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ニューイと距離が縮まってからしばらくが経った、ある日のこと。
九蔵がいつも通りうまい屋に出勤すると、なにやら厨房から客席を覗き見している不審な人間が二人いた。
通報の必要はない。大学が休みだったのか朝からシフトに入っていた澄央と、いつも短い時間だけ入っている夕奈である。
「なにしてんだ? ナス、ミソ先輩」
「はっ! ココちゃん!」
「ココさん」
軽く声をかけてみると、九蔵に気がついた澄央はすっくと立ち上がり、そのままムギュッ! と九蔵にキツめのハグをかました。
「うおっ」
「ココさん」
「ど、どした?」
「ココさんココさんココさんココさん」
「お、おお、よしよし。どしたー……?」
澄央は九蔵より十センチ大きい。
あおびょうたんの九蔵は巨体の澄央からの急な熱烈ハグをなんとか受け止め、脳内に疑問符を散らす。
店の中におかしな様子はない。混んでもいないがいったいなにがあったのだろうか。
混乱する九蔵に、澄央と同じく客席を見ていた夕奈が親指を立てた。
「あちゃっ。ナスくんには刺激が強すぎたわね~……! 存分にココちゃんで気を落ち着けるといいよ」
「は? ええと、俺ってナスの気付け薬じゃないんですけど」
「ココさんマジパネェス……」
「なにがですかナスくん」
「ほら」
「ほらじゃないですよミソ先輩」
パネェ、ほら、と言われてもわからない。こちとら出勤直後だ。
たぶん客席になにかあるのだろう。
そう当たりをつけつつ、九蔵はとりあえず離れようとしない壊れかけの澄央を無理やりパージし、準備を整えて夕奈と交代した。
「で? どした?」
「…………」
バイトフォルムになった九蔵は、澄央と二人きりの仕事場で本題に入る。
尋ねられた澄央は無言のまま、静かに客席に手を向けた。そちらを見ろと?
九蔵は担当の厨房から首を伸ばして、客数の少ないフロアの視線を滑らせる。
「いったいなにがひょあぁん……っ」
そしてその視線がある一席を捉えた途端、九蔵は対ニューイでお馴染みの奇声を上げ、その場にふにゃりとしゃがみ込んだ。
「か……」
「…………」
「顔がイイ……」
特盛丼。食らうイケメン、特盛級。
九蔵、心の俳句。
仕事中でお客様がいる、という一念で極小さな奇声に留めたが、九蔵は顔面の補正に時間を要した。
澄央が満足げに深く頷いている。なるほど。わかった。
九蔵に抱き着いて言葉にならない良さみを伝えようとした澄央の行動の意味を、ようやく理解する。万が一客に聞こえないよう、無言で悶絶していたらしい。
発作が収まってからすっくと立ちあがって影から観察してみると、イケメンはやはりイケメンだった。
中性的ながら男であるとわかるそこはかとない美しさを醸し出すオーラに、柔和な顔立ち。それに良く似合う銀髪のボブ。
王子系イケメンと言えば、金髪と対をなすカラーリングは儚げな銀髪だ。
白い肌に映えるそれは、どの界隈でも大人気のイケメンステータスと言える。白髪とはまた違うキラメキがある。
上品な佇まい。特盛牛丼が似合わないスタイル。
──ああ……お客様。
──窓から差し込む朝日が、まるでお客様のためにあつらえたベールのようにベストマッチしておいでです。
「はぁ~……神スチルだわ〜……」
今日一日の英気を養い、九蔵は額に手を当ててイケメン客の来店に感謝した。
まぁ九蔵は好み超絶ドストライク王子系イケメンなニューイの顔が一番好きではあるのだが、それはそれ。これはこれ。イケメンはすべからく美味しい。
「窓のほう見てるだけなのにもう芸術だろこの光景……写真撮りたい」
「同感ス。あの顔をガン見しながら犯したいスね」
「ナス。今そういう性的な発言危険なんだぞ。聞こえないようにしててももう少し穏やかな言い方にしろよ」
「穏やか……お顔を拝見しながら性交したいス」
「わかった。口から出さずに全部俺とのマインのトークにでも送っとけください」
「ス」
そそと仕事をしながら小声で話す二人の視線は、イケメン客をなでる。
その日。相変わらず家事をほとんどできていなかったニューイは、機嫌よく帰宅した九蔵に首を傾げるのであった。
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