ラ・マンチャの男は幸福なりや

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 一方地上にて、警察と人質の膠着状態はなおも続いていた。  ……はずであった。 「しゃーっ! 助けに来たぞ、兄さん! 俺だよ、つー君だよ! 兄さんどこ!?」 「待ってつかさマジで待って空気読んで」 「空気は読むもんじゃねぇ、吸うもんだ!」 「じゃあ行間読め!」  部隊の前に突如として現れたのは、年若い二人の男子。一人は鉄パイプ片手にズカズカ小屋へと歩いており、もう一人はそんな彼を体を張って引き止めようとしていた(引きずられていた)。 「つかさ君!? 大和君!?」 「あ、丹波刑事! すいません、つかさがこんなことになって……!」 「どうしてここに!?」  そして丹波も驚いた。当然である。いくら被害者の弟と知人とはいえ、彼らは未成年の一般人なのだ。いくら兄のことを心配したとしても、この場所を知れるはずがない。  しかし彼女の問いに、つかさは腕組みしてふんぞり返った。 「簡単な推理ですよ。こんな時間に一斉に車が動くなど大いに違和感でしかなく……」 「つかさのお父さんから聞き出しました! すいません、すぐにコレ連れて帰りますんで!」 「まあいずれにしても情報源は正樹さんでしょうね。まったくあの白髪ときたら」 「で、今はどうなってるんですか?」  しれっと状況を確認してくるつかさに、丹波はため息をついて目線を奥に向ける。つられてそちらを見た二人は、ナイフを首に押し当てる戸田にすぐに事態を把握した。 「……なるほど。帆沼呉一の信者に躓いていると」 「つかさ君は身も蓋も無い言い方をしますね。っていうか黒幕の名前まで知ってるんですか」 「無論。兄さんの交友関係ですから」 「ねぇ大和君、なんで慎太郎君の周りってヤバいのしかいないの?」 「檜山さんはヤバくないですよ?」 「何言ってんの、アレが一番ヤバいでしょ」 「……檜山がヤバいのは全力で同意するとして、とにかくここまでは俺の想定の範囲内だ。突破する用意もできてる」 「え?」  まさかの発言に目を剥く丹波の隣で、いそいそとつかさはナップサックから何かを取り出す。それは、先程丹波が戸田に放り投げたのと同じものだった。 「拡声器? まさか、あなたが戸田君に説得を……!」 「そうですね。厳密に言うと違いますが、そんなとこです」 「違うの!?」 「えーと、スイッチはこれか。初めて使うなぁ」  そして周りが止める間も無く、一人の高校生は拡声器を口に当てた。 「どうもはじめまして、戸田東介さん!!!!」 「!?」  強烈な大声と盛大なハウリングに、周りの人の鼓膜と木々の葉がビリビリと震える。片手を腰に当て堂々たる佇まいのつかさは、少し音量を調整したあと次の言葉を繰り出した。 「もうそろそろいいでしょう! そこをどいてくれませんか!」 「……え、だ、誰」 「俺はアンタらが連れ去った被害者の弟で、つかさといいます!」 「! 弟……」 「わああああっ! つかさ何してんだ!」  大いにどよめく警官らの中、慌てて大和がつかさに飛びついた。が、ひらりとかわされる。 「そう、弟です! んで、アンタがそこにいたらですね! 俺のかっこよくてキュートで世界人類遺産第一号に認定(予定)されてるお腹空かせた兄を助けに行けないんですよ! しかもそのままアンタに居座られたら、アホの帆沼に殺されるとかいうクソ馬鹿げたオマケ付きだ! 分かったらはよどけオラ人でなしコラ!」 「つかさ君!」  しかしかわした先で、今度は丹波に取り押さえられた。 「何してんのよ、アンタ! これで戸田君が死んだらどうする気!?」 「そりゃ兄さんを助けに行けるなーと思いますけど」 「本気で言ってる!?」 「当たり前でしょ。兄さんとあの死にたがりのオッサンの命とか、秤にかけるまでもない」  吐き捨てるつかさだが、あくまでその態度は冷静そのものである。唖然とする丹波を押しのけ、再び拡声器を持った。 「ねぇ聞いてました、戸田さん? 忘れてんならもっかい教えてあげますけど、アンタがクソしょうもねぇ命かけて守ってるその下には、俺の大事な大事な兄さんが捕らえられてるんです。アンタは好きでそこに立ってんでしょうけど、兄さんは違う。無理矢理だ。無理矢理こんな所に連れて来られて、そっちの勝手で殺されようとしてるんだ」  つかさは、怒気のこもった声でただ言葉を紡ぐ。 