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「どうすっかな」
カイはそう言うと、船縁に片足を乗せた。
迷いを口にした彼だが、口元には楽しそうな笑みが浮かんでいる。悪戯を企んでいる子供のような目をして、彼は視線を前方の船へと向けた。水平線の彼方にあったはずの船は、肉眼で形が確認できるまでに近づいていた。並んでいた船は、二つに別れている。襲撃が終わって引き上げるところか。
アリシャ達が乗っている船と同じくらいの大きさの帆船。真っ白な帆を張った新しそうな船は、外から見る限りでは、全く普通の船と変わるところが無い。それなのに何故、一目であれが海賊船だと解ったのかと彼や兄に問うと、他の船への接舷の仕方に特徴があったのだと彼らは言った。アリシャにはよく分からない。
「とりあえず、大砲でも撃ち込んでみるか?」
口笛でも吹くような気軽さで言ったカイに対し、ラスティは嫌な顔をした。
「海賊船に、真正面から喧嘩を売る気か?」
「俺が海賊なんぞに負けるとでも?」
「海賊船に一人で乗り込んで行くと言うのなら否定してやるが」
「親友のお前を置いていくわけないだろ」
ラスティは言葉を返す代わりに大きなため息を吐く。カイと一緒にいるようになってから、どうやらこのため息と言うものが兄の癖になってしまったらしい。カイは楽しそうに続けた。
「とりあえず、最初の一弾で相手の舵を封じる。それから二弾、三弾ほどで相手の大砲をぶち壊す。相手に反撃の隙を与えずに、そのまま帆柱に大砲をぶち込んで倒す。——どうだ?」
「なにが、どうだ、だ。本気であれに乗り込むつもりなら、せめて真面目に作戦を考えろよ」
「何が問題なんだよ」
「この大砲にそんな精度があるわけないだろう。そもそも狙いを定められるほどに得体も知れない船が近づくのを、海賊船が黙って見ていてくれるわけが無い」
「その辺りは日頃の行いでどうにかなるって」
からからと笑いながら言った彼の表情にはやはり、真面目な感情などは全く見られなかった。だが、やる時はどんな無茶でもやる男なのだ。だから今回も、何処までが本気で何処までが冗談なのかが全然解らない。アリシャとラスティが兄妹そろって頭を抱えているところに、島民が声をかけてきた。
「隊長、海賊船が速度を落としましたが」
「ふうん?」
隊長と呼ばれたカイは、眉を上げてから、舵を取る男に指示をする。
「おい、航路に気をつけろ。もう少しで大砲の射程に入りそうだぜ」
僅かに進路が変えられた。どうやら相手の大砲の種類や位置や角度を見て、ちゃんと大砲の射程距離に入らないように計算して走っているらしい。カイは双眼鏡を使ってしばらく相手の船を確認していたが、やがてそれを下ろして、口の端を上げた。何処か呆れたような口調で、だがとても楽しそうに言葉を発する。
「随分と、古典的な手を使うな」
「——救難信号か」
それを言ったのは、ラスティだった。彼も他の仲間から借りていた双眼鏡で相手の船を覗いていた。アリシャは二人の言葉の意味が解らずに、もどかしげに声を出す。
「救難信号って?」
「相手の船が救難信号を送ってきたんだ。故障して動けないから助けに来て欲しい、と」
「手旗信号でな。手っ取り早く狼煙を焚かないあたり、俺達をご指名らしい」
ラスティとカイがそれぞれにそう答えてくる。そんなカイにアリシャが何かを返す前に、見張り台の傍に立っていた仲間が声をかけてきた。
「隊長、何て返事をすりゃ良い?」
「『御愁傷様。助けたお礼にいくらくれますか?』ってな」
カイの二倍は年をとっているだろう男に対して、カイはそう言った。自分よりもずっと年長の相手に対しても、彼は態度を変えやしない。そして言われた方の男も、それに拘る様子は無かった。
「冗談だよな?」
「当たり前だろ。適当に丁重に、今すぐ行きます、とでも返してくれ」
「了解」
すぐに持ち場に戻った男の背中を見送りながら、アリシャは首を傾げた。
「狼煙を焚かなかったら、何で俺達をご指名なの?」
普通、船が遭難した場合には、救難信号として特殊な狼煙を上げる。それは赤茶色の煙の出る狼煙で、船には常に積んでいる代物だ。船に乗るものなら誰でも、その狼煙が上げる赤茶色の煙を見ただけで何処かの船が緊急事態に陥っていると言うことが解る。
「狼煙を焚いたら、遠くの船にまで気づかれるだろ。そのための狼煙だしな」
「単にこちらの船が近いから手旗信号で知らせてきたのかもしれないが、それよりも狼煙を焚く方が一般的だな。それをしないと言うことは、国の警備船などに気付かれたら不味いと言うことだろう」
カイとラスティの二人からそれぞれ言われ、アリシャはふーん、と答えた。言われてみればその通りだと思うが、アリシャではいつもそこまで思い至らないのだ。自分が賢くないのか、それとも彼らが賢いのかは解らなかったが、何だか悔しいと思ってしまう。
そんなアリシャの心を知ってか知らずか、カイはアリシャの頭の上に手を置いた。何気なく、といった動作だったが、それが逆に子ども扱いされているようで気に入らない。そう思ってアリシャは彼の掌を振り払ったが、カイの方は何も気にせずにラスティに話しかけていた。
「どうやって乗り込もうかと考えていたが、意外とあっさりいきそうだな」
「相手も同じことを考えているんじゃないか?」
「飛んで火に入る夏の虫、って? ま、救難信号を送って助けに来た船を襲うのは、海賊の定石だからな」
カイはそう言って不敵に笑う。
そして、黒の瞳を海賊船へと向けた。鋭くて、強い瞳。それに不覚にもどきりとしてしまって、アリシャは慌てて目を逸らした。たまに見せてくれる優しい瞳にも弱いが、こんな風に不敵に笑んだ彼を見ているのも心臓に悪いのだ。自分が赤面しているのではないかと思うと恥ずかしくて、アリシャは出来るだけ自然に顔を海の方に逃した。
ほとんど同時に、兄の声がする。
「何か策が?」
「あるわけないだろ。あたって砕けろ」
「……砕けて良いのか?」
自信満々に言い放ったカイに対して、ラスティが疲れたように答えた。
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