。
あられもない姿でベッドに横たわる婦人が、娼夫に煙草を勧める。甘ったるい香りのするこの煙草は苦手だったが、言われるがままに婦人の手から煙草をくわえる。
「次はいつ来られるかしら」
「求めがあればいつでも」
「不思議ね」婦人が笑う。「事が終われば、あなたはまるで別人のようだわ。どちらがあなたの本当の顔なの?」
「さぁ…どうでしょうか」
ベッドの脇に置いた小袋を婦人が娼夫に手渡す。中には金貨が詰まっていた。
「また必ず、近いうちにお会いしたいわ」
「お心のままに」
故郷を失い、放浪の日々を過ごしていた。幼い頃は物盗りをして食いつないだが、体を売ることを覚えてからは安定した寝床に就くことができていた。金持ちの婦人の言うことを聞いていれば、不自由することはなかった。叩けと言われれば叩き、殴らせろと言われれば頬を差し出した。大抵の婦人は夫には望めない嗜好を娼夫で試そうとし、上に乗ったり下に組み敷かせたり、夫とは違う若い体に狂喜し貪るようにその体を苛んだ。
先週、町に来ていたサーカス団を気まぐれに訪れた。恰幅のいい団長に声をかけられ、「うちに来ないか」と誘われたが一笑に付した。観るのは興があったが、そこに自分が立つなどとは想像もできなかった。
「ここにいたか」
ベンチに座りパンをかじる娼夫に、先日の団長が声をかける。
「まだ何か用ですか」
「うちに来ないか?」
「お断りしたはずですが」
「お前の手は大道芸向きだ。それに背も高い。私は今後継を探していてね」
「興味がないので」
つれなく返し足早に歩く娼夫に、なおも団長は後ろを追った。
「体を売る仕事でつなげるのもあと数年だろう。若さを失えば見向きもされなくなるぞ」
ぴたりと足を止める。
「なぜそれを」
団長がにやりと笑い、娼夫はしまったと思った。流れ者と思い、油断していた。
「お前はいくらか学があるな?」
「いいえ。学校に通ったことはありません」
「教養の話だ」
「字が読める程度です」
「今の仕事ほどは稼げんが、本を買うくらいの賃金は保障しよう。芸事は身に付けさえすれば、体が動く限り続けられるぞ」
正直なところ、今の暮らしにも少し飽きていた。稼げるだけ稼いで、金がなくなればどこかで野垂れ死ぬのだろうと漠然と思っていた。どうせ死ぬまでの暇潰しが一つ増えるくらい、大したことではない。
「…飽きるまでなら」
「いいだろう。団長のポンヴェだ」
差し出された手を掴み、娼夫も笑った。笑うと、相応に幼さが垣間見えた。
「名はありません。場所によって名乗りを変えています」
「そうか。なら私が名前をやろう。お前は今日からイリだ。幻のように現れて、客を楽しませる名だ」
変な名前を授かった。娼夫は頭を掻き、師となった恰幅のいい男の後を追った。
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