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つい数時間前の出来事は、思い出すだに腹立たしい。茶封筒を拾い上げた指が、怒りで小刻みに震えるほどだ。
(嫌な人。こんな紙切れに馬鹿みたいな値段を付けるなんて、本当に図々しい)
おまけに茶封筒の中には、写真はあってもネガがない。
あの恥知らずのことだから、今後もこれと同じ写真を焼き増しして、何度でもこちらを強請るつもりだろう。
もしかすると、写真の男――夫にも、これをネタに強請っているかもしれない。
(本当に仕様がない人達だこと)
夫は私を裏切って火遊びに興じるし、その相手は夫をダシに私を強請るんだもの。
ため息混じりに茶封筒を入れ直している間、ハンドバッグの中からお金の入った分厚い封筒と書類、荷造り紐、手袋、それからポケットにいつも忍ばせている銀のカロートペンダントが顔を覗かせた。
私はいつもの癖で円筒状の小さなカロートペンダントの表面を撫でてから、別のポケットに入っていた鍵を取り出す。
今度は難なく取り出すことができた。
(本当に良かったわ。あの人の落とし物の予備を作っておいて)
予備の鍵があるおかげで、夫の不始末をスムーズに片付けられそうだ。
「さてと。そろそろ出掛けましょうか」
身だしなみは整えた。
心の準備も出来ている。
戸締まりも済んだし、ガスの元栓も締めた。
ひょっとしたら忘れ物があるかもしれないが、まあ、なんとかなるだろう。
玄関から誰もいない昼下がりの家を振り返り、いってきます、と誰にともなく告げてから外へ出る。
晩夏の昼下がり。
日差しはひどく鋭く、道の先では陽炎が揺れている。灼熱の道はまるで地獄のようだ。
蝉時雨は止むことを知らず、ジャワジャワ、とノイズが絶え間なく耳に入ってくる。なんて耳障りなんだろう。
(今日は本当に酷い日ね。肌を焼く日差しも、喧しい蝉の音も、目障りなあの女も……あの人も……本当に……ああ……)
憂鬱な気持ちを抱えながら、玄関のドアを施錠する。いつもは容易く回せる鍵が、今日に限っていやに固く、重い。
――ひょっとすると、次にこの――私達夫婦が過ごした家の――玄関を開ける時は来ないかもしれない。
ふと脳裏を過ぎった予感に眉を顰めつつ、なんとか鍵を掛けた。
私は今から愛人宅に行く。
どうしようもない夫とその愛人との関係に決着をつけ、二人を野放しにしたことの責任をとりに行くのだ。
私はハンドバッグを抱えて、足早に歩を進め、修羅場へと続く道を足早に向かった。
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