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ドラコロ/28号 2
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「おいで、ドラコロ。仕事の時間だよ」
ランドセルを置いたら、すぐに部屋の隅に居る28号の尻尾を引っ張って電源を入れる。
金田さんからは一日一回入れれば良いと言われていたけれど、僕は学校に行っている間と寝ている時間以外はずっと電源を入れている。
声をかけられると嬉しそうにニコニコしてほっぺを赤くする目の前の子はとても可愛い。
僕も嬉しくなってドラコロの頭を撫でる。
そうするとますますほっぺが赤くなって、目がキラキラしてくる。初めてどらコロを食べた一年前みたいに。
僕は28号を抱えて店まで降りていって、どらコロのいっぱい詰まった箱を首からかける。母ちゃんは同じ箱をドラコロの首にもかけてやって、頭を撫でた。
28号が家に来た時、母ちゃんは可愛い可愛いってすごく喜んで、それからもとっても大事にしている。28号のことをドラコロと呼ぶようになったのも母ちゃんが最初だった。
「この子はうちのどらコロが好きなんだってねえ。そしたら名前もドラコロってしたらどうかしらね。28号なんて、なんだか大きな怪力ロボットみたいで味気ないし」
金田さんから教わった呼称登録っていうのをすると、ドラコロは、28号と並んで新しい自分の名前を認識することが出来た。
周りの人間の名前はすぐに覚えられるのに、自分の名前は登録しないと分からないんだって。
首から箱を提げた僕は、同じ格好をしてニコニコしているドラコロをリモコンで操作する。自由に動けたらどんなに楽しいだろうっていつも思うけど、ドラコロは自分が自由に動けないことをどう思っているんだろう。
感情があるんだから、きっと何か思うこともあるんだろうな。
だけどドラコロは何も喋ってくれないから、どう思っているのかが聞けないんだ。
「音声装置は高知能ロボットの基本スペックだから、もちろん28号にも付いてるんだよ。だけどこの子はねえ、話したがらないんだよ。
何度も検査してるんだけどバグもないし、感情プログラムをアンインストールすれば必要なことをスラスラ喋り始めるんだけどね」
何度か金田さんを訪ねた時に、そう言われた。つまりドラコロは『自らの意思・感情』で口をきかないみたい。
僕がこっそり喋りかけてみても、ニコニコ笑っているだけで口を開くのはご飯とおやつの時だけだ。
来たばかりの頃はそれがとても不満だった。
自分で動けないならせめて言葉だけでも使えたら、ドラコロ自身どんなに楽しいだろうって、どうして心を開いてくれないんだろうって、思った。
だけど今は何とも思わない。口をきかないことがドラコロの意思なら、それは口をきくのと同じだけの自由なんだと父ちゃんに教えてもらったし、それに、言葉がなくて困ったことが一度もないからだ。
不思議だけど、僕はドラコロが思っていることや感じていることがいつも手にとるように分かった。だからちっとも寂しくなんかないし、いつだって楽しい。
二人で店頭に並んで、僕たちはどらコロを売り始める。ドラコロが来てから話題も手伝って、あっという間にブームになった。
父ちゃんも張り切って改良を重ね、ドラコロの近況報告を兼ねて金田さんに試食してもらいに行ったりしているみたいだ。
金田さんは僕にドラコロをくれたとき、こんな条件を出した。
一つ、万が一邪魔になった場合は放置したり捨てたりせず、必ず金田に連絡すること
二つ、感情があるロボットなので、『生き物』として扱うこと
三つ、月に一度は近況報告をすること(多忙の際は電話でも可)
四つ、バグ・故障の際は速やかに金田へ引き渡すこと
五つ、28号の所有権は野木英太にあるが、第三者に譲渡・売買することは禁ず
六つ、リモコンは所有者以外の人間が操作するべからず
簡単だった。
仲良くしているトネオとタケルも一緒に説明を聞いていたので、僕の家に遊びに来るときも悪戯されることはなかった。それに二人も最初は面白がってドラコロをからかったり、物を隠してみたりしていたけど、気づくと可愛がるようになった。
あの笑顔を見ると、みんなが幸せな気分になる。
いつの間にか二人は「ペット」という言い方をしなくなった。こないだは一人っ子のトネオが僕に、弟がいていいなって羨ましがっていた。
テレビや新聞の取材が来たときは、ぶしつけに耳や腕をひっぱられたり、勝手に写真をたくさん撮られたりした。
父ちゃんはお店が紹介されて嬉しがっていたけど、マスコミの人たちはドラコロにはろくに話しかけもしないし、感情があるなんて信じていなかった。みんな、時間ばかりを気にしている。
だけどドラコロは一生懸命我慢して笑っていた。お店に立つ時は笑顔だよって、母ちゃんに言われていたからだ。
いつもよりほっぺが青くて、たまに体がぶるぶるするから、緊張していることが分かったけど、「もう取材やめてもらう?」って僕がこっそり耳打ちしても、首を横にぶんぶん振って、頑張った。
初めはそうやって珍しがられていたドラコロだったけど、一年も経てば商店街の子供の一人として溶け込んだ。
マスコミの人たちと違って、ここの商店街の人たちは、みんな昔馴染みで気の良い人ばかりだからだ。
28号が初めて店頭に立った日も、誰も僕らが傷つく様な言葉を投げつけてはこなかった。
かわいい、めずらしいロボットだね、いい子だねって、魚屋の源さんも駄菓子屋の春ばあちゃんも花屋の小百合さんも、それからミスさくらまち商店街のミカ姉ちゃんも、みんなドラコロの頭を撫でてくれた。
それからもテレビの取材は事あるごとにあったし、『最先端ロボットが歴史ある多摩の商店街に暮らす』っていうタイトルの密着取材なんて一年ずっとあった。
だけど初めの頃と違って、僕らは自分たちのテレビ番組をわざわざ見るようになった。
取材されている時と違ってリラックスしているドラコロは、僕がカメラの前で緊張していたり自分が困ったりしているシーンを観ると、照れ笑いしながら僕の顔を見てきた。
だから僕もドラコロを突いて遊んだ。そうやって過ごしているうちに、取材されるストレスも楽しさに変わっていった。
僕は嬉しかった。毎日すっごく幸せだ。
こんな日がずっとずっと、続けばいいな。
ううん、きっと続くんだって、そう思っていた。
能天気に、そう信じていた。
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