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マユに嫌がらせをして拾わない訳では無い。ただ、友人に『マユに落し物をするイメージは無い。たまたま自分が拾ったのが印象づいているだけ』そう指摘されて、もしかしたら、マユの落し物を拾ってあげているのは自分だけなのかもしれない。と、気になったのだ。
少し待って、誰にも拾われなければ、やっぱりわたしが拾おう。そう心配する暇もなく、ハンカチは駆け寄ってきた親切な男子に拾われた。
軽やかにハンカチを拾った親切な男子は、マユのポケットからハンカチが落ちるのも見ていたのだろう、迷いなくその身に余る大きさのリュックを背負ったマユに声をかけた。
そりゃあ、わたしだけに見える幽霊や妖精じゃないんだから、他の人だってマユの落し物を拾うよね。
独りごちてわたしはマユに近こうとして、足を止めた。
親切な男子から、マユがハンカチを受け取って終わり。それだけのはずなのに、何故か二人の間には不穏な空気が流れている。
わたしは少し離れたところから様子を窺う。
二人の話す声は小さく、下校する生徒たちの喧騒にかき消されてわたしの耳まで届かない。
親切な男子がにこやかに微笑みながら、ハンカチをわたそうとするが、マユは首を横に振って受け取らない。それでも親切な男子は引き下がらずに、ハンカチを差し出す。
そりゃあ、そうだ。その手にある花柄の刺繍の入ったハンカチはマユの物だ。わたしだって、マユのポケットから落ちる瞬間を見ていた。
もしかして、彼は親切な男子ではなく、落し物を拾った見返りを要求する、現金な男子だったのだろうか。それなら、マユが頑としてハンカチを受け取らないのにも納得がゆく。
マユに助け舟を出そうと近寄る。しかし、わたしが到着するまでに話に決着が着いたのか、男子はマユから離れて行った。訝しげに首を傾げて、マユのハンカチを持ったまま。
立ち去る男子を見送ってから、マユに話しかける。
「あのハンカチ、マユのでしょ? どうして受け取らなかったの?」
わたしに気がつくと、マユは人懐っこく満面の笑みを浮かべた。まるで、飼い主が帰宅して、出迎える子犬みたい。
「リエだあ。もう、見てたんだったら、話しかけてよう。恥ずかしいなあ。あ、もしかしてストーカーかな? そんな事しなくても、リエにだったら何でも教えてあげるのにい」
その笑顔と口調から、強引に話題をすり替えようとしているように感じた。もう一度尋ねる。
「あれ、マユのだよね? わたし、ポケットから落ちるの見てたよ」
わたしの言葉を聞き終えると同時に、部屋の照明の電源を落としたみたいに、ふっとマユの顔から表情が消えた。
「ううん。違うよ。あれは、私のじゃない」
その声は酷く無機質に、冷めて聞こえた。本当にマユの口から発せられた声かと、疑ってしまう程に。
「でも……」
「ううん。違う。あれは、私のじゃ、ない」
わたしの言葉をさえぎって、マユは聞き分けのない子供に言い聞かせるように、先程よりもゆっくりと言う。
その言葉に乗せられた、のしかかってくるような威圧感に、わたしは何も言えなくなってしまった。
「私のじゃあ、無いよ」
わたしの言葉を待たず、更に畳み掛けるようにマユは続ける。壊れたおしゃべり人形みたい。
その目は瞬きひとつせずに、わたしを突き刺す。瞳は子供が黒のクレヨンで何度も、何度も塗りつぶしたように真っ黒に見える。ずっと見つめていると落ちてしまいそうで、足元が覚束無い。
「大丈夫?」
ふらつくわたしに手を差し伸べる。真っ暗な瞳のままで、マユはニンマリと口角だけを上げて笑った。
背筋がぞくりと震えて、粟立つのを感じた。
「だ、大丈夫。ちょっと、目眩がしただけ。貧血かな?」
差し出されたマユの手に掴まらず、慌てながらも自分の力で立ち上がる。「あはは……」と誤魔化すために笑ってみたけれど、その笑い声は、自分でも作り笑いだと聞こえるくらいに乾いていた。
「じ、じゃあ、また明日っ」
言い終わるのが早いか、わたしは校門へと精一杯の力で駆け出した。逃げ出した。全力で走る女子に、周囲の生徒は奇異の目を向けるけど、止まらない。止まれない。校門を抜けても、走り続ける。
「またね。リエ」
酷く平坦な響きで、感情が乗っていないようなマユの声。まだ彼女が先程と同じ、真っ暗な瞳でわたしを見ているのかと思うと、振り返ることが出来なかった。
♯♯♯
しばらく走ってから、わたしは足を止めた。いや、正確には足が縺れて転びそうになったので止まった。膝がガクガクと震えている。そもそもが運動の得意でないわたしには、家まで足を止めずに走るのなんて無理だった。
キョロキョロと辺りを見回し、前を向いてすぐに振り返るなんてフェイントも交えながら、マユが追いかけてきていないのを確認する。辺りには誰も居ない。
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