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ドラコロ/28号 3
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冬休みに入る終業式の日だった。僕はトネオから変な話を聞いた。
「おい英太、お前知ってる? さくらまち商店街、なくなっちゃうかもしれないんだって」
良くも悪くもない通知表をしまい、帰り支度をしていた僕の横から、トネオは尖った口でコソコソ教えてくれた。
「なくなるって、どういうこと……?」
「僕ね、昨日、パパがママと話しているのを聞いちゃったんだよ。都市開発計画が進んでて、市議会で、急に商店街と近くの家を取り潰して高層マンションとか大型ショッピングモールを建てるって案が出たらしいよ」
トネオの父ちゃんは市議会議員さんだ。多分その話は本当だろう。
だけど、うちの商店街はとても栄えているし、別にシャッター商店街でもない。と思う。買いにくるのはいつも近所の顔なじみの人ばかりだけど、商店街だから、そういうもんだと思う。
「英太さ、ドラコロ使ってどうにか出来ない訳? 話題性あるんだから、またテレビに出て署名を集めるとかさ、あいつロボットなんだから便利な道具とか能力とか、なんかないのかな」
僕が、ドラコロはそういうロボットじゃないし、どうせそんな案通らないよ、と言いかけた時、後からタケルが大声でトネオを怒鳴りつけた。
「テメエ~! なんて縁起の悪いこと言いやがるんだっ! うちの八百屋が潰れたら、お前のせいだかんなっ!」
「な、なんでだよお。僕は親切に教えてあげたんじゃないか。大体タケルには聞こえないように小声で喋ってたのに! タケルの地獄耳!」
「なんだとぉぉぉお!」
二人が取っ組み合いをしているのを見つめながら、僕は思った。この光景もずっと続くものだと思っていたけれど、本当はそうじゃないのかもしれない。
いつかは二人も仲良くなったり、逆に取っ組み合いするほど親しくはなくなったりしてしまうのかもしれない。
なんだか虫の知らせがして、僕は二人を残し、早々に教室を後にした。
商店街がなくなったら、どうなる。
父ちゃんは、母ちゃんは、ずっと続いているうちの店は、桜町は、どうなるんだ。
僕はトネオに言った言葉とは逆にとても不安になり、家まで走らずには居られなかった。
十字路を突っ切って、商店街に入る。最後の曲がり角を折れて野木精肉店の看板が目に飛び込んできたとき、三軒先の魚屋の源さんとすれ違った。
僕はいつも通り「こんにちは!」と挨拶したんだけど、源さんは真っ白な角刈り頭を俯けたまま黙って通り過ぎた。
僕に気付いていない様子で、皺のたくさん入ったおでこを何度も手で叩きながら、険しい顔をして行ってしまった。
普段なら僕を見つけるなり父ちゃんよりも大きい声で「よおー、英ちゃん!」と背中を叩いてくるのに。僕は思わず立ち止まって源さんを目で追った。
背中を丸めた源さんは、いつもより年とって見えた。
家に帰ると、店のシャッターは開いているのに誰も居なかった。肉の並ぶショーケースに『奥におりますので、御用の方は声をかけて下さい』という張り紙がしてある。
母ちゃんの具合でも悪いのかと思って、奥の作業場へ入る。
「ただいまぁ……」
更に奥の部屋に、父ちゃんと母ちゃんの姿が見えた。二人とも何やら話しこんでいた。
僕は背中にぞわっというものを感じて、慌てて二人に駆け寄った。
「ねえねえねえねえ! ただいまっ!」
大声でもう一度元気よく、言う。やっと顔を上げた母ちゃんが、びっくりした、と笑った。
元気がないときの母ちゃんの顔だった。
「ねえ、あのさ、商店街ってさ、なくならないよね?」
僕の不安がどうか全く見当違いのものでありますようにと、願いながら訊いた。
きっと二人は何か全然違うことで話し合っているんだと、早く安心したかった。
「なんかね、トネオの父ちゃん市議会議員でしょ? それでなんかね、商店街がなくなるんじゃないかってウワサを聞いたっていうんだよっ、おかしいでしょ? なのにね、タケルがね」
「商店街は、なくならないぞ」
ずっと俯いて何かの紙きれを見ていた父ちゃんが、僕に振り向いてそう言った。
僕は、びっくりして、息するのを忘れた。
「……ほんとに?」
「ああ、本当だ。このさくらまち商店街は、戦後の復興を死に物狂いで支えてきた商店街だ。ちょっとやそっとじゃ、ビクともしない!」
「ちょっと、父ちゃん……」
母ちゃんが心配そうな声を出した。父ちゃんの顔はこわばっていた。僕は手の中の紙きれをひったくって読んだ。
『さくらまち商店街廃止 及び 隣接住宅取り壊し の議案を阻止せよ!
