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第10話
リンリンが部屋を飛び出し、リビングには私と睦が残された。
ハッと我に返って睦を布団から引きずり出す。
「リンリンを追いかけて!」
「は? なんで?」
「なんでも何もないでしょう! 女の子をこんな時間に一人で……っていうか、あんたたち付き合ってるんでしょっ」
睦は不満げに口を曲げたけれど、それでもノソノソと立ち上がって外に出て行った。
リンリンに追いつければいいのだけど……。
私はそっと自室のドアを開けて様子を見る。かなり大声で話していた気がするが、ベルちゃんは気持ちよさそうに寝息を立てていた。この状況で熟睡ができるのは高校生だからだろうか。ちょっとうらやましい。
私は自室に戻らずリビングのソファーに腰掛けて二人が戻るのを待つことにした。
リンリンと睦の間に何があったのだろうか。
ちゃんと二人で話ができているだろうか。
リンリンは一体何を考えているのだろうか。
グルグルとそんなことを考えながらやけに長く感じる夜を越えた。
睦がのっそりとした動きで帰ってきたのは空が白んできたころだった。
色々聞きたかったのだけど、睦は「後で話す」とだけ言って布団に潜り込む。
私も仕方なく自室に戻ってベッドに入ったけれど眠ることができなかった。
一刻も早く睦から事情を聞き出し、リンリンが無事に帰宅できたか知りたかったけれど、とりあえずベルちゃんが普段学校に行くくらいの時間までジッと我慢をした。
それから睦とベルちゃんを起こして簡単な朝食を食べた。
ベルちゃんはこのまま今日も泊まっていきたいと言ったけれど、急な仕事が入ったと嘘をついて家に帰すことにした。
ベルちゃんは仕事が終わるまでウチで待っていると言ったけれど、それははっきりと断った。どうしてもダメななのかと食い下がられて、朝食後に駅まで送って行くことと、来週も一緒にゲームをする約束をしたことでなんとか了承してもらえた。
朝食の片付けを睦に押し付けて、私はベルちゃんを駅まで送った。
目を細めて笑いながら「来週も楽しみです」と言うベルちゃんに手を振って、私は早足で家に帰る。
リビングに入ると睦はソファーに座ってスマホを操作していた。
「ねぇ、リンリンと何があったの?」
私が問いかけても睦は黙ったままだ。
すごくイラッとする。
私がこんなに心配してるのに、どうしてのんきにスマホなんてやっていられるのか理解できない。
「なんでリンリンを泣かせたの? 一体何をしたのよ」
さらに強い口調で言うと、ようやく睦が顔を上げた。
「それ、言わなきゃダメなのか?」
私は唇を結んで頷いた。
私には関係のないことなのかもしれない。
だけどリンリンは友だちだし、睦は弟なのだ。関係ないと無視できるようなことではない。
睦は小さく息をついたからボソリと言う。
「あっちが結婚してくれって言ったから断ったんだ」
「は? え? けっ?」
あまりの急展開に言葉が霧散してしまった。
結婚話が出るまで二人の関係が進んでいるなんて気付かなかった。結婚したいと思うほど、リンリンは睦のことが好きだったのか。かなりショックだ。
しかしリンリンからプロポーズされて断るなんて信じられない。リンリンのどこに不満があるというのか。私なら飛び上がって喜んでダンスくらいは踊れると思う。
でも睦が断らなかったらリンリンが結婚してしまう。
自分の頭の中ではじまった一人討論会を抑え込んで睦に尋ねた。
「断ったって……リンリンのどこに不満があるの?」
「不満も何も、オレ、あいつのこと嫌いだし」
「嫌いならなんで付き合ってるのよ?」
「付き合ってない。あいつがウソをついただけだ」
「ちょっと待って、付き合ってないのに結婚するの?」
もうだめだ。全く意味が分からない。
睦がボリボリと頭をかいて「仕方ねえな」とつぶやいた。
「あのさ、そもそも前提から間違ってるんだよ。オレが好きなのは、神奈だから」
私は首をひねる。
「だから、オレはずっと前から神奈に惚れてるの」
睦は丁寧に言い直してくれたけれど、私の頭の中は疑問符だらけだ。
「やっぱり全く気付いてなかったか。あいつはすぐに気付いたぞ」
睦が私にアレだと気付いた「あいつ」とはリンリンのことだろう。
でも、気付くも何もそんなのはあり得ないことじゃないか。
「私と睦は姉弟(きょうだい)でしょう」
「確かにそうだけど、血は繋がってないぞ」
「えぇっ!」
いきなりの爆弾発言に思わず大声を上げてしまった。
私と睦が血の繋がらない姉弟だったなんて初耳だ。
睦は頭を抱えて深いため息をついている。
「なんだよ……、やっぱり覚えてないのか……。まぁ、そうだと思ったけど」
「ちゃんと説明して」
「神奈が四歳くらいのころに両親が再婚したんだよ」
「え? そんなの知らないよ。詳しく話なさい」
「オレは一歳とかだから覚えてないけどな。だから両親から聞いた話だぞ」
そう言って睦は両親の再婚について話してくれた。
どうやら私の母は、私が生まれて間もなく父と離婚したらしい。