「帆沼呉一による洗脳? マインドコントロール? クソくらえ、俺からすりゃ帆沼もアンタも同罪だよ。兄さんに害をなした時点で犯罪者、そんでもって誘拐犯だ。あまつさえそんな奴が自分の首差し出して人質ヅラだと? バカ言え、お前に同情の余地はおろか人質の価値すらあるか」 「……」 「とっととどけ。ナイフ引くなり、尻尾巻いて逃げるなりしてそこをどけ。俺にとって、アンタは潰れた虫ケラより価値が無いって言ってんだよ」  そして、つかさは言いたいことを全て言い終わったのか拡声器を投げ捨てた。対する戸田は、黙って立ち尽くしている。その目には、やはり色は無い。  だが、首にあてたナイフがにわかに動いたかと思うと――。 「そんなこと無いわよ!!!!」  つかさを押さえていた丹波が、涙目のまま大声を上げた。 「さっきから黙って聞いてりゃ、勝手なこと言って! 私らがどんだけ戸田君助けたくて必死こいてると思ってんの!? そりゃ彼は犯罪者よ! 慎太郎君の弟であるあなたは、彼や警察に怒る権利があるわよ! だけど言うに事欠いて価値が無いとか! 彼を助けたくてここにいる私達目の前にして、ンなこと口が裂けても言うんじゃない!」  拡声器よりも大きな声は、その場にいた全員の――戸田の手をも止めた。 「戸田君も戸田君よ! いい加減に不貞腐れるのはやめなさい! あなた帆沼呉一の世界でこそ生きていけるとか言ってたけど、ほんっとーにマジで何の一つもこっちで楽しいことなかったの!? 私と買い物行ったのとか、あれ迷惑だった!?」 「……そ、そんなことは」 「じゃあバカなことしてないで帰ってきなさいよ! 分かってる!? 生きてりゃしんどいことは勝手に来るけど、楽しいことは自分で探しに行かなきゃ見つかんないのよ!?」  完全につかさに調子を乱された丹波は、刑事という外聞をかなぐり捨て、捨て身で怒鳴っていた。 「そこに突っ立ってうつむいて見つかるもんですか! 満たされるもんですか! 大体こちとらウッキウキで次行きたいレストランとか見積もってたのに! あなたとだから楽しみだったよ!? 分かる!? 分かりなさいよ、おばか!」 「そ、そうだそうだ!」  そんなあけっぴろげな――もとい、つかさに調子を乱されヤケクソ気味な丹波に感化されたらしい。他の警官からも声が上がり始めた。 「お前、今度ゲーム貸してくれるって言ったじゃん! あれ楽しみにしてたんだぞ! どうしてくれる!」 「あとなぁ、うっかり捨て猫拾って寮でこっそり飼ってることも知ってんだぞ! 飼い主が見つかるまで保護するつもりなのかもだけど、あの猫お前にしか懐いてねぇだろ! どうする気だよ!!」 「俺が風邪で休んだ時とか、よくも平気なツラして俺の分の仕事も片付けてくれたなぁ! まだ缶コーヒーの一つもお礼してねぇだろうが!」 「刑務所に入っても、ちゃんと反省して出てきたんならお祝いぐらいしてやるよ! あとで連絡先送るからさぁ! 捨てんなよ!」 「オラ戸田ー! 帰ってこいやー!」 「死ぬなー!」 「丹波刑事の責任取れー!」  怒号のような、説得のような。交渉術のコの字も無いような言葉が、好き勝手に飛び交っている。その中心にいた戸田は、始めこそ戸惑った顔をしていたものの、それも少しずつ歪んでいった。 「……救われるか」  唇が震えている。彼の知らなかった善意と単純な好意の雨に激情が込み上がり、とてもナイフなど持っていられない。手から力が抜け、軽い音を立ててその刃物は転がった。 「僕の抱えてきたものが、こんなもんで救われるか……」  膝をつく。顔を覆い、うずくまる。それを見た警官らが、すぐさま駆け寄っていった。 「救われるか……!」  そして瞬く間に、戸田は確保された。彼はもう一人では立つことさえできず、二人の警官に抱えられながらぼろぼろと涙を落としている。 「……ねぇ大和君」 「何、つかさ」  そんな光景を見たつかさは、服についた泥を払いながら立ち上がる。その顔にはまったく反省の色は無く、すっきりとしていた。 「これ、警察から感謝状とか出ると思う?」 「出るわけねぇだろ」  こうしてある意味事件の解決に貢献した二人の未成年は、やっと周りの大人たちにより保護されたのである。
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