我が商店街 六十年の歴史を 途絶えさせるな! 今こそ団結・決起!
署名運動開始日
日時 十二月二十七日(土)
於 桜駅 北口 駅前ロータリー
さくらまち商店街存続委員会 会長 河岸 源』
読めない漢字もあったけど、何が起こっているのかは分かった。
ぺたんと畳に座りこんだ僕の背中を、大丈夫よと母ちゃんがさすってくれた。
「廃止だなんて勝手なこと言いやがって。そんな簡単に、なくなってたまるか」
父ちゃんが物凄く怒っていることが、僕にも分かった。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
この商店街の人はみんなとっても良い人で、どのお店も活気があるし、近所の人もたくさんここで買い物しているのに。
どうして、今あるたくさんの良いものを壊して、新しいものを作るんだろう。
良いものを壊したら、新しく出来るものはどうしたって「悪者」になっちゃうのに。
僕はショックを隠しきれないまま、すごすごと部屋へ行った。ランドセルや習字道具や上履きや体育着をまとめて部屋の隅に落とし、ドラコロの尻尾を引く。
「ドラコロ、どうしよう。商店街がなくなっちゃう……」
起動したばかりの28号の目が光りを灯すのを待たずに、僕はその柔らかなクリーム色の胴体に抱きついた。
冷たかったドラコロの体温があっという間に人肌になっていく。
それから僕はしばらくの間そうしていた。
耳を付けると、お腹から冷蔵庫と同じ様なモーター音が聞こえる。
その音は、人の鼓動と同じように少しだけ僕を安らかな気持ちにさせた。
ほっぺたにお腹のポケットがあたる。このポケットは柔らかい素材の金属で出来ていて、布でもないのに僕の涙を上手に吸い取ってくれた。
「うちの店も、タケルの店も、なくなっちゃったら、どうなるんだろう。引っ越して、違う学校に行って……友達にも会えなくなる。それに、商店街の人たちはみんなバラバラになっちゃうよ」
胸の中にあるもやもやした不安が、一気に口から零れだす。ドラコロに言ったって仕方がないことは分かっている。
別に、ドラコロに何かしてもらいたいわけじゃない。
ただ、ただ聞いてほしかった。だってドラコロも野木精肉店の、さくらまち商店街の一員で、僕たちの家族だから。
僕にとって、ドラコロはロボットじゃない。便利な道具じゃない。家族なんだ。
ひとしきり僕が喋り終わると、28号はグローブみたいな可愛くて柔らかい手で、僕の頭を撫でた。
驚いて見上げると、悲しそうな顔をしながら笑っていた。母ちゃんと同じ顔をしていて、ドラコロが何を考えているのかがすぐに分かった。
「ドラコロも、不安なの?」
僕がそう訊くと、深く頷いた。犬型の耳がしゅんと項垂れ、赤い光沢のある鼻が少し輝くのをやめた。
「……そうだよね。僕も不安なんだ。でも、父ちゃんとか魚屋の源さんとか、大人たちがみんな署名を集めて戦うみたい。どうしてこんなことになっちゃったのか全然分かんないけど、僕も冬休みの間クラスメイトの家を回って署名を集めようかな」
僕にしては良い案だと思った。どう思う? とドラコロの顔を見ると、赤いほっぺでニッコリの、いつもの笑顔で賛成してくれた。
冬休みは二週間しかない。
僕は年末もお正月も一生懸命クラスメイトの家を一軒一軒訪ねてドラコロと一緒に署名を集めた。
ほとんどのクラスメイトのお母さんが署名をしてくれたけど、中には議案に賛成している議員さんと仲良くしている家もあって、そういう家の人の分は集まらなかった。
僕は隣のクラスの分も回って、同じことをした。事情を聞いたタケルはリトルリーグの知り合いの家、トネオは塾や習い事の友達の家にまで署名を集めに行ってくれた。
