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ああっもう。また……。
わたしはその小さな身体には不釣り合いな、登山者やキャンパーが好みそうな大きなリュックを背負い、ヨタヨタと学校の廊下を歩く女子――マユに駆け寄る。
マユに声をかける直前に、彼女の体から落ちたハンカチを拾う。目を襲ってきそうな鮮やかすぎるピンクや紫の花の刺繍柄。女子中学生らしくない、妖艶な柄。
「ほら、マユ。また落としたよ」
呆れ気味に声をかける。
「あ、リエ。えへへ。ありがとー」
のんびりと、間延びした声。目を細めて微笑むマユは幼く見えて、制服を着ていなければ、まだ小学生料金で電車に乗れるかもしれないとすら思える。
「いつも言ってるでしょ。落しものには気をつけなさいって」
まるで母親みたいな物言いで、わたしは注意する。
「はいっ気をつけます!」
マユは勢いよく右手を挙げ、大きな声で返事をした。
「いつも、ありがとうね」
そう。いつも、何度も注意している。
マユはよく落しものをする。落しものが得意だと言っても過言じゃない。マユとは幼稚園からの友人で、何度も前を歩く彼女から零れ落ちた落し物を、私が拾って渡した。
ハンカチや財布がポケットから落ちるのならまだしも、学校の廊下で教科書やペンケースを落とすのは、わざとしているんじゃないかとすら思えてくる。
その度に注意するのだか、一向に改善される様子はない。注意をしても、先程のよう曖昧に茶化されてしまうので、そもそもマユには改善する気もないのかもしれない。
危なっかしいので、いつしかわたしはマユの姿を目で追うようになってしまった。街を歩いていても、この人混みの中にマユが居て、また落し物をしているんじゃないかと、無意識にマユの姿を探してしまう。
「ほら、教室行くよ」
「はーい」
二人並んで、昨日見たドラマや、授業の愚痴、可愛らしい動物の話など他愛のない会話をしながら教室へと向かう。
会話をしながらも、またマユが落し物をしないかと、わたしはチラチラと何度も振り返って確認する。
教室に入る。
「じゃあね。また後でね」
それぞれの席が、たかだか数メートル離れていて、授業時間だけ話せないというだけなのに、マユは名残惜しそうに大きく手を振ってから、自分の席へと向かった。
わたしは呆れ気味にため息を吐き、自分の席に座る。
「今日も仲良いねー。妬けるわあ。まるで恋人同士みたい」
隣席の友人が、クスクスと笑いながら、からかってくる。
「ただの腐れ縁。ほら、マユって危なっかしいところあるでしょ」
わたしは肩を竦める。友人は唇の下に人差し指を当て、少し考える素振りをしてから、自分の席に着いて鞄の中を覗いているマユをちらりと見た。
「あー。マユちゃんってのんびりしてるから、全身で隙だらけですって発してるみたいだしねえ。それに、背も低いから心配になるのも分かるかも。守りたいっていうの? 母性本能をくすぐられる」
守るべき存在かどうかは別として、目が離せないのは確かだ。マユは危うい。
マユに視線を向けると、目が合った。マユは嬉しそうに笑い、小さく手を振った。まるで、子犬が飼い主をみつけてはしゃぐみたい。
「それに、マユって落しものが多いでしょ。それも目に付いてさ」
言って、友人に向き直ると、彼女は不思議そうににこちらを見ていた。何かおかしなことを言っただろうか。彼女は首を傾げて、ううんと唸り、考える素振りを見せた。
「マユちゃんが落し物?」
「うん。落しもの」
友人は再び、眉間に皺を寄せて唸る。
「いや、見たこと無いよ。確かにふらふらと歩いてるのは見るけど、落し物なんて見たことない」
「いやいや、マユだよ? マユといえば落としもの。落としものといえばマユってくらいに、わたしマユが落とした物を拾ってるよ」
「ちょっと心配性になりすぎてるんじゃない? そりゃあ、誰だって一回や二回は何かしら落としたりもするでしょう。それを、たまたま自分が拾ってあげたのが印象に残っちゃって、マユちゃんイコール落し物ってイメージがこびり付いてるだけでしょ」
そんなはずは無い。マユが一日に複数回、物を落とすことも更だ。その度にわたしは拾って渡している。それを彼女は見たことがないと言う。彼女がマユに興味が無いだけか、それとも、彼女の目が節穴なのか。
「たまたまでしょ」
友人は苦笑しながら言った。
「そう、なのかな」
これ以上、意固地に反論する必要も無いだろうと、わたしは口を閉ざす。
たまたま、なんてあるはずが無い。
♯♯♯
ああ、もうっまた……。
下校時間、学校の昇降口を出たところで、また花の刺繍のハンカチを落とすマユを見つけた。
わたしは一度ため息をついてから、落し物を拾ってあげるために駆け寄る。でも、拾う直前になって思いとどまり、二歩三歩下がる。
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