母娘二人で引っ越した先で睦の家族と出会ったそうだ。
母と睦の両親はすぐに打ち解けて仲良くなった。特に睦の母親と私の母は昔からの親友のように互いに支え合っていたらしい。
しかし睦の母親は元々体が弱く、妊娠中もかなり大変だったそうだ。そして睦を生んで間もなく亡くなってしまった。
母は彼女の最後の願いを守るため、睦の母親代わりになった。
妻を亡くした睦の父と私の母は互いに助け合いながら、私と睦を育てることになったそうだ。
そんな家族のような付き合いを続け、睦が二歳になる前に二人は再婚したらしい。
「なんで? 私、そんな話聞いたことないよ!」
「あー、おやじたちも神奈がここまでボケだとは思ってなかったんだろうな。神奈は当然知ってると思ってたんじゃないか?」
四歳や五歳のころの記憶があやふやなことなんて仕方ないのかもしれない。それでも両親の再婚なんて大事件をまったく覚えてないなんて我ながら呆れてしまう。
そのとき微かな記憶が蘇った。
「もしかして……。お父さんがすごく豪華なケーキを買ってきてくれて『これからずっと一緒に暮らすんだよ』って言ったときかな?」
「多分、それだろうな」
「ケーキのデコレーションがすごくて、めちゃくちゃおいしかったことははっきり覚えてる」
「食い物だけかよ」
穴があったら入りたいとは今のような気持ちで使う言葉なんだろうなと思った。
約二十年間、私は自分の家族の大ニュースを忘れて過ごして来たのだ。
「まぁ、なんだ。おやじはうれしかったんじゃないか? 神奈が完璧に実の親として接してくれたこと」
フォローのつもりなのだろう、睦が遠くを見ながら言った。
「んー、とりあえず私と睦の血が繋がってないことはわかったよ。でも……その、ほ、惚れてるってヤツは……いつから……」
「いつからってはっきり覚えてないよ。気付いたらそうだったんだ。神奈が危なっかしいから、ついそうなったというか……」
平静を装っているけれど、睦が照れているのがわかった。
照れる睦を見るのは初めてかもしれない。レアだ。
「そうか……そうなんだ……。でも、その、ごめん。私……」
「あー、分かってるから言うな。改めて言われたくない。そもそも、オレもこんな話は一生する気はなかったんだよ」
「あれ? でも、睦、いっぱい彼女いたよね?」
「いっぱいはいない。それに、あれは神奈にちょっかいをかけようとしていた奴らだ」
「は?」
私、知らない間にモテてたの?
「オレがちょっと声を掛けたらすぐに鞍替えするような奴に神奈を任せられるはずがないだろう」
睦に彼女ができたとき、睦は頑なに会わせようとしなかった。その理由を好みのタイプが似ているから、私が惚れないようにと言っていたはずだ。
実際には、私に気がありそうな女の子と付き合っていたから私に会わせなかったということか。
「ちょっとまて! それじゃあ、私の恋愛経験値がゼロなのはお前のせいじゃないか」
「あんな奴らと付き合ったら、神奈が傷つくだけだろう」
「経験値がゼロのせいで、なんだか最近すっごい大変なことになっちゃってるんだからね」
私は思わず睦の胸倉をつかむ。
「それはオレのせいじゃない」
睦は私の手を払って横を向いた。
睦のせいというのは言い掛かりかもしれない。だけど、私にもっと恋愛の免疫があれば、リンリンにもベルちゃんにももっとスマートな対応ができたかもしれないじゃないか。
「だけど、あの女……鈴さんは少しもなびかなかったぞ」
「でも、睦と結婚まで考えてるんだよね?」
「まあ、そう言われたけど、オレになんて一ミリも興味ないだろう」
「それって、どういう意味?」
「自分で考えろ」
「考えろって言われても、分からないものは分からないよ」
「神奈はさ、すぐに分からないって言って思考を停止するだろう。分からないなら、分かるまで考えるしかないんだよ。ゲームと同じだよ。無理ゲーだってプレイしなけりゃクリアできない。無理ゲーだって言われてても、ちゃんとクリアできる奴らはいるだろう」
弟のクセに生意気なことを言う。
腹が立ったが、反論の余地がない。
今の私の状況に攻略本は存在しない。ならば自分で考えて答えを見つけるしかないのだ。
「さて、オレから言えるのはここまでだ。どうしても聞きたいなら、本人から聞いてくれ」
そう言って睦は立ち上がり、財布とスマホをポケットに入れて玄関に向かう。
「ちょっと待ってよ」
睦の後を追うと、玄関にはリンリンが立っていた。
睦はリンリンとすれ違うときに小さな声で言った。
「神奈は想像以上に鈍くてボケでアホだから、ちゃんと言わないと伝わらないぞ」
「分かってる。そこがかわいいんだけどね」
「オレもそう思う」
睦とリンリンの間に険悪な雰囲気はもうない。
昨夜、二人が何を話したのかは知らない。
私には分からないことだらけだ。
だけど、もう考えることを放棄することはできない。
それだけは分かった。
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