一章 海賊との邂逅

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一章 海賊との邂逅

「面白いことやってんじゃん」  彼は双眼鏡越しに水平線を見やりながら、口の端を上げた。  黒髪を風に弄らせながら片足を船縁に上げて海を見る姿に、日に焼けた引き締まった身体。精悍でありながらも何処か愛嬌のある顔つき。アリシャから見ればそれらは、文句なしに格好良いと思えた。  カイは海が良く似合う。島で退屈そうに皆をからかっているのも、大きな木の上で寝ている姿も彼らしいとは思うが、それでも燦燦とした太陽に照らされた青い海の上こそが彼の居場所だと思えるのだ。舵を取る姿も、船の先端に立って腕を組んでいる姿も、白い帆に備え付けられた見張り台の上で海を臨んでいる姿も、そのどれもが彼には似合っている。  そう思ってはいても、アリシャがそれを口に出すことは無かった。  格好良いなどとは恥ずかしくて口が裂けても言えないし、海が似合っているなどと言ったところで彼は別段、喜びもしないだろう。だからアリシャは代わりに首を傾げた。 「面白いこと?」 「海に出たかいがあったな」  カイはアリシャの言葉など関係なしに、楽しそうに短く口笛を吹いた。更に首を傾げるアリシャに、彼は持っていた双眼鏡をこちらに寄越してくる。渡されるままアリシャはレンズを覗き込んだ。カイが見ていた方向に双眼鏡を向ける。空や海だけを映しているレンズを右へ左へと動かしていると、やがて何かが映ってアリシャは手を止める。 「……船?」  そこに映っていたのは船だった。アリシャ達が今乗っているのと同じような形をした帆船。それが二隻ほど、並んで水平線上に浮かんでいる。それの何が面白いのかと目を凝らしているアリシャをよそに、カイは舵を握っていた人間に対して指示を出していた。 「取り舵いっぱい。全速力だ」  カイの指示を受けて、左へと船首が向けられる。ちょうど、アリシャが覗いている方向だ。ぽん、と肩が叩かれて振り向くと、そこにはアリシャの兄が立っていた。 「アリシャ」  彼は短く名を呼ぶと、手を出してきた。意図を汲んでその掌の上に双眼鏡を渡してやると、彼——名をラスティと言う——は先程までのアリシャと同じように、双眼鏡を覗き込んだ。  兄妹なだけあって、彼もアリシャと同じ金髪で碧い眼をしている。船に乗っている人員の中で、金髪なのは自分達二人だけだった。色々な土地からの移民が多く混ざっている島民達だが、金髪と言うのは珍しい。カイと同じような黒目黒髪が一番多く、続いて褐色の肌にブラウンの瞳や髪を持つ人が多い。人より目立つことが気になっていた時期もあったが、カイに綺麗な金髪だと言ってもらった時から全く気にならなくなった。 「何か見える? 兄さん」 「あぁ……海賊船か? あれは」  聞いたのは、カイに向かってだ。 「だな。ただ今、襲撃の真っ最中ってとこか」 「襲撃?」  可笑しそうに口の端を上げて言ったカイに、アリシャは声をあげ、ラスティは思い切り眉を顰めた。秀麗な容貌のせいか普段は冷たい印象を受けるらしいのだが、そんな風に表情を作ると一気に近寄りやすい雰囲気になる。 「何でわざわざそんな場所に向かってるんだよ」 「そりゃ、面白そうだからだろ。何のために出航したと思ってるんだよ」 「仕事だろ」  腕を組んだまま、平然とした様子で言ったカイに、ラスティはため息をつきながら言い返す。まさしくこの船は荷運びをした仕事の帰りだった。  アリシャたちが住んでいる島の主な収入源は、この船を使った荷運びだ。国から国に荷物を運んで報酬をもらったり、どこかの国で買い付けた商品を他国に売ったりして金銭を得ている。大した稼ぎではないと聞いているが、そもそも自給自足に毛が生えたような生活だ。困っている様子はない。   「暇だったから仕事のついでに海に出たんだよ」 「堂々というな。島の仕事を山ほど残してきただろ」 「それは俺じゃなくラスティの仕事だろ」  堂々と言い返され、ラスティはまたため息をついた。  アリシャたちが住んでいるシア島は、四十ばかりからなる諸島、ブルーリバティアイランドのうちの一つである。それぞれに島の長が決められており、シア島の長は、何を隠そうカイが任命されていた。島長となればそれなりに島の仕事は多くある。が、カイはそれらの仕事を放棄して遊び歩いており、ほかの人間に泣きつかれたラスティが嘆息しながらそれらを請け負う、というのがもっぱらの役割分担だ。 「海賊船は昨今、なかなか見ないからレアだぞ。俺たちの元海賊の血が騒ぐよな、アリシャ」 「誰が元海賊よ」 「島の人間はみんな、海賊の血を引いているんだよ」  確かに諸島は昔、海賊の足がかりとして使われていたらしい。住んでいる人間も海賊か、その家族だった時期があるそうだが、もう何代も前のことだ。各国の警備が厳しくなり、海賊をやるのも割に合わなくなったそうで、今は大国に睨まれない程度に、細々と荷運びをやっている。  ラスティは呆れたように口にした。 「大陸生まれ、大陸育ちのお前が何を言う」 「ラスティに言ってなかったが、実は俺の両親は海賊でね」 「先日はその口で、両親は駆け落ちした王侯貴族だと言っていたように記憶しているが」 「その前は大泥棒の息子だと言っていたわよね」  ラスティとアリシャの言葉にカイは心外そうに眉を上げたが、何の反論もしてこなかった。彼はラスティからひったくるように双眼鏡を奪い取ると、もう一度、海の方を見る。そうしてあからさまに楽しそうな顔をしているカイに、ラスティが疲れたように聞いた。 「で? 海賊船に向かってどうするつもりだ? 弟子入りでもするのか?」 「弟子にしてやるならともかく、何が楽しくて弟子入りするんだよ」 「なら、襲われている民間船を助けにいくのか?」 「何が楽しくて、俺らが警備船の真似事をするんだよ」  口を尖らせながらそう即答してきた島長に、心底解らないような顔をしてラスティは首を捻る。そんなラスティの顔を見て、カイは悪戯っぽい笑みを浮かべる。いいか、と前置きをして子供を諭すように言った。 「海賊が民間船から金品を奪うのは犯罪だが、海賊船から金品を強奪しても犯罪じゃないよな」 「……強奪したら犯罪なんじゃないのか」 「少なくとも海賊は、警備船に助けを求めはしないぞ」 「なるほど」  そういったのは、間違っても、ラスティやアリシャではない。周りにいた船員たちで、彼らは同じシア島に住む仲間たちだ。カイが島長をやっている島に敢えて住んでいるような人々は、総じて物好きが多い。もしくは、まだ年若いカイをわざわざ島長に推すような人々に、物好きが多いのか。 「襲われた船に、囚われの姫とかいるかもしれませんしねー」 「助けたら身代金……じゃなかった。謝礼金をもらえるかもな」 「荷運びも終わったところだし」 「元海賊の血が騒ぐなあ」  それらの声を受けて、カイは満足そうに頷く。何にせよ、島に住んでいて、カイのやることに反対するような人がいるとすれば、それはラスティくらいなものなのだ。 「というわけで、全速前進。海賊退治だ」  ラスティがため息をつくのが見えて、アリシャはそっと兄に同情した。
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