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後日談
「またそんな所で寝てる!」
いつも通りの場所に彼の姿を見つけ、アリシャはそう声を上げた。
島の小高い丘にある、一番大きな木の枝の上。寝そべるようにして大きな身体を横たえているのは、一応は島の長をやっているカイである。細くは無い枝だが、良くあんな不安定な高所で眠れるものだといつも本気で感心する。
「はん?」
寝起きの不機嫌そうな顔を枝から覗かせながらこちらを見下ろしてくるカイに、アリシャは更に声を重ねた。
「危ないわよ。落ちたらどうするの」
「俺が落ちるわけないだろ。そんなことでわざわざ俺を起こしたのかよ?」
「ううん。ねぇ、兄さんを見なかった?」
「そんなことでわざわざ俺を起こしたのかよ」
彼はため息を付きながらそう言うと、ぱっと枝の上から飛び降りてきた。見ているこちらがぞっとするほどの高さがあるが、彼には何の問題も無いようだった。よっぽど身が軽いらしい。寝起きとは思えない完璧な着地をすると、彼はあくびまじりに言った。
「奴の居所なんざ、俺が知るかよ。またどっかの罠にでも引っかかってんじゃねぇのか?」
「また罠を仕掛けたの?」
アリシャは苦笑する。
何故だか罠の類を作るのが異様に巧い彼は、たまに島の中に罠を仕掛けている。もちろん、それはラスティを仕留めるためではなく、島にいる野生動物を狙っていると彼は言っているが——実際に野生の鹿や猪なども獲れるため助かっているのだが——なぜだかたまにラスティが引っかかる。他の島民が捕らえられていることもあるが、それよりも反射神経の良いはずのラスティの方が、より罠に出くわすのだ。カイがラスティの行動を予測して作っているのではないか、というのがもっぱらの島民の考えだし、アリシャもそう思っていた。
「幾つかな。ラスティが退屈しない程度に」
「カイが退屈しない程度でしょ」
「俺が退屈しない程度に仕掛けてたんじゃ、島中が罠だらけになるぜ」
ぐしゃぐしゃと黒髪をかき混ぜながら言った彼は、未だに眠気が覚めてはいないのだろう。また、軽くあくびをした。だが何かを感じたのか、すっと素早く視線だけをアリシャの背後へと向ける。
「あ、隊長」
声がして、アリシャも背後を振り返った。
そこにいたのは島民の少年だった。彼はこちらの姿を見つけぱたぱたと走ってくると、ラスティさんが何処にいるか解りますか、と聞いた。
「お前もラスティか? あいつの居場所なんか俺が知るかっての」
「そ、うですよね」
不機嫌そうにカイが発した言葉に押されるように、少年は一歩後ろに下がった。ごめんなさい、と謝ると、彼はこちらにも視線を向けてくる。ラスティを知らないか、と言うことだろう。アリシャが首を横に振ると、彼は落胆したような顔をした。
「あいつに何の用だよ?」
「アボック島の島長が、前回の会合のことで話があるって島長を探してて」
「はん?」
少年の言葉に、カイはそう言って眉を上げた。
少年には隊長と呼ばれた彼だが、他の人間には島長とも呼ばれている。島長を探しているというのなら、カイを探しているという事なのだろう。
「カナンさんに聞いたら、どうせ島長はその手の話には興味ないからラスティさんを探せって」
「ほう」
腕組みをしてそう答えたカイは、不機嫌そうにも楽しそうにも見える微妙な表情で、少年を見据えた。
「賢明だな。敵にはラスティでも探して差し出せ」
「相手は島長をご指名なんだし、わざわざ兄さんを探さなくても」
何処にいるか解らないラスティを探さずとも、カイが行けば良いことである。
「何でわざわざ俺が行かなきゃなんだよ」
「カイが島長だからでしょ」
そう言ったアリシャにカイは心外そうに眉を上げたが、お、と楽しそうな声を上げた。そして彼は丘の端まで歩いて行き、島を見下ろす。ちょっとした崖になっている丘の上は、島中が見渡せる場所である。眺めが良い場所が好きなのか、それとも単に高い場所が好きなのか、島の中でもカイはここがお気に入りらしい。
「おい、ラスティなら見つけたぞ。全く学習しねぇやつだな」
くつくつと楽しそうに笑っているカイの視線の先を追うと、そこには編みあわされたロープに悪戦苦闘している人間の姿がある。遠くて顔までは判別できなかったが、言われて見ると兄にも見える。
「ほれ、ラスティに用があったんだろ。早く迎えに行ってやれ」
カイはそう言うと少年の背を押し出す。彼は少し迷った様子だったが、カイに何を言っても無駄だと解っているのだろう。ラスティを救出すべく、駆けて行った。
しばらく少年の後ろ姿を目で追っていたが、やがてカイは伸びをする。
「しっかし、今日も退屈な一日だな。一緒に別の島の人間でもからかいに行くか」
兄さんを罠にはめておきながら退屈とはひどい言い草だ。そもそも退屈なら島長の仕事を自分でやれば良いのではないか、と。そう文句を言おうとも思ったが、眩しそうに目を眇めて太陽を見つめる彼の姿を見ていると、そんな気が失せた。
アリシャは笑顔で、はいはい、と手を上げ同行する意思を示す。
「私、カスリ島に行きたい」
「じゃ、そこにするか。とりあえず、漕ぎ手をその辺で捕まえるぞ。——そういやお前、ラスティに用があったんじゃなかったのかよ?」
そう言って見下ろしてくる黒い瞳を見返して、アリシャは首を傾げた。
「そうだったんだけど……忘れちゃった。何だったっけ?」
「大した用でもなかったんだろ」
それなら起こすなよな俺を、折角気持ちよく寝てたってのに——などとぶつぶつ文句を言いながら、カイはくるりと背を向けた。そして一人でぐんぐんと道を下っていく。
「待ってよ!」
アリシャがそう声を上げると、彼は振り返りこちらを見上げてきた。
強い黒の瞳に、どきりと心臓が跳ね上がる。
「さっさと行くぞ」
笑うような声で言われた言葉に、アリシャは笑顔を向けた。
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