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うううーん、と神さまが首を傾ぐ。烏の濡れ羽色をした髪が、彼女の肩を泳いだ。
「つまり、嘘だったってことね」
いやいやいや。
「なんでそうなるんですか!」
「だってそうじゃない。私はあの子が言う通りに願いを叶えてあげたのよ。でも、いざ叶ってみたら、心変わりしちゃったわけでしょ。そんなの嘘だわ、不誠実だわ。祟ってやろうかしら」
「勘弁してあげてください……」
冗談でも、神さまの口から「祟り」なんて聞きたくない。
頬を引き攣らせている私を前に、神さまは不満げな表情で空を仰いだ。
「それにあの子、せっかくお膳立てしてあげたのに、恋人ともダメになっちゃったみたいだし……」
「えっ。ずっと一緒にいられるようにしてあげたんじゃないんですか」
「それはそうだけど、二人が別れたいって思ってたら、一緒にいたって不幸なだけでしょ。私はお互いが愛し合ってる間、変な障害が出てこないよう、祝福してあげただけよ」
ということは、何の障害もないのに、二人の気持ちは離れてしまったのか。私は絶句した。恋人まで失ってしまったなんて、じゃあ、いったい何のために……。
この神社にさえ来なければ、神さまに祈ったりしなければ、その人は何も失わなかったかもしれない。でもだからと言って、目の前にいる神さまを責めることもできないだろう。
私が沈黙していると、神さまは物憂げにつぶやいた。
「不倫しちゃうくらい愛し合ってたのにねぇ」
「えっ」
「うん?」
「ふ、不倫……ですか?」
「うん」
「不倫してたんですか、その人たち!?」
「そうよ。相手の男の人、家庭持ちだったし」
言ってなかったっけ、とでも言いたげな表情。言ってないよ!!
私は再び額を押さえる。さっきまで感じていた同情心は、微妙に行き場を無くしていた。若い女の子……ずっと一緒にいたい……不倫……そりゃあ、一筋縄にはいかないに決まっている。
「神さま、そういうお願い事は、無闇矢鱈と叶えちゃだめですよ……」
願った本人も多くを失ったのだろうが、恋人——不倫相手のほうも、ずっと一緒にいるために、それまで大切に培ってきたものを失う羽目になったはず。本人たちに関しては自業自得だけど、それに巻き込まれた人たちは、堪ったもんじゃないだろう。
「どうして?」
不思議そうに、澄んだ瞳で問いかけてくる神さま。どれだけ人間に似た姿をしていても、彼女はやっぱり人間ではない。
独自のルールのなかを生きていて、時折気まぐれに、人の願いを掬い上げる。もしかすると、それは愛玩動物でも可愛がるような感覚なのかもしれない。寄ってきた野良猫に、無責任に餌をあげるような、そんな感じ。
だから根本的なところで、私たちは食い違ってしまうのだ。そしてたぶん、これは、どうしようもない。
「……今度、道徳の教科書持ってきますね。あと、週刊誌とか」
無駄だとわかっていても、一応の努力として私がそんな提案をすると、嬉しそうに手を叩く。
「まあ、楽しみ! 人間の読み物って、面白いのよねぇ」
彼女が願いを叶えたおかげで、たぶんけっこうな人たちが不幸になったわけだけど。
そんなことはちっとも関係ないのだろう、彼女は今日ものんきに、とても美しく微笑んでいる。……これだから、神ってやつは。
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