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第9話
「おい、そろそろ時間だぞ」
呆然とリビングの入口に立ち尽くしていた私に向かって睦が言った。
時計に目をやると、農協戦の開始時刻まで数分に迫っている。
私はのそのそとリビングに入り、ソファーに座るリンリンと睦にテーブルを挟んで向かい合う位置に座った。
ラグマットは敷いてあるけれど、いつもはソファーに座ってリンリンと並んでゲームをしていたから、なんだか落ち着かない。
ベルちゃんは私にピタリと寄り添うようにして座った。
ゲーム画面を開くとすぐに農協戦の時間になる。
いつも通りゲームをしようと思うのだけど、どうしてもゲームに集中できなかった。
いつの間にリンリンと睦は付き合うことになったのか。
付き合っていたなら、なぜリンリンは私をからかい続けたのだろう。
睦と険悪なムードを醸し出していたのは演技だったのだろうか。
リンリンかベルちゃんか、どちらかしか選べないと言ったのはどういう意味だったのだろう。
そんな疑問が、追い出しても、追い出しても、頭の中をグルグルと回る。
「睦くん、これ、どうしたらいいの?」
リンリンが睦に体を寄せて尋ねる姿が気になってしまう。
「オクトーブルさん、私、すぐ倒されちゃいます、どうしましょう?」
私の隣でそう聞くベルちゃんにうまく反応することができない。
農協戦は、仲間の頑張りでかなり奮闘したけれど負けてしまった。
敗因は私だ。
睦もそれがわかったのか、私をギロッと見て「なにしてんだよ」とつぶやいた。
それから四人でゲームの反省会やレベル上げのポイントなんかを話合ったけれど、どうにも話が弾まない感じがして、なんとなく息が詰まった。
夜も更けてきたので、とりあえずベルちゃんにお風呂を勧めた。
ベルちゃんが素直にお風呂に行き、リビングにいつもの三人が残ると、さらに空気が重たくなったような気がした。
リンリンは私の存在を忘れているかのように、睦にゲームのテクニックについて質問をしている。睦は無愛想にそれに答えていた。
「ねぇ、二人はいつから付き合ってるの?」
私は勇気を振り絞り、できるだけ軽い口調で尋ねた。
するとリンリンはスマホから視線を外して私を見ると「内緒」と微笑んだ。
睦はスマホを操作するばかりでピクリとも反応しない。
私は、それ以上聞くことができなかった。
「お先にお風呂ありがとうございました!」
重い空気を破るようにベルちゃんがリビングに戻ってきた。
ようやく息が吸えるような感覚で、思わず深呼吸をしてしまう。
「じゃあ、リンリン入ったら?」
リンリンにお風呂を勧めたけれど、今はゲームをしているから後でいいと断られた。
私は、ベルちゃんに寝室を教えてからお風呂に向かった。
たっぷりの泡で体を洗っても、心の奥にはびこる澱(おり)は洗い流せなかった。
楽しかったはずの週末のゲームが楽しめない理由がわからない。そしてその理由を誰にも聞くことできずイライラした。
イマイチすっきりできずにお風呂から出ると、リンリンが立ち上がった。リビングにベルちゃんの姿はないから、寝室にいるのだろう。
お風呂に向かうリンリンとすれ違うとき、私はリンリンを呼び止めた。
「あの……、リンリンが今日寝るところなんだけど……」
我が家にあるベッドは、私のシングルベッドが一台。その他に睦が寝ている布団と来客用の布団がある。
先週までは三人だったからこれで足りたけれど、今日は四人だ。
普通に考えれば、リンリンとベルちゃんが来客用の布団で寝るか、私のベッドでリンリンかベルちゃんのどちらかが寝るという形になるのだろう。
リンリンとベルちゃんがあまり仲良くないことを考えると、私とリンリンが一緒に寝るのが妥当だと思う。
もしかしたら「久々に神奈ちゃんと一緒に寝れるのね。楽しみ」なんて回答が来るのではないかと思っていた。
「あぁ、それなら睦くんと一緒に寝るから、神奈ちゃんはお部屋で寝てていいよ」
リンリンは無表情に言った。
その言葉に頭を殴られたような衝撃が走った。
まったくその想定はしていなかった。
「え……でも、そ、それは……」
「睦くんと付き合ってるんだし……、別にいいでしょう?」
付き合っていたらこの状況で一緒に寝るものなのか判断できなかった。むしろ考えたくないと思った。
「そっか。わかった」
だから私は、このひと言した言うことができなかった。
リンリンをお風呂に送り出し、私は自室に入った。
ベルちゃんはベッドに腰をかけてスマホを操作していた。
「今、お布団敷くから」
そう言ってクローゼットから来客用の布団を出す。
布団を抱えると、ほんのりリンリンの香りがするような気がした。
「付き合ってるんだし、オクトー……じゃない、神奈さんと一緒に寝てもいいですか?」
ついさっき繰り広げられたような言葉に、なぜだか不快感が押し寄せた。
「だーめ」
「どうしてですかっ」
「ベルちゃん、まだ高校生だし」
「でも、もう十八歳です」
「それでもダメです」
私はできるだけ毅然と、大人として返事をした。
私の言葉を聞き、ベルちゃんは少し唇を尖らせたけれど「はーい」と返事をして敷き終えたばかりの布団に移った。
もしもこれがリンリンだったら、私をからかうように妖艶な笑みを浮かべながらベッドに無理矢理入ってきたかもしれない。
ベルちゃんが素直に布団を使ってくれることにホッとしたけれど、同時に違和感のような引っかかりを感じていた。
私はベッドに潜り込み、部屋の電気を消す。
少しベルちゃんと話をしてから、「おやすみ」と告げて目を閉じた。
だけど一向に眠気が訪れない。
来客用の布団からはベルちゃんの寝息が聞こえはじめていた。
隣のリビングで、リンリンと睦が身を寄せ合って眠っていることを想像すると胸が焼けるような痛みに襲われた。
そしてリンリンが私のベッドに寝ていたときのぬくもりを思い出す。
耳元で「もう寝たの?」と囁かれたときの、全身に走った衝動を思い出す。
ベルちゃんと両想いで……。
リンリンにはフラれて、諦める決意をしていて……。
それなのに、どうしてこんなにもリンリンのことばかり考えてしまうのだろうか。
私には、まだリンリンへの未練があるのだろうか。
相関図はすごくシンプルになったのに、私の心の中は以前よりずっともつれて複雑になっていた。
真っ暗な天井を眺めていると、リビングからドサッと大きな音が聞こえた。
薄明かりでベルちゃんの様子を見ると、ぐっすりと眠っているようで起きた気配はない。
私はベルちゃんを起こさないようにそっと布団からでてリビングを覗いた。
「どうしたの?」
そう声をかけた私の目に飛び込んできたのは、重なり合うリンリンと睦の姿だった。
その瞬間呼吸の仕方を忘れてしまった。
身動きすることも、言葉を発することもできず立ち尽くす。
布団で仰向けになっている睦の上に、リンリンが馬乗りになっていた。
リンリンは睦の胸ぐらを掴んでいるように見える。
そしてなぜか、リンリンは寝間着ではなく外出着を着ている。
一体どんな状況なのだろう。
立ち尽くす私に気付いたリンリンがジッと私を見てポロポロと大粒に涙を落としていた。
それが数秒のできとごだったのか、数分のできごとだったのかよくわからない。
リンリンは睦の胸元を掴んでいた手を離すと、スクッと立ち上がると「帰る」とつぶやいて部屋を飛び出した。
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