一生懸命集めたけど、冬休みが終わるまでに百人分いくかいかないか位しか集まらなかった。
新学期が始まってからは、職員室の先生たちに頼みにいったけど、みんな駅前で大人たちがやっている署名の方に書いてくれていて、僕の分は書けないみたいだった。
とにかく署名活動のお陰か、あの議案のことは町中に広まっていて、桜町内はいつもザワザワした感じだ。
父ちゃんも源さんの委員会に入ったみたいで、仕事の合間をぬってビラを撒いたり署名を集めたり、弁護士の先生と何か難しい話をしに行っている。
僕は集めた署名を父ちゃんに渡して、それからはいつも通りにドラコロと一緒に毎日どらコロを売っている。
変わらない日常を変えないためには、まず日常を続けなくちゃならない。
署名を集めに職員室へ行ったとき、校長先生に言われた言葉だ。その時はよく分からなかったけど、町がザワザワしていくにつれて、段々分かってきた。
僕らに出来ることはもうしたから、後は議会の人に想いが伝わってほしいって、願うことしかできない。
こんなにみんなが反対してるんだもん。きっと伝わると思うんだ。
「甘いな、英太」
昼休み、校庭の隅っこで僕が思っていることを告げると、トネオは目を吊りあがらせた。
「議案は、おおむね通過する予定らしいよ。僕もパパに頼んでみたんだけど、なんか発案者の議員が強力なコネを持ってて、他の議員さんはどんどんその人に取り込まれちゃってるみたい」
「なんだよそれ! そんなんアリかよ! ずるいぞ!」
たまらない、という感じでタケルが叫ぶ。僕も叫びそうだった。市民のためにあるのが市議会じゃないのかって思う。
「父ちゃんたちが集めた署名は? こないだ提出したって言ってたけど」
「一応議長に渡されたみたいだけど、でも署名は検討される材料になるだけで……」
「むずかしいことばっか言ってねーで、もっとパパに頼めよ! どっちの味方なんだよ、お前は!」
タケルがトネオの言葉を遮ってプロレス技を仕掛けたところでチャイムが鳴った。トネオは、痛がりながら、
「僕だって精一杯のことはやってるよ。毎日パパにも頼んでる。欲しかったゲームも我慢するし、塾の授業を増やしてもいいからって」
「トネオ……」
僕とタケルは顔を見合わせてトネオを見詰めた。
「僕だって、嫌だよ。商店街好きだし、タケルや英太と離れ離れになるのは、嫌だ。だけど難しいみたいなんだよ。パパ一人の力じゃ、どうにもならないみたいなんだ……」
最後は涙声になっていた。俯いて袖で顔を拭うトネオに、タケルが「ごめん」って言って抱きついた。
僕も抱きついた。子供の力でも大人の力でもどうすることもできない現実があるなんてこと、僕たちは今まで知らなかった。
どうしたら良い? どうしたら、僕たちは今まで通り幸せな日常を送ることが出来るのだろうか。
忙しい父ちゃんの代わりに僕が金田さんに報告電話をしたのは、すごく寒い日だった。
『やあ、久し振りだね。英太くん。元気にしてる? 28号はどう?』
電話口の金田さんの声は、初めて電話した時以来だったけど、以前よりもずっと穏やかに聞こえた。
「28号は故障もなくて、大丈夫です。でも今、うち大変で……」
僕は商店街の現状と議案成立まで間もないことを簡単に教えて、愛想笑いをした。
「それで、ドラコ……いえ、28号は、僕と一緒に悲しがっていて、だから元気はあんまりないんです」
『なるほど。28号は商店街の一員としての自覚を持っているんだね。なるほどね』
金田さんは商店街の行く末よりもドラコロの反応に興味を示している。金田さんらしいやと、なんだか笑えた。だけど、それは僕の思い違いだった。
『とにかくね、商店街を救いたいんだったら、28号は大いに役立つと思うけどね。あの子を連れてもう一度嘆願書を出しに行ったらどう?
出来ればマスコミにもあらかじめ電話しといて、ニュースになるようにしてもらうんだ。 世論は可愛いロボットと下町庶民に味方すると思うけどねえ』
と、ものすごく冷静にアドバイスをくれた。
「でも……」
すぐ隣に立って僕のセーターの裾を掴みながら、何事かとこちらを見上げているドラコロを見ながら答えた。
「僕は、28号のことを家族だと思っているんです。この子を道具のように使ったり、見世物にしたりするのは、いやなんです」
金田さんは驚いだのか、しばらく無言だったけど、やがてこんなことを言った。
『うーん。他の人たちと同じように、平等に考えてあげているのなら、尚更実行すべきだと思うけどねえ。
みんなが頑張って署名を集めたり大人たちが運動をしたりしているのなら、28号だって、辛い思いをしてでも商店街の役に立ちたいって、そう思っているんじゃないの?
28号をロボットだからって道具にするのは差別かもしれないけど、英太くんのやってることはその逆で、えこひいきだよ。
28号だって、君たちと痛みを分け合いたいはずでしょ』
電話を切ったあと、僕はまず父ちゃんに相談した。そうして預けていた署名を返してもらい、弁護士さんに紹介してもらって、嘆願書を提出する準備をお願いした。
弁護士さんは刈野さんという名前で、思っていたよりも若い人だった。金田さんと父ちゃんの間くらいの歳かなって僕は予想した。
いつもは遺産相続のトラブルとか示談っていう仲直りのお手伝いをしています。と、分厚いメガネを上げながら自己紹介してくれた。
僕がドラコロと一緒にテレビに映っているところで嘆願書を提出したいことを話すと、初めは反対された。あまり刺激を与えると逆効果になるっていうんだ。
でも、このまま待っていても商店街を救うことはきっと出来ない。
「お願いします、もう、これしか方法はないんです」
僕が必死にお願いすると、刈野さんは
「製作者の人の許可は取っていますか? そんな風に使われたら作った人は嫌かもしれないですよ」
と苦笑いしながら答えた。
どうしてか分からないけれど暑くもないのにたくさん汗を拭っている。僕は胸を張って、この案は製作者の金田さんのものだと教えてあげた。
「……そうですか。分かりました。……ではこちらも腹を括りましょう」
刈野さんは急に怖い顔になって、小さい声で答えた。僕は平気だったけど隣に座っていたドラコロはいつもみたいにほっぺを青くしてぶるぶる震えた。
知らない人が苦手で緊張してしまうドラコロだけど、僕はいつもみたいに匿わず、その場に来てもらっていたんだ。
あの電話の直後、電話口から漏れた声が、その犬並みに良い聴覚でキャッチされていたんだと思う。
僕を真っ直ぐ見つめて、大きく一度頷いた。だから僕らの心は一つだと分かっている。
ドラコロの考えていることが僕に分かるように、僕の考えていることも、ドラコロにはきっと伝わっている。
確かに僕は今まで、28号のことをえこひいきしていたかもしれない。例えば女の子とか、それこそペットとか、自分よりも弱くて小さい者のように扱ってきたような気がする。
だけどもし僕が逆の立場だったら、そんなの絶対に嫌だ。
僕が商店街のために署名を集め始めたとき、父ちゃんや母ちゃんは僕を子供扱いしたり反対したりはしなかった。
商店街を守りたい気持ちはみんな一緒だ。それは、子供の僕やタケルやトネオも、ロボットのドラコロも、大人たちも、みんな一緒なんだ。
金田さんの言葉で、僕はようやくそのことに気が付けた